1日
豪の部屋に出演。家を出る前に妻から「余計なことをしゃべるんじゃないよ」と釘を刺される。私も私自身で釘を刺した。雨の予報を無視して部屋を出てしまって、渋谷で立ち往生。コンビニで傘を買ったら1000円して、私と現代と現在への憎悪がメラメラと燃えさかる。ほんのり遅刻してスタジオに入る。実際とても楽しく話せたので多くの人に見て欲しい。余計なことはあんまり言わなかったとおもう。私としては同性の方から向けられる性的な視線や行動についてのトラウマの件を話せて少し肩の荷が下りて大変助かった。
(エゴサーチしていたら吉田のコバーン派?コベイン派?の何が面白いのかわからない、と言ってる方がいて、なるほど、確かにわからない人にはわからないかもしれない、豪さんもキョトンとしていたような気もする……ので、説明する。「なんだお前らロックの話もしないのか」という軽口に対して、日本ではカート・「コバーン」とされてきたけど、本国の発音としては「コベイン」のほうがより近い表記になるし、ちょっとツウぶった態度を取れる。それを指して「コバーン派?コベイン派?」と言い放った。確かにロックの話ではある。が、まったくロックの話ではない、とも言える。どちらでもあり、どちらでもないというその鮮やかさ!私はまるで手品でも見るような気持ちで爆笑していた、という話でした。)
放送が終わって外に出ると雨はもう上がっていた。右手に持つ傘が1000円に感じる。
2日
「ONCE ダブリンの街角で」の上映がある、ぜひコメントを、と連絡がきたので見返す。2008年とかだったと思うんだけど、おかもとだいすけ先生に連れられて行った夏合宿で観せてもらったのが最初で、あの時は「人と映画をみる」ということがほとんどなかったはずだから、妙に緊張したのを覚えている。あの頃はただの学生、よく言ってもシンガーソングライター志願者で、今も似たようなものだけど、状況は少し違う。そうしてこの映画を見ると、また違った見え方をしてくる。とにかく冒頭、街で弾き語りしているシーンの音響にものすごく引き込まれた。音が散って散って仕方がない感じ。このひと月、音響設備のある場所でたくさん演奏したからか、ものすごく羨ましく思えた。今見れてよかった。これ、リンダリンダリンダもそうだけど、(20年近く前の特別な思い出は一度棚上げして)スクリーンで見る人羨ましいっす。
3日
半蔵門でラジオの収録をした後、高田馬場の甚三といううどん屋に行く。冷たい肉醤油うどんを食べる。確かにうまい、と食べ進めて、「邪道かもしれないけど調味料推奨」と書いて貼ってあったので、試しに卓上にあった黒胡椒をガリガリかけてみるとまた自分のなかで表情が変わった。うどんと黒胡椒、せいぜい釜玉バターでしかお目にかかれない組み合わせだが、全然冷たい醤油うどん+生卵でもオッケー。こんなにマッチするなんて知らなかった。感動した。
某日
アフター6ジャンクション2で上半期のおすすめ漫画の話をするため、積んでしまっていた漫画をひたすら読む。今年の前半はチリチリ言ってるぼんやりとした頭をガツンといかれる傑作揃いだから迷いに迷ってなんとか提出。ファミレスでこうの史代さんの短編集読んでてたらあまりの素晴らしさにさめざめ泣いてしまって、かばんを探ったらイギー・ポップのタオルが出てきたのでそれで涙を拭った。
こうの史代さんは高校生の頃に知って大学時代をかけて夢中になって読んで、新作が出版されては大喜びしていた。でも10年以上、こうのさんの新作を読めていなかった。それは新刊の内容が古事記や震災、仏教、と描かれる題材に距離があるように思えて、「今回は多分私に向けての作品ではない気がする」とか横柄なことを考えて、読まなかったのだと思う。書店でのパトロールで今回のこの短編集の出版を知り、手に取って、買って、制作でチリチリ言ってるぼんやりした頭で読んだ。冒頭に収められたMONGOL 800「小さな恋の歌」を題材とした作品にガツンとやられた。MONGOL 800のヒットを横目に違う音楽を聴いていた子供だったし、友人たちもカラオケで歌うこともなかったと思う。
「小さな恋の歌」にちゃんと触れた最初はいつだろう。金魚草の伝説のGIGをノーカンとしていいならばおそらくラヴィット!で東京ホテイソンのタケル氏が歌ったのを聞いたのが最初だと思う。その時に「永遠の淵」と歌われていたのを聞いて、よくも悪くも違和感があったのだが、漫画の中にもその言葉が出てきて、楽曲と同じように、よくも悪くも違和感を受けとった。あとがきを読むと「「永遠の淵」という言葉はもっと上手く消化できたらよかった」と書かれていて、勝手に感動する。それは、私もこうのさんも同じだったのか、という驚きに近い感情だった。
「小さな恋の歌」には自分にはどうにもならないこと、どうやっても届かないことが描かれている。大袈裟にいうならば、構図としては「ミノタウルスの皿」のようなものかもしれない。そういうふうに一度見えてくると、読み返していくうちに涙が溢れた。これは良くない、とかばんを探るとイギー・ポップのライヴで買ったタオルしかなくて、イギー・ポップのタオルで涙を拭った。
イギー・ポップは母が若い頃に夢中になったアーティストで、高校の卒業アルバムの寄せ書きにはイギー・ポップについての言及があるほどだ。あれから40年以上が経ち、今ではイギーは「パンクのゴッド・ファーザー」の異名を取るレジェンドだ。私の子供の頃のトラウマに「ファンハウス」のジャケットはあるし、ミドルティーンの頃に読んだ「イディオット」の日本盤の解説に書かれたライヴの様子を伝える生々しい文章はショッキングだった。イギーの音楽をちゃんと聴いたのはデヴィッド・ボウイを好きになった高校生以降だったはずだ。すべてのアルバムを聴き込んで大好きなアーティスト、というわけではない。今となってはほどんど聴かないレコードもあれば、そもそも聴いたことないタイトルだっていくつもあるが、私にとってイギー・ポップはやはりちょっと特別な存在なのだ。私は先日の来日公演で私はイギー・ポップのライヴをはじめて体験したのだけど、それが本当に特別な体験になった。数日のうちはイギーのことしか考えられず、母には「アメリカでもブラジルでもいいから絶対観にいったほうがいい」と連絡をした。そのライヴ会場で記念としてグッズのタオルを購入していて、それがたまたまその日、カバンの中に入っていて、たまたまその日こうの史代さんの短編集を読んで涙を流したのだ。うまく説明できる気がしないのだが、イギーのタオルで涙を拭った瞬間は非常に特別な瞬間に思えた。まったく触れてこなかったもの(小さな恋の歌)がこうの史代さんによって解かれ、そこで揺れ動かされた感情をイギー・ポップが支えてくれた。自分が選ばなかったもの、選んできたもののいくつかがその瞬間に交差したのだ。その瞬間は「たった今、澤部渡という人間が完成した」とさえ思ったのだけど、冷静に考えるとちょっとよくわからない。でもそう思ったことだけは書き残しておきたい。
某日
締切はあるが予定がないことをいいことにとにかくたまりにたまったラヴィット!を消化しまくる。みなさんはいま2025年7月を生きていると思いますが私はまだ2024年の11月にいます。しかし11月めちゃくちゃ面白い。チャンスさんのニューヨーク不動産もあるし、悪口を畳み掛けるカードゲームも最高だったけど、若槻千夏さんのグラビア撮影旅が最高だった。窓に吹きかけられた霧吹きに対して外野のモグライダー芝さんが「お酢です、お酢」と言っていて感動する。なんて意味のないやりとりなんだろう!
その後、2025年1月の放送にようやく入ってひと安心。だがカレンダーは7月の終わりを指し始めていた。
9日
医者にかかる。こうして医者にかかったのは半年ぐらい前、あたたかい紅茶を飲んでいたら信じられないほど前歯が痛み出し、唇まで痺れ出した、ということがあった。慌てて歯医者に行くと、全く問題なし、との診断。だったら一体なんなんでしょうね……と医師と話すと、「シビれっていうのが怖いですよね。脳神経外科とか行ったほうがいいかもしれません」という話に。そのまま次の日から脳神経外科に通うことになり、血液検査等いくつかのチェックをして、太りすぎててMRIを通過できなかったことと血圧が思いのほか高かったと言ったような悪いところに目をつぶればほぼ問題なく(©️大鶴肥満氏)、そういう中で「CPAPでもやったほうがいいのでは」という話になったのだった。何年か前に一度トライしたのだけど、CPAPが保険適用内になる数値にあと0.1足りなく断念していたが、制作のプレッシャーから眠りが浅い毎日の只中にあった私にかかれば、検査の数値は問題なく保険適用内にまで手繰り寄せることができた。かくしてCPAP生活がはじまるのだが、問題が発生。重度の鼻炎持ちである私は口に空気が送り込まれるようになるカップを装着することになった。扁桃腺があほみたいにデカくてただでさえ喉が激弱にそれが耐えられるだろうか、という疑問が湧き、ツアーが終わるまでは使用はやめておこう、となっていたのだった。そうして!ツアーが!終わって!ようやく試してみたのだが全くうまくいかない。1週間ぐらい試してみたのだけど、思ったより乾燥はどうにかなりそうだった。でも口呼吸である、寝相が悪い、このふたつがどれだけCPAPに向かないかが痛いほどわかった。送られてきた結果を医師とみながら、私はまた遠い場所にあった。「一旦……昼寝するときとかに装着してみて慣らしていきますね……」なんて遠い目をして答えることしかできない。
某日
選挙が近づき、SNSを見ていて悲痛な気持ちになる。Twitterはもうグンナイ。これからはblueskyの時代だ。人が少なくて過ごしやすいです。
某日
作曲仕事。久しぶりだから最初はうまくいかない。どうしたもんか、と手だけ動かしていくうちにどうにか形になっていった。
某日
ポニーキャニオンの社員さんや業界の方々と飲みにく、という珍しい夜。楽しくて2時ぐらいまでお茶を飲んでいた。音楽の話が聞くのも話すのも嬉しい。
16日
京都でDJ。カバンに7インチを詰めて京都に入る。たどり着いてみると豪雨であまり歩き回れもせず、粛々とDJをやる。とても楽しかった。和ろうそくのゆるキャラが踊ってくれたのがとてもグッときた。ナイポレのディレクター、Y氏から「祇園祭の日だからホテル早めにとったほうがいいですよ」という連絡を受け、カクバリズムにそれを伝えたのだけど、タイムテーブルをみたタッツから「これなら日帰りいけるよね」と言われ素直に「……はい」と言ったことを悔やむ。DJがはねてあまり深い挨拶もできないままに会場を後にして、タクシーで京都駅に向かう。華やいだ夜の街、浮ついた夜の街が少しずつ遠ざかっていくのをただじっとみている。私はどうしてこのまま帰るんだろう。最終の新幹線を少し待って東京に戻った。
ハンドメイドインジャパンフェスに弾き語りで出演。ビッグサイトの西ホール。いつかのコミティアで来て以来だったから懐かしく思ったりする。7年ぐらい前に出たときも思ったけど、やっぱりビッグサイトでライヴをやるのは本当に特別。万感の思いだからこそ、ストーリーとかいい出来だったと思う。嬉しい。
終わって少し回ってタコスを食べてビルボードに移動する。ギリギリトリプルファイヤーのライヴに間に合った。演奏は素晴らしく、フジロックをピークにする、と思っていたけど、この日はこの日の別の頂であった。かくありたい。1曲目からトーン・クラスターが陰謀論に堕ちていく描写が危うくも眩しい「ユニバーサル・カルマ」で、アンコールでは「愛の言霊〜spiritual message〜」が演奏された。1987年生まれの我々として、「愛の言霊」は特別な意味がある曲だと思う。ひとつの円を描いたように見えた。
22日
「ONCE〜ダブリンの街角で」の上映に登壇するのでジョン・カーニー監督作品を見ていた。音楽のあり方としてはファンタジーに振り切り、物語を通した音楽の楽しさが存分にはじける「はじまりのうた」は最高だった。なにかが始まることへのワクワク感みたいなものには抗えない。続いて、当時見ようと思ったけど見ていなかった「シング・ストリート」は本当にめちゃくちゃ楽しく見ていたはずなのに終わる頃には自分のなかのどこかの部分が冷めていて、果たしてこれはなんだろう、と一日中考えをめぐらせた。昔から「84年以降の洋楽は難しく感じる」と思っていた、ということを鑑みるとなるほど、まんまその時代の話だから入り込めなかったのか、と一度は納得がいったのだが、どうやらそれも座りが悪い。それからまた考え込んで自分の中で一旦落ち着いたのは彼らが「いじめっこをローディとしてバンド仲間に引き入れる」という選択を取った、ということな気もする。こういうことをいちいち考えてしまうから映画は向かないのかもしれない。
某日
いとこが働いている老舗のちゃんこ屋が店を閉めるというので妻と実家チームでたずねる。中学生ぐらいの頃に来たぶりだったけどおいしくてもっとちゃんと来ればよかった、なんて思う。実家にも顔を出し猫と戯れる。
某日
作曲仕事で曲を書く。締切がめっちゃ近かったため焦って弾き語りのデモを送ったらやっぱり反応が芳しくなかったのでもうちょっと作り込んで、Bメロとか変えて再送。
某日
アルバムの狂騒が嘘のように落ち着いた。仕事で初めて一緒にやるチームと楽曲を作っていった。web上でやりとりしていたのだけど、安田くんの采配でスタジオを押さえて、そこであーだこーだやっていくことに。意外とやれること少ないんじゃないかな、とか考えたりしていたけど実際顔を合わせるとああやってみませんか、こうしてみよう、とかアイデアが出て楽しかった。
28日
トリプルファイヤーの勇姿をアマプラで見届ける。本当に素晴らしいライヴだった。
30日
小西康陽さんとツーマン。緊張してギリギリまでどういう曲をやるのか考えた。カヴァーネタをいくつも仕込もうと「日曜日の印象」の耳コピを始めたりしたのだけど、結局こんな機会は滅多にないのだから、とスカートの曲ばかり演奏することに決めた。しかし実際のステージは1曲ずつ演奏する、というもので流れ上、カヴァー曲が必要だと感じてチャクラの「まだ」を選んだ。もっと適切な曲があったかもしれない。でもこれだったよ。
小西さんのシンガーとしてのライヴを見てからピチカート・ファイヴの聞こえ方が変わったのだけど、弾き語りのライヴを見てからは小西さんが提供した曲の聞こえ方も変わってきた。どういうことか自分でも説明しづらいのだけど、たとえば深田恭子さんの「キミノヒトミニコイシテル」が小西さんの声で再生することができるようになった。歌というのは本当に不思議だ。最高。
手元を追ったり口元を追ったりしながら次になんの曲をやろうか、という贅沢な時間が流れた。
当日、モナレコードのビルの屋上に登った。喫煙者はそこでタバコをすうらしいが私はただの物珍しさから屋上に登った。景色ははっきりいって風知空知(現・シ寅屋)の方がいい。でも高校生の頃から通っていたモナレコードが形を変えてこうあって、そして今日があってこの景色なのだから、特別なのである。人生というのを大いに感じる一日になった。