幻燈日記帳

認める・認めない

ハリウッド・ハングオーヴァー

先日、TBSラジオのアフター6ジャンクションに出演して、最近好きな漫画を4冊ほど紹介した。平庫ワカさんの「マイ・ブロークン・マリコ」、トマトスープさんの「ダンピアのおいしい冒険」、衿沢世衣子さんの「光の箱」、灰田高鴻さんの「スインギンドラゴンタイガーブギ」の4冊。アトロクは定期的にキュレーターの方が面白い漫画を紹介されているので、話をいただいたときに「これでしょ、あれでしょ」と思っていたやつはほとんど紹介済みとなってしまっていたので少し焦ったのだけど、面白い漫画は次から次に刊行されていたので全く問題がなかった。ああ、素晴らしい(私の周りの小さな)世界。ものすごくどうでもいいのだけど高校生の頃に、漫研が「MANGA部に改名します。なぜなら漫画はこれから国際的なものになるので」みたいなことを言っていて「どうして漫画が国際的であるということをあなた方が背負って、どうしていまMANGA部と名乗る必要があるんだよ!!」と一人だけブチ切れたことを思い出した。あれに対してブチ切れていたのは城西大学附属城西中学校・高等学校のなかで本当に僕だけだった気がする。話を戻す。「スインギン〜」は1951年の東京が舞台。日本のジャズの話なんだけど読んでいて「そういえば1950年以前の録音なんてほとんど聴いたことがない(パッと思いつくのでレッド・ノーヴォとかメル・トーメの古い吹込みぐらい)」ということに気がついた。そこで更にまたひとつ思い出す。「きれいな女の子との恋愛と、ニューオーリンズデューク・エリントンの音楽以外は消えちまっていい。醜いだけだから」(という内容だったと思う。本棚のどこかに紛れてしまって正確に引用できないのだけど日記としてのスピード感を優先させるため。不完全で申し訳ない。各自読んで)というボリス・ヴィアンの「うたかたの日々」あるいは「日々の泡」の序文だ。それならば、と、著作隣接権の勉強会及び書類にサインするために集められたカクバリズム・ユース(mei eharaさん、VIDEOTAPEMUSICくん、澤部)の面々との署名会の帰り道に吉祥寺に寄ってレコード屋を何軒か見て、1945年から46年にかけて録音されたデューク・エリントン楽団のCDを買って帰った。「スインギン〜」が1951年が舞台で、「うたかたの日々」が執筆されたのは1949年だ。そのことを机の上に置いて、このCDを聴いてもう一度「スインギン〜」を読もうと思う。