衿沢世衣子さんが展示でシール交換会をするという。シールをやたらコレクションしていた時期があったので、それらを探していたら金がなかった頃(2014年3月)にユニオンに持っていったCDやレコードの買取価格表が出てきた。BIG STARのファーストのアナログ買取価格は500円。マックス・ローチとバディ・リッチの共演盤は100円、ニルヴァーナの局部麻酔の紙ジャケは960円の値段がついていた。日記でも何度か書いてきたけどα-stationでプログラムを持つようになって自分のライブラリーと改めて向き合ったとき「手放したはずがないのに手元にない」と不思議がることが何度もあったのだけど、それらを売り払ったことなんてすっかり心になかった。ちょっと驚いた。昔、手放したレコードやCDのことは全部覚えているぐらいのつもりでいた自分が恥ずかしくなる。このときの買取総額は8260円。6年前の3月、「サイダーの庭」のリリースに向けてとてもお金がない時期だったのだろう、というのは思い出せるのだが、その8260円で何をしたのか思い出せない。スピンドルでCD-Rを買ったのかもしれない。家賃の足しにしたのかもしれない。米でも買っただろうか。そしてどういう気持ちで手放したのか。今ではちょっと部屋が手狭になってきたから、とフランクに読まなくなった本やCDやレコードを手放すこともある。でも6年前の僕が手放したレコードはどうだったんだろう。6年後の僕に期待して手放したのではないだろうか。確かに金ないときに売り払ったCDやレコードを買い戻すことも増えた。でもそれで本当に6年前の僕の期待に応えられているだろうか。
衿沢世衣子さんの展示は最高だった。衿沢さんがいらっしゃって緊張して展示もそわそわとみてしまったからもう一日行きたかった。「遠い春」のツアーのときにグッズのイラストを描いてもらったのにご挨拶もできていなかったけど、やっとご挨拶することができてうれしい。原画も見れてうれしい。グッズも買えてうれしい。サインまでもらえてうれしい。衿沢さんの漫画、高校の頃から読んでます!と胸を張っていったし、ノートにもそう書いてしまったのだけど、古い日記を調べてみたらどうやらギリ大学生だったみたいです。高校生の頃に「向こう町ガール八景」が出ていて、友達に貸し借りしていたらまた違った人生や人間関係があったかもしれない。
怒涛のレコーディングの日々だった。時間の関係でCMでは多重録音していた「駆ける」をバンドで録り直したり(シングル出るよ)、古い曲を今の録音環境、メンバーで録り直したりする。スタジオに向かう車中ではずっとプリファブ・スプラウトを聴いていた。集中レコーディング最後の3日目を迎えた日、天気予報は雪だった。へとへとになった布団のなかで「(スタッドレスタイヤを履いていないから)雪が降らないといいな」と思ったとき自分の中の少年が死んでしまったような気がしてとてつもなく悲しい気持ちになった。悲しい気持ちを抱えて眠るのも嗜好品として好きだったという記憶もあるのに、あの頃の気持ち、ノスタルジーではないあの頃の気持ちが還ってこない。だが、それを求めるのはノスタルジーなのではなかろうか。気がつくと眠りに落ちていて、目覚ましの音で目が覚め、ぼんやりしていたらめざましの設定時刻を一時間していたということに気がついて遅刻しました。作業が終わって(終わらなかったけどね!!!)、スタジオを出ると雪が降っていて、車に積もっていた。社長とキャッキャと車の前で写真を撮ったりして、(そしてその後社長にターンテーブル貸してもらった)家に帰る頃、またプリファブ・スプラウトを聴いていた。普段は作業の終わりにはその日の成果を確認するのが常だったのに、今はどうしてもセンチメンタルな気持ちにならなきゃいけない気がしていたのだ。雪が降る道を走りながら「ジェシー・ジェームス・ボレロ」がかかる。環七から青梅街道に入ってしばらくすると雨になってしまった。練馬区が近づくにつれてちょっと道にも雪が残るように見えた。「グリーフ・ビルド・ザ・タージ・マハル」を聴いて本当に少年は死んでしまったのだろうか、と考える。
Grief Built the Taj Mahal, a song by Prefab Sprout on Spotify