幻燈日記帳

認める・認めない

断片集



夕方、頼まれ仕事で自宅作業。電気をつけなくても明るいものだね、とギターを弾く。難しいフレーズではない。量も少ない。だからこそ難しい。何度やっても何度やっても納得の行くものにならず、録音が終わった頃には作業部屋は真っ暗になっていた。かつてX JAPANのギタリストのHIDEさんは、ギターと出会う前までは肥満児だったが、ギターに夢中になるあまり痩せた、という話を少しだけ思い出す。空腹は僕の旧友だ。


加賀温泉郷フェスの楽屋こと宿泊部屋でぼんやりtwitterを見ていたら、世界中の4分33秒が聴けるし、こちらもアップロード出来る、というジョンケージのアプリの存在を知る。とても感動してしまった。世界中の音楽を聴くことが出来る現代。作品は近く感じても、実態や生活の呼吸は少し薄まっているような気がしている。知らない町の知らない誰かの4分33秒。アプリをすぐにDLして、世界地図に立ったピンを見て、音は聴かずに今は想像だけしている。


東京に梅雨がやってこなかった6月のある日、私は完璧な男子高校生と完璧な女子高生が手を繋いで歩いているのを運転席から見た。漫画のようであり、ドラマのようであり、そしてまた漫画やドラマではあり得ないほどだった。僕があの完璧なふたりに交わるためにはこのままアクセルを強く踏むしかないのだろうか。いや、私には音楽があるじゃないか。続けていればいつかはあの完璧なふたりのセックスのBGMになれるかもしれない。そういう日々がいつか来るのだろうか。暮らしに寄り添う音楽で在りたい、とその時は強く思った。


スプラトゥーン2をこの1年やり続けていて、あらゆる意味で本当の愚か者になれそうな気がしている。6月に出た拡張版ダウンロードコンテンツの裏ボスに全く勝てない。普段、ゲームをやる時は音楽を聴いたり、radikoでラジオを聴いたりするのだけど、裏ボスが撃ってくるミサイルの回数を正確に把握しなければならないため、音楽もラジオも聴けず、3,4時間ほどひたすらシオカラ節を聴く羽目になってしまった。子供の頃、ドラクエを3,4時間やった時に夢にまで音楽が這ってきて以来、ゲームの中の音楽はあまり真剣に聴かないようにしていたのだけれど、今夜少し怖い。先日、取材のため、ある漫画を読み返したのだけど、不穏な雰囲気に飲まれ、悪夢とまで行かないまでも私の布団は仙台市のある町に在ったのだった。こうして久しぶりにまとめて日記を書いているのも、浄化だ。セラピーだ。悪い夢は見ないに越したことはないのだ。