幻燈日記帳

認める・認めない

おりしもそのときヴィンス・ガラルディが



年末に入るかもしれなかった仕事がなくなってしまい、開催が危ぶまれていた(高校の頃所属していた)美術部の集まりが無事開催。そもそも年越しで集まるようになったのはどんなに仕事が忙しくても年末年始はみんな休みっしょ、という事だったのだけど、部のLINEに投げてみても色のいい返事が返ってこなくなったのは、それぞれが家庭を持つようになったからだ。去年に引き続き自宅でひっそりと少人数での開催。新たに導入したPS2桃鉄7で人知れず年越しをした。年々、年越しの瞬間に対する執着が減っていく時に思い出すのは誰かが言っていた「旬のものを食べるというのは旬のものの勢いをいただく(自分に取り込もうとしている)という部分もある」という言葉だ。我々は年越しの喧騒の力を借りなくても年を越せるような人間に無事なれたのだろうか。10年近く開催されているこの会ですが今年はついに初詣すらいかなくなった。夜通し遊んだり話したりした明け方を抜けたのちに「これから人混みに飛び込んでいく」という選択がついにできなくなってしまった。30代は老いなのだろうか。いや、ノーだ。とラウンドワンに向かいボウリングと卓球を楽しんだ。アクティブに行くぞ。ところで、最近記入したアンケートに「昔想像していた大人になれていますか?」という項目があった。迫りくる締切の波また波へ飲まれそうになりながら書き上げた解答は「いい意味でも、悪い意味でもなりました」というものだった。そんな事を考えながら、試される三十代の荒野を行くしかないのだ。
旧友たちとのたのしい時間を過ぎると、既にユニオンが開いている時間になっていた。元旦からレコード屋に行くのは初めてかもしれないな、なんて覗いてみると、10年前のような気分になった。ずっと値段が上がり続けていたフラッパーとかが安価で買えてとても満足。10年ぐらい前のユニオンは盤質Bとかでちょっと汚くて安い値段だけど盤拭いたりすればピカピカ、みたいなのがゴロゴロあった。ここ5年ぐらいでそれがじわじわとなくなっていった印象があったので、懐かしい気持ちになれた。2年前にShazamして以来探していたトッキーニョとヴィニシウスとマリリア・メダーリアのアルバムが安かったりしたのがとても嬉しい。今、それを聴きながらこの日記を書いていて、椅子に座ってぼんやりと聴く音楽の心地よさ、というのを思いだした。締切は懐かしい友人のような顔で近づいてくるけど、インプットがなければアウトプットができない凡人なので、いいバランスを取って行きたい。昨年買ってまだ読めなかった漫画や本を少しずつ読んで行きたい。そしてヴィンス・ガラルディのレコードに針をおろした。