10月18日
ライヴの前に福岡に前乗りしてキャンペーン。ラジオ数本。栗田善太郎さんの番組で楽しく話す。podcastにあったのでシェアハピ。夜はもつ鍋を食べる。ひと月も日記を書かなかったから記憶が薄くなってきていて悲しい。
11月9日放送分 - blank verse | Podcast on Spotify
19日
昼間はハイダルでカレーを食べて、レコード屋をいくつか回った。グルーヴィンで買ったカナダのミュージカル「赤毛のアン」は大当たり。ボーダーラインでもXTCのインスト盤2枚を見つける。子供の頃からの習慣としてXのコーナー見ちゃうクセが抜けないんだけど、滅多にみないアイテム。めちゃ嬉しい。「街の灯」出演。いい演奏ができた。共演のバンド、蜃気楼シング・シングも、みなはむさんのジャケットが最高でレコード買ってたコバルトボーイも一癖あって楽しかった。元インスタント・シトロンの松尾さんとインスタント・シトロンのゴローさんがDJで、特に終演後の選曲がバシバシささって最高だった。ゴローさんがかけてたThe New Vaudeville Bandは東京帰ってすぐ探した。
多摩の野外イヴェントに出演する予定があったので、早い時間の飛行機に乗るその前に、とダコメッカでパンを買っていたらジャーマネA氏から連絡が入り、強風のため中止との報せが入る。そりゃ仕方がない。安全が第一よ。寂しいけれど仕方ない。飛行機はずらせなかったそうでそのまま真昼の東京に降り立った。吉祥寺でサラダだけ買って家に戻り、たくさんのパンとともに平らげた。
某日
詩を書きながら、次のアルバムについて自分のケツをける。今年中に全曲完成させるゾ〜とかやってたら毎週1曲ずつ書かないといけないと気づいて椅子から転げ落ちるほど衝撃を受ける。やれないことはない、やるしかないんだ、今がその時だ、と言い聞かせたが、11月が終わりそうなの今、この瞬間の現状、てんでだめ。
26日
トーチのイヴェントとライダーズのリハーサル初日。楽器の搬入が大変なのに車がないからどうしよう、と考えた結果、実家の車を借りることに。スムースとまではいかなかったが車移動じゃなかったら多分泣いてた。リハスタ搬入→JIROKICHI→リハスタ。事前にライダーズのリハーサルが入っていたけどトーチのイヴェントは絶対出たい、と野田さんに相談して飛び込み・飛び出しでギリうまいことやれた。ライヴは漫画と親和性が高い曲を上からやっていく、というライヴになった。リハーサルも戻って順調。そのまま車を返しに実家に戻る。俺は何をやっているんだ。
某日
ライダーズのリハーサルが無事終了。笹川さんが「みていて今までで一番バンドっぽい」と言っていたのが妙に残る。
某日
ライダーズのリハが終わった翌日、ラジオの収録を終えて、新曲の歌入れとパーカスダビング。ライダーズのリハで耳と頭がよく働いていたので、その蓄積が残っていたのか、着くなり「顔色悪いですよ」とボーイに笑われてしまった。確かに信じられないぐらい集中できなかった。通常のプロセスを踏めた気がしなかったのだが仕上がりはよかったのでよしとする。
11月1日
ライダーズ本番。今回も優介と話し合いながら曲順を決めさせてもらった。「アマチュア・アカデミー」は音楽的には工業的・労働的な要素はあまりないが、当時のライヴステージではメンバーの多くがタンクトップを着て、鉄屑が敷き詰められ、最終的には爆音でオペラがかかる中、ステージに置かれた車を解体した、という。「マニア・マニエラ」は工業的・労働的な要素があり、その反動に「青空百景」があり、その延長と断絶の先に「アマチュア・アカデミー」があるのなら、どういうライヴができるだろう、なんて話しながら、「塀の上で」を1曲目に持っていくのはどうだろう、と提案。工業地帯から「アマチュア・アカデミー」を見る。圧倒的な過去から過去を見れば、現在がどう映るかも変わってくるだろう。反対されるかもしれないけど提出するだけしてみよう、となったのだが、採用となって嬉しかった。本番では「G.o.a.P.」「B.B.L.B.」「俺はそんなに馬鹿じゃない」が特にグッとくる。「B.B.L.B.」が終わった後の歓声はやたらと胸に沁みた。そして40年前は車を解体したエンディングでは、オペラを流しても何も壊さない、という演出を選んだ。40年前がどういう時代だったか、私には想像したり、資料を読むことしかできないが、これほど様々なものが壊されてしまった現在、我々が自主的に何かを壊す必要性はもうなくなったのかもしれない、と受け取った。
2日
東京蚤の市でライヴ。早起きと雨が身にこたえる。リハーサルで演奏した「ランプトン」がなんだか今の自分にしっくり来た。演奏を終えて、出店を見る。食事も摂る。ミトンの手袋を探していたのだけどいいやつがひとつ見つかった。最近はみんな指先があいたような形のものしかなく、純粋なミトンの手袋、しかも私の手が入るサイズのものはなかなかないのだ。嬉しい。空気公団のライヴをがっつりと見る。「レモンを買おう」で泣きそうになったけど、この日の「きれいだ」は絶品だった。ゆかりさんにもご挨拶。一緒に写真も撮って、物販も買う。古着を見たり、遠くから高野寛さんのライヴを見たり、限界まで楽しんだ。部屋に戻って翌日に控えたナイポレの収録のため、細かい調整&ザ・コレクターズの過去のアルバムを時間の限りもう一度聴き返していく。どうして「ぼくはプリズナー345号」がかけられないんだ、と自分を呪いながらも全体像のためにカットを決意。「わめいて気が済むほど子供じゃない 理くつでごまかせるほど大人でもないんだ この僕は」という詩には、本厚木から30分ぐらいかけてバスに揺られながらあの大学に向かう途中、「ぼくはプリズナー345号」を泣きそうになりながら聴いていた俺がまだいる。
ぼくはプリズナー345号 ‑ by ザ・コレクターズ | Spotify
3日
ナイポレ収録は無事終了。余波でコレクターズばかり聴いたらライヴにも行きたくなってきた。
飯を食っていると咀嚼したものが鼻の奥に張り付くようになってしまった。これはなんだ、と思ったらすぐ医者にかかるべきだった。
5日
昼、すき家のCM曲のマスタリング。無事納品できてホッとする。夜のスタジオの前に個人練習に入って曲を書こうとするけどうまくいかなかった。
8日
フレンズに誘われて大阪でツーマン。久しぶりのシャングリラ。フレンズと対バンするのはすごく久しぶりで2017年の年明けに行われたZeppでのライヴぶりだ。清竜人25、奇妙礼太郎さん、フレンズ、スカートという布陣で、お客さんはいっぱいにはもちろんならなかったけど自分にとって大切なライヴだった。狭間の時期だ。その時を一緒に過ごしたフレンズ。音楽的には決して近しいものはないかもしれないけれど、誘ってくれたことが嬉しくてライヴは気合が入った。その当時の曲を多めにセットリストに入れたのもそういう背景(と、ワンマンにも似たようなコンセプトを自分なりにあてがっていて、偶然に一致したというの)があった。フレンズのライヴは衝撃的だった。随分観ていない間にさらにショウ・アップされていた。ただ曲を演奏して、その隙間に入り込んでもらうようなステージをしていた我々とは違い、なんとフレンドリー、なんとアウトゴーイング。昔大森靖子さんが「いい曲書くだけじゃダメだ」というようなことを言っていて、あれから何年も経ったけど、その言葉がどこかに傷をつくり、跡が残ってしまっている。36歳にもなって私はいつまでシャイぶっているんだろう。
某日
買い替えた車が届く。当分・かなり・キツい。黄色いNBOX。「朝 目を醒まして最初に考えたことはなに?」
ロールスロイス ‑ by ピチカート・ファイヴ | Spotify
10日
新曲をアトモスのミックスも出す、ということが決まってそのサウンドチェック。よくわからない領域の話だからお任せしちゃおうかとも思ったけど結局顔を出した。しかしものすごく難しかった。ものすごく正直に頭を抱えて何度もあーでもない、こーかもしれないなんて言っていくうちに問題だ、と思っていた部分がクリアになっていき、無事に完成。興味深いミックスに仕上がって、聴ける人は聴いてみてほしい。完成して、やっぱり任せなくてよかったのかもしれないけど、モノミックスには立ち会ってステレオミックスは割とお任せだったという1967年までのビートルズの気持ちはちょっとわかった。苦悩したということだけ書き残しておきたい。
電車に乗って高円寺へ。JIROKICHIで吾妻光良トリオ+1とのツーマン、というかジョイント・ライヴというべきか。スカートの曲も吾妻光良トリオ+1が勤めてくれる、というスペシャルなライヴ。バッパーズに8ビートの曲なんてあったか!?ないよな!?さあ!どうなる!?とめちゃくちゃ心配だったけど音を合わせていくとバッチリ。特に「君はきっとずっと知らない」は歌ってて泣きそうになった。「CALL」も最初のベースを8分の刻みから全音符にしてもらうなどちょっと工夫するとめちゃくちゃよく仕上がった。想像もしたことなかったけど自分の曲で間奏や後奏がxtime(ソロのために、盛り上がりに応じて同じコード進行を回数を決めず繰り返すといえば伝わるだろうか……)になっていて、密かに感動していた。リハーサルに気をよくした我々は先輩たちの習慣に倣って事前打ち上げに参加する。酒が飲めない私は飲まなかったのだけど、そこでほどよくほぐれていくみなさんをみて、この日ほど酒を飲めないことを憎んだ日はあまりないだろうな、だなんて考えた。「ツェー万(1万)かかっちゃうよ」「いや、他にも費用がかかる。デー万(2万)コースだな」「そりゃエイメン(アーメン)だな」というやりとりに感動する。本番もドがつくほど緊張したけど「サイダーの庭」を演奏し終わったときの充実感が最高。はっきり言って荒い演奏だったかもしれない、でも何度も思い出すような夜にはなった気がする。
終演後、打ち上げで話し込んで、帰り道にも「楽しかった」と何度も言った。最近はライヴの後は「疲れた」か「楽しかった」しか言っていない。歳をとるわけだ。
ライヴで声の調子は良かった方だったのだけど、終演後ちょっと崩れる。明らかに腫れ出している。龍角散を舐めたり多めに水分を取ったりしたのだけど、部屋に着いた頃には唾を飲むのも痛くなり、眠る前にはしんどくなって、熱も出ていた。9年前に倒れた時の教訓として医師と相談し処方してもらっている抗生剤のストックが普段ならあったのに、たまたま切れてしまっていて、部屋にある喉に良さそうなものを全て試して眠りにつく。ここから2週間近く、食事はずっと具をたくさんぶち込んだそばかうどんになる。
11日
あまり眠れず、喉は痛くなる一方だし、熱も38度を越え、声もほとんど出なくなった。これはコロナ、インフルかもしれない、と部屋を出て内科にかかる。外に出た時、暑いのか寒いのかもわからず適当な格好をしてしまったが、待ち時間がとにかく長く、しばらく経って「これは寒いんだ」とやっと気がついた。検査をして、結果をきくとどちらも陰性。シンプルな扁桃炎だった。今年二度目だ。でも前回は声が出なくなるほど腫れはしたが、熱までは出なかった。結果に安心はしたのだけど、そのままはしごしようと思っていた耳鼻科の午前の診療に間に合わず、部屋に戻って午後の診療を待とうかと思ったがあまりのだるさにひたすら眠る。それでも熱はどんどんあがっていって、解熱剤を飲んでいるにもかかわらず真夜中には40.1度を記録。少なくともこの10年では一度もないし、人生でも初かもしれない。ひたすらしんどい。
12日
耳鼻科にかかる。カメラも入れてもらって現状をいろいろ診てもらう。とにかく声帯は無事。副鼻腔炎とかいろいろ発動していて、声が出てないけどその辺りが良くなればライヴも多分できる、とのことだった。多くの仕事をキャンセルしてしまったが、一安心してひたすら寝て、ひたすらうどんに生姜を入れ続けた。昨晩40.1を記録した熱も、昼過ぎには37.0にまで下がって、体も動くようになる。しかし頭がここにない。ずれている。ともかくバンドのリハーサルはキャンセル。これは……!という曲だけクリックとギターとメロディ弾いてスタジオに送信、ZOOMでスタジオに繋いでもらって簡単な打ち合わせを経て終了。不安だ。夜はまた発熱。
13日
延ばしてしまったNICE POP RADIOの収録。話し声はもう全然ダメ、カスカスぐらいのテンションで喋っていたけど、あとで聞いたらそこまで酷い声ではなかった。しかし喘息は悪化。お先真っ暗。
14日
yes, mama ok?のリハもキャンセルして安静・静養・耳鼻科にもう一度かかる。声は出るようになったがまだ歌うとなるとまだ制御がうまくいかない。どうしたもんか、と泣きつき、いくつか薬を処方してもらう。「出すか」「止めるか」で2種類薬をもらった。「出す」は出るけどその分、痰がどんどん出ます。「止める」は止まるけどその分、頭がぼーっとします。さあどちらを選ぶべきか。
15日
「止める」薬を選択してタワレコでインストア。「3〜4曲でいいんじゃないですかね」と不安そうにみるスタッフを「いや、今夜30分歌い切れないと明日はないっすよ……」といなし、8曲やるつもりでステージにあがったが6曲で切り上げてしまった。声は出る。でもコントロールの部分があまりにも難しい。「ストーリー」がこんなに難しい歌だったのかって久しぶりに思った。13年前にシェルターで弾き語りした日みたいな気持ちが戻ってきた。
帰宅後も声が酷くなることはなく、喉にいいことを全部やって本番に備えることに。
16日
昨日より良くなっている。安心する。しかし頭がここにない。ずれている。でもよかった。この数日生きた心地がしなかった。ライヴは一旦中止になったり延期になったりすると別のものになってしまう。それは2020年4月開催予定だった「真説・月光密造の夜」が延期になり、その半年後に開催された時に強く感じたことだった。「Extended Vol.1」が外向きの作品になった分、その反動が今夜のライヴで出せる、と思っていた。5人だけのスカートでやるための11/16。できるんだったらやりたかったのだ。ライヴはうまくいった方だと思う。5曲目ぐらいまで投薬と照明のせいで頭がかなり混乱して1カポの曲なのに曲の途中でカポしてなかった!となって2フレット弾けばよかったのに3フレット弾いたり、歌詞カード見ていて、文字も読んでいるのに、認識しているのに、頭に入っているはずなのに、声に出す段階でなにか齟齬が起こって間違えてしまったりした。録音を聴き返すと、決して万全ではなかったけど、その分丁寧な部分があって、バックステージに戻るとスタッフからはとても良かった、と迎えられた。「ヘロヘロになりながらもなんとか終わったライヴ」ではなく、プラスアルファの何かはたせたような気がした。2時間はやったんじゃないか、と思っていたが、90分ほどのライヴだったらしく、終演後、車を取りに駐車場に向かうとまだHMVが開いていた。普段のライヴだったらもう閉まっちゃっている。なんというか、気持ちが助かった。人もまばらな夜のレコード屋。知らぬ間に傷ついたどこかが癒えていくのを感じる。新入荷だけ見てJoan Baezの「Any Day Now」というレコードのジャケットがなんとも抜けが良くて購入。ボブ・ディランの曲ばかりカヴァーしたレコードで、よくわからない音楽でもあったんだけど、それと同時に、ああ、いまこれを聴きたかったんだ、という部分もあって、自分でも複雑。
Love Is Just A Four-Letter Word ‑ by Joan Baez | Spotify
17日
体調がいい。突然コミティアに行くことにした。今回はしばらくお休みしていた成年漫画家rcaさんが新刊を出すというのと、志村貴子さんが「放浪息子」のスピンオフ?と言っていいのか?登場人物、千葉さんと高槻さんのルームシェア本が出る、というのに突き動かされた形になった。行くならいろいろ欲しいものがある。藤本和也さんも新刊出すと言っていたし、川西ノブヒロさんも、タカラさんのスペースも見たい。とにかくコミティアはいいところだ。いつも希望しかない。湯治に行くようなものだろう。紳士なので成年漫画の島から回っていく。最初に立ち寄ったのもrcaさんのところだった。成年漫画はあまり深追いせず。そこからティアズマガジンを片手に興味があるジャンルを中心に端から端まで回っていく。段々と体にコミティアが充満していく。でも何かが足りない気がしてしまった。それが一体何なのかわからない。しばらく見ていくとあらゐけいいちさんのスペースに友人・知人がいっぱい。最高。買えないだろうなと思っていた新刊も買えた。相模さんは百合島かな、と回ってみたけど見つからなくて、ティアマガで調べてみると一棟離れた場所(東7,8ホール)にいる、と知る。東1-6を巡って、7-8ホールに入った途端、「これがコミティアだ」と不思議と思えた。足りないと思っていたものの全てがここにあるような気がした。入ってすぐののもとむむむさんのスペース、つのさめさんのスペースがあって嬉しくなった。端から端まで歩くだけであのサークル、このサークル、あの友人、その友人がいる。「金子朝一来てるらしいよ」と言われると「いつか会えるっしょ」だなんて思える。結局朝一には会えなかったけど、靴下ぬぎ子さんのスペースで買い物しているとイイヤンさんに会えた。そして圧倒的な寂しさが胸に押し寄せる。「Extended Vol.1」や「火をともせ」は配信限定だからここに並べることができないのだ。私はここにいるのに、魂がない。そんな気持ちになった。
車を買ったことから来る金欠のため、買うアイテムをめちゃくちゃ絞ることにしたけどそれでもあっという間に用意した金のほとんどがなくなってしまった。今回は過去いちばんぐらいに会場で声をかけられた。漫画がお好きな澤部さんならいるよね、という人からどうしてここに……という感じの人まで多く声をかけてくださってうれしい〜。さらには本をくださったすこやかあんこう鍋さん、犬の畝のぼるさん、GUTCHさん、リサショのつどいという合同誌をくださった方(お名前失念!申し訳ない!)、あと新刊買ったらおまけで前のやつつけてくれたオベチミミさんもありがとうございます……
家に帰ってしばらく経って川西ノブヒロさんもタカラさんも行くのわすれた、と気がついてしまった。やはり計画的になった方がいい。