幻燈日記帳

認める・認めない

正気でいたいなら

仕事の手もはかどらず、仕事ではない作曲もほとんどできず、もともと引きこもりだったけどさらに箔のついた引きこもりになってきていて、やれ喘息がどうの、やれ扁桃腺が少し腫れてるだの、やれアレルギーで鼻が通らないだの、些細なことが積み重なり更に扉を重くさせている。締め切りが確実にすぐそこで微笑みかけているのに(「どれ、もっと近くで顔を見せておくれ」と私によく似た老人は言うだろうか)、どうしても歌詞が書けなくて、どうやって歌詞を書いていたか1週間ぐらいかけて思い出そうとしたんだけど、思い出せないわけではなくてそこに蓋をしているだけだと気付いたのだ。だが、そんなことだって、もう1週間も前にはわかり切っていたことだった。

 

PCで作業をしながらプリファブ ・スプラウト名義で再発されたパディのソロを聴いていた。鳴り出した音の瑞々しさ(のようなもの)に震えながら「ああ、夕立なんてものがかつてあったよな」とカーテンに手を当てて外を眺めた。そんなに都合のいいことはないよね、と再び作業に戻って10分ぐらいしたら外から雨の音がしてきた。私の勘も鈍ったものだ。

 

どうしたら気持ちが軽くなるかもわからず、垂直に腕をあげたり、肩をぶん回してみるだけみるような日常なもんだからNICE POP RADIOの収録に全振りしている。普段のNICE POP RADIOは収録の前に1日予定を空けてその日にガッと選曲して、収録の当日にあーでもないこーでもないと曲順を決めていたのだけど、狭義の仕事は確実に減っているので選曲にやたら時間がかけられて楽しい。スタジオに行かない弊害は確実にあって、たとえばゲストが呼びづらい。現在はzoomで京都のディレクターとやりとりしながら音声を録音して送る、というやり方。音源はzoomを介して再生されるのだけど、そうすると音がとにかく悪く、通信状況ではコマ切れになったりしてしまうのだ。ゲストを呼んで「この曲いいんすよ〜」ってやるようなプログラムだから、どうしてもなかなか呼びづらい。ゲストがいたとして、二人のやり取りの音質をZOOMでどこまで保てるかは最近のラジオを聴いているとよくわかる。はやくどうにかなってほしい。だけどもとっても燃えてはいるのでここ2ヶ月ぐらいの選曲リストを見ると「いいな〜」と我ながら思ってしまう。

 

もう2,3ヶ月前の話だけどひょんなことから「ペット」をみた。あの大蛇が大きなブロックに潰されて死ななきゃいけない理由なんてあったか?とずっと思い続けている。僕には映画を見る才能がない。

 

部屋の掃除をしていたら16ページ目にしおりが挟んである新書が出てきた。そういえば買ったよ、これ、でもどうしてこの本を読もうと思ったのか思い出せなくて過去の日記、ツイッターiPhoneのメモにある「ひとからのおすすめ」や、ノートにまで遡ってみたのだけど手掛かりは見つからず、僕がこの人の影響なら普段読まない本も読みそうだな、という人のツイートを何人か見て行ったらようやくうすやまさんのツイートだったと思い出せた。どうして16ページでしおりを挟み、万年床の下から出てきたのかということこそ思い出したくもないが今度こそ少しずつでも読んでいくことになるといいな。