幻燈日記帳

認める・認めない

LONG ROAD HOME



メジャーデビューしてからプロモーションが積極的になった。学生の頃に「もはやメジャーとインディーに差なんてないよ」と言われて「うむ、全くその通り」と思っていたけど、それはバンドマンの目線ではない部分だったのかもしれない。演者の視点になれば差はちゃんとある。でもどちらが優れている、とかそういう話ではない。ある目線を持てば「もはやメジャーとインディーに差なんてないよ」と言われて「うむ、全くその通り」とうなずける自分も居る。というわけで怒涛のプロモーション行脚でした。新宿でインストア、翌日は京都でインストア。京都で一泊して京都でラジオを2本。移動して大阪でラジオ4本、取材を2本。大阪に一泊して神戸に移動してラジオを2本、大阪に戻ってラジオを一本。新幹線で名古屋に移動してインストアからのラジオ1本で終了。『20/20』リリース時のプロモーションはスケジュールがハードだったのもあるけど、とにかく慣れていなかったラジオの生放送とかがバンバン入ってくるプレッシャーみたいなのがあったけど、流石に慣れたようで前回みたいにならなくて済んだ。特に印象に残っているのは名古屋でのインストアだ。平日の18時という思い切りのいい時間設定で開催されたため、人はまばらだったけれども、この時間でもいけると思った担当者を、この時間でもいけると思った担当者を許したメーカー、マネージメントを後悔させ、自分の集客力のなさへの恨みをブーストさせるようないいライヴをしなければ、となったわけではないが、結果的に忘れられないいいライヴになった気がする。


東京に戻って14時間ほど眠った後、恋人とジャニスへ最後の返却をしに行った。返却もそうだけど、会員限定のセールが始まっているのだ。店内の一部の商品を除いて全品均一の値段での放出。ニュースを聴いた時は「うれしいね、貴重なCDもたくさんあるから僕も欲しいものは買わなくちゃ」と楽観的に見ていたけれども、いくつかのCDを手に取ってふと冷静になった。いま手に取っているCDはここへは返ってこないCDだ。いつ行っても具合が悪くなるぐらいのCDの量だったジャニスからどんどんCDが減っていく。閉店が決まったレンタルCDショップは亡骸なのだろうか。我々はその死体に群がるハゲタカなのだろうか。あるべき姿と生前の姿を混同してはいけないのかもしれない。このまま何枚か手に取ったCDを戻すことも出来た。それでも欲望に負け、その後も店内を物色するのであった。


気がついたら13枚も買っていた。当時は憧れだったレコードサイズのバッグも頂いた。ジャニスを出て、コミック高岡で早売りの鶴谷香央理さんの新刊を2冊買う。書店を出る。街はもうすぐ冬。コートも着ないで街へ出れるのもあと少しだし、実際もう寒い。街路樹も寒そうじゃないか。ふと思う。「こうやってジャニスに行って高岡で早売りの漫画を買うなんていつぶりだったかな」。そう思った途端に涙が溢れてきた。急いでコーデュロイのシャツでまぶたを拭った。その後、辛いものが苦手だったあの頃は行かなかったエチオピアで9倍に辛くした豆カレーを食べて家に帰った。道を間違えて明治通りを走っていたら自転車に乗る知り合いとすれ違う。すごい速さでコンビニに入っていくのが見届けられたのが、なんとも言えず良かった。帰りの車ではTMBGを聴いた。ジャニスで恋人が「あれ?TMBGはいいの?」というのですっかり忘れてた!と当時借りた1stと2ndのデラックス・エディションみたいなやつを買っていたのだ。いつかのyes, mama ok?のライヴのアンコールで、金剛地さんと二人で"Kiss Me, Son of God"をやった事を思い出す。客として行ったライヴで金剛地さんがひとりで歌っているのを聴いたこともあった分、あの時の嬉しさは今でも忘れられない。


部屋に帰って仕事をいくつか。あれの原稿なおして、あれのミックス確認して、セットリストを改めて精査して。悲しいことばかりではないと思うけど次に向かうのならここにいられないなんて。
https://www.youtube.com/watch?v=OcgHzfPzQu8

母校GIGによせて



9年前のライヴ録音を何日か放置してしまった炊飯ジャーをあける気持ちで聴いてみる。2009年11月1日、場所は昭和音楽大学。イベントの屋号は「一流音大生」だった。大学1年生の時に同級生たちが学園祭でおでん屋をやる、という話を受けて「そのおでん屋に参加するなんていつ言ったっけか」とお茶を濁して以来、学園祭の期間中は学校に近寄りさえしなかった(と思うんだけど記憶は曖昧だ)。そんな学園祭のステージに4年生になった時、下級生、同級生、先輩に手伝ってもらって立つことになった。僕が家でゴロゴロしていた頃、サトちゃんはどんな気持ちでおでんを売ったのだろうか。ともかく、その時の録音だ。レコーダーの設定が適当だったこともあって音質的には記録程度のものだけど、当時の息遣いだけは伝わる。遠い昔を思い出す。大学生だった頃の自分は、青臭くて〜だとか、世間知らずで〜だとか、まだまだどうやって行動すればいいのかわからなくて〜だとか、言おうと思えばいくらでも言えてしまうだろう。ほうぼうで当時を振り返り「友達がいなくて」だなんて言っていた。馴染めなかったのは事実だけど、大事な友だちもいた。先輩たちは優しくしてくれた。理解してくれた先生もたくさんいた。白髪の紳士、高田先生のポピュラー音楽概論の授業で「みなさんの中でビートルズの「イエスタデイ」を知っている人はいますか?」と訊くと教室の全員の手が挙がった。「ではビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」という曲を知っている人はいますか?」と訊くとほとんど手は挙がらなかった。僕だけだったかもしれない。高田先生は不思議そうな顔をするわけでも、絶望したような顔をするわけでもなく「では今日は予定を変えてビートルズの「サージェント・ペパーズ」というアルバムを聴いてみましょうか」と言った。まどろむ教室の中で音楽が鳴り響いていた頃を思い出す。高田先生からはハーブ・アルパートDJ KRUSHを借りたりした。あれが2006年の秋の頃だったはずだ。その翌年には在学中にいくつかのライヴを手伝ってもらった森先生とも出会った。トッシュ先生の授業も2年からだったはず。アレンジのおかもと先生は3年生の時。大好きな「幻想王国のコレクターズ」やMIDI時代のエンケンさんを録音されていた湊監督も3年から。牧村さんも2年の末には出会っていたけど、授業に出たりするようになったのは3年になってからだったはず。そして3年生になった頃に優介や今井くんみたいな後輩たちが入ってくれて本当に生きるのが楽になった、と思っていたはずなのに、そのライヴ録音を振り返るとそれでもエネルギーが内へ内へ向かっていたことに気がついた。ちょっとした歌の端々から漏れるヒリついた感じ。メロディからはみ出して声が漏れる瞬間。過ぎたことだと飲み込めるようになってきたけど、それらは僕がなくしてしまったものかもしれない。どうにもできなくて、音楽の外にそれらが放出されていく危うさみたいなものが確かにあったんだろう。音大に居ながら、その道が見えなかった。体と頭と心がバラバラになりそうな人間をどうこうする施設ではないのだから、当たり前だ。それでも22歳だった僕はもがいてもがいて卒業制作のような気持ちで「エス・オー・エス」というレコードを作り上げた。あれから8年、10/26に母校でライヴをする。あれからたくさんのレコードを出した。つまりはレパートリーも増えた。ライヴを何本もやってきた。それに体と頭と心をどう動かせばいいのか、あの頃よりは少しは分かっていると思う。10/26は昔の曲もやります。それはひとりだったり、森先生とだったり、チェロの方も来てくれるのでもちろん「ハル」とかやります。でも森先生とは最近の曲をふたりでやったりもするつもりです。そしてバンド本隊も登場して、現在のスカートを見てもらえたら、と。18:30と開演が早くてすみません。チケットの詳細はこちらから。https://t.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=1844060&rlsCd=001&lotRlsCd=
僕が昭和音楽大学で学んだことは楽器の技術や、アレンジや、プログラミング、曲の作り方や、エンジニアリングとかだけではなかった。というか挙げたものは取りこぼしてしまったことばかりだ!それが見せられる夜にしたいです。
最後にゴウスツでうたってくれた藤岩聡子さんことサトちゃんの卒業制作を紹介します。https://soundcloud.com/sfpl/nuno この曲はドラム、ベース、ギターを僕が担当していて、マンドリン今井師匠。ローズはサトちゃん。トランペットは誰だったかな。プロデュースは牧村さん。すでに録音していた硬質なドラムを牧村さんからの提案でこの曲はドラムをブラシで叩くのはどうかな、なんて今の形に落ち着いたのがとても印象に残っています。

パーフェクト・ワールド



40歳になる前にお酒かタバコか爆音環境のどれかを克服しないと未来はない。でかけた帰り道にそう思った。我々の聖典pizzicato five / パーフェクト・ワールド参照)には「パーフェクトな一日は目覚めてすぐわかる」と書いてあるけれども、難しいよね。私は渋谷駅ですれ違う人、人、人のうちのひとりが僕が大好きな大阪のたこ焼き屋会津屋の紙袋を下げているのを見てパーフェクトへ近づくことはできるのではないか、その努力は美しいのではないか、と考えた。スマホで調べてみるとちょうど東急の催事場で「第十四回なにわうまいもん市」が開催されていた。エレベーターで8Fに向かい、たこ焼きだけではなく豚まんやふわふわのだし巻き卵を買った。気分はとてもいい。あと少しでパーフェクトな気がする。聖典をもう一度開いてみる。「パーフェクトな世界は愛に溢れてる」のだ。シブツタに寄って衿沢世衣子さんの新刊も購入。渋谷を後にして新宿で途中下車してCDを2枚ほど買い、タピオカミルクティーも押さえた。荷物が異様に重いことを除けばとても気分がいい。電車の中で衿沢さんの新刊も読んだ。雑誌で読むよりもストレートに頭に入ってくる気がするのはなんでなんだろうか。電車の中で読みきれず、最寄りのホームのベンチに座って続きを読んだ。私はこの時間が好きだ。誰もが家路を急ぐ駅という場所で、誰にも急かされずに電車が何本来ても私はそこでページを捲るだけだ。聖典には「パーフェクトな一日は誰にもやってくる」と記されている。部屋に戻り、私の努力はちゃんと美しいものだったのだろうか、と部屋で買ったCDを聴いたら少し違和感があって、ちゃんと調べてみると正規の再発ではないことがわかった。正規の再発でないものなんていくつも買ってきただろうけど、今夜ばかりは分が悪い。買ったCDは1500円、紙ジャケットでの再発のものだったが、11月にある正規の再発は3240円だった。ボートラは15トラックもついているそうだ。でも聖典に目を落としてみる。「パーフェクトな世界がいつかはやってくる」のだろうか。本当は今日、友人の結婚パーティがあったのだけど、そこでうまく立ち振る舞えなかった。クラブという環境に萎縮した形だ。普段あまり聴かないような音量で音楽がかかっていた。私は耳が弱い。すぐにだめになってしまう。喉も弱い。音楽に負けない声量で話かけることに躊躇してしまう。友人が沢山いたのに、たったの二歩を踏み出して「やあ」と声をかけることができなかった。クラブのフロアーで一番暗い場所に腰をおろし、そうして私ははしごを眺めた。あのはしごはどこへ繋がっているのだろうか。少なくとも大行列のバーカウンターでもDJブースでもないだろう。私もそこに連れて行ってくれ。それでも新婚の二人に大いなる幸せが降り注ぐべきだ。本当に、心からそう思う。フロアの奥の方から見た二人は遠くにいるのに幸せだということがわかった。あのふたりを見れただけでも素敵なパーティだったと胸を張って言える。

レコ日記



そうして10月になってしまった。お前の手のひらには何が残っている?罪滅ぼしに名古屋でのキャンペーンのライヴが終わり、帰りの新幹線が来るまでの時間、レコード屋をいくつか回ったときに買ったものを挙げていきます。
最初に行ったのはミュージック・ファースト。栄のはずれの方にあったお店が矢場町のPARCOの横に移転してからも名古屋に来るたび、時間があるときは行っている。この日の収穫を挙げていこう。まずはNAZZの2枚組アンソロジー。NAZZは豊田道倫さんのライヴに通いつめていた頃、仲良くなったなんださんという方とMIXCDRを交換したときに入っていた"Open My Eyes"で初めて知った(このCDRにはその後のヒントになるようなものばかり入っていて、今でも感謝しています。なんださんはお元気でしょうか)。その後、大学の図書館に1stがあったり、自分でもライノからでたLPを買ったりはしていたけど、2枚組ということで購入。他にはスタンリー・カウエルの"Illusion Suite"も。Max Roachのアルバムに収録されていた"Equipoise"という曲が素晴らしすぎてリーダー作を探していたけどこれ!というものになかなか出会えなかったところ、今回面出しになっていたので購入。まだ聴いていません。あとJoe Pumaというジャズ・ギタリストの"Wild Kitten"をジャケ買い。試聴したけど、クレジットにピアノが入っていなかったのですぐ再生ボタンを止め、購入に至る。めちゃくちゃいい!というよりしみじみいい。はじめて聴くのが秋の夜で本当によかった。Youngbloodsの"elephant mountain"というアルバムも購入。ジャニスで借りたばかりだけど、出会ってしまったのだから、と購入に至りました。嬉しい買い物を終えて街へ出る。オーディオ屋が多く、そういう店の一角にレコードもあるようだ。何店舗か見たけど収穫はなし。MPSから出ている黒人ヴァイオリニストのアルバムとかあったんだけど盤の状態が良くなかったので見送る。
続いてハイファイ堂という店へ。雨も強くなってきたのも手伝ったのかお店の中は賑やかだった。ライヴを終えた後、というのもあるのか棚を片っ端から見る体力はもうすでに残されていなく細々と気になるところを掘って収穫なしか、と店を出ようとしたら新入荷コーナーを見落としていたと気がついて見ていく。何年か前にズーシミに勧められてなかなか手に入れることができなかったアンディ・ウィリアムズのアルバムをようやく見つけて購入。嬉しゅうございます。
それから少し歩いてマージー・ビートというお店へ。こぢんまりとした店内で棚を物色していると紳士的な店主が「何かお探しですか?」と声をかけてくれた。いやー何ってわけじゃないんですけどね〜みたいな感じで交わしてしまったのだけど新入荷からThe American Breedのアルバムを安く買えた。以前大阪のレコ屋で買うか買わないか迷ってやめたら後日誰かがツイートしてやっぱり買えばよかった!と後悔したアルバム。会計を済ましているときに音楽の話になった。本当の事を言うとトニー・ハッチと奥さんのアルバム探してるんですよね〜とか話したあと、「ああ、ジャズならあそこの段ボールにもまとまってますよ」というので見ていたら検盤も兼ねて店頭でかかっていた60'sのコンピからペトゥラ・クラークの"Downtown"がかかった。トニー・ハッチ作のこの曲が今、このタイミングでかかる、という事実に自分が愛されている、呼ばれているような気持ちになり2箱分の段ボールをにやけながら手繰っていくと大好きなメル・トーメの「メル・トーメの素敵な世界」("A Day In The Life Of Bonnie and Clyde")と「ロミオとジュリエット」の帯付きを発見。当時の定価ぐらいの値段だったけど愛されている実感を強く噛み締めていたので即購入。「メル・トーメの素敵な世界」は68年発表のアルバム。50年も前のレコードだ。嬉しくなって店主と少し話し込んだ。買い物を終えて隣の地下に入るレコード屋に行ったのだが、パンクが中心の品揃えだったということもあるけど、ついこないだ夢で見たレコード屋に似ていて少し怖くなってすぐに店を出てしまった。夢で見たレコード屋は、そこから先に更に地下があって、そこに古今東西あらゆるレコードが眠っていた。夢の中のレコード屋は坂の多い街の中にあった。この街は坂とは無縁のように思える。話はそれてしまうけれども、夢に見たレコード屋は少ないけれど全部覚えている。仙台の街によく似た場所にあったロータリーと街路樹が印象的な店。雑居ビルの3階と中2階にある店。紫色の街に密かに佇んでいたレンタルCDショップ。毛塚了一郎さんの漫画に出てくるレコード屋を見ると夢に出てきたレコード屋を思い出す。そして記憶が薄れてきたココナッツの2階や、小学生の頃はじめて行った上野のレコード屋の事が頭を横切っていく。ありもしない店の記憶、ありもしない店の漫画、あったはずの店の記憶。おぼろげになっていくのは対等なんだろうか。
そうして10月になってしまった。お前の手のひらには何が残っている?すり抜けていかなかったものはあるのか?

待ち合わせ場所から近くの茶店まで



NHKでの生放送が終わり、事務所に寄って(マネージャーが)機材をおろす(のをただみるだけ)。肉体労働の徒然を彼が若さをもって対等に渡り歩けることをいいことに甘えてばかりいる多少の罪悪感を「運転しますよ」の一言をハンドルを握ることで沈め、そのままマネージャーを送った。昼間の夏はどこかへいっただろうか?クーラーを切ると暑く、クーラーを入れると少し肌寒かった。


深夜の環八で急に豊田道倫さんの音楽が聴きたくなって全曲シャッフルにした。「sweet26」「10月の雨」「グッバイ・グッバイ」と弾き語りの寂しい歌が続いて2006年のライヴ音源で構成されたCD-Rからテレキャスター弾き語りの「五体満足」がかかってスイッチが入る。「ROCK'N'ROLL 1500」での緻密でルーズな宅録音源からは想像もつかないような破れた演奏を僕は12年前に見ている。先日、リキッドルームで弾き語りをやったとき、自分でも驚くほど会心の演奏になったけれど、その時頭に浮かんでいたのはあの頃の豊田さんだった。とても調子よく演奏していた反面、なにかに取り憑かれてしまって最後の「静かな夜がいい」では息が続かなくなってしまったけど、あのまま今までで一番の「静かな夜がいい」をやっていたら帰ってこれなかったかもしれないね、と考えたりしている。ポップ・シンガー豊田道倫の背中はまだ遠い。

オー!トラウト



真夏にキャメルのコートを着たわけではないのだが、汗だくになってしまった仕事の帰り道、寄り道をしようかしないかめちゃくちゃ迷って寄り道をしなかったのだけれども、どこかで釘を踏んでしまったらしく車がパンクしてしまった。目白通りはこんなにもガタつく道だっただろうか、いや、そうではない、と意を決して路肩に停めてタイヤを一つずつ確認すると後輪の左側に悲しい顔をしたタイヤを僕は見つけるのだった。ロードサービスに電話をかける。コールセンターの女性が「今はどこも混んでいて1時間近くかかってしまいそうです」と申し訳なさそうにいうけれども、身動きは取れないのでロードサービスを待つしかなかった。例えば15分の待ち、みたいなのが一番気持ちの置所に困る。1時間待つ、と先に言われると気持ちがおおらかになり、運命を受け入れるしかない、というところに自分を持っていけるからいい。ハザードをつけてぼーっとしていたら1時間経ってしまっていた。山積みの考え事をひとつもしなかったのがよかったのかもしれない。気のいい兄ちゃんたちにトランクの下にあった緊急用の予備タイヤに交換してもらって部屋に帰った。


マネージャーから連絡があって、実はさっきこういうことがあったんだ、と話すと「車のトラブルは落ちますよね〜」と言われて「そうなんだよね〜」だなんて返していたけれども、あのロードサービスを待つ夕暮れの一時間になにかあった気がして不思議とそこまで落ち込まなかった。寄り道すりゃよかったかもね、とは思ったけれど「あーあ」とタイヤを買い換える憂鬱はまた別だ。


電話を切って数時間ふて寝。起きてから仕事をすればいい、とか言いながら朝まで寝るやつなんだろうな、と思ったけど、無事に目を覚ましてしまった。友人からの電話にキャッキャしつつも頭が回らず嵐の匂いのする公園のそばを通ってコンビニへ。向かう途中、このあたりじゃめったに見ない空車のタクシーが2台続いた。夜には夜の顔がある、そういうことだろう。頭がまわらないときは甘いシュワシュワのジュースに限るね、とグレープスカッシュを買った。帰り道、公園のそばの木々から強風で銀杏が落ちていることに気がついた。「もうすぐ秋だね」という詩を思い出して感情が逆立つ。これは絨毯を撫でたら色が変わったようなニュアンスだ。強い風に煽られて誰かの部屋のすだれが揺れていた。

8/5



暑い日々が続く。何が正しくて何が間違っているのか。判断能力がぐんぐん下がる最高気温35度の東京から最高気温40度の名古屋へ。ミツメの川辺くんとのツーマン、そしてオープニングアクトにはジョセフ・アルフ・ポルカのてんしんくん。名古屋のハポンは思い入れのある場所だ。10年ぐらい前、友人たちを介して教えてもらったスティーブ・ジャクソンやジョンのサン、THE ACT WE ACT、小鳥美術館などはすべて名古屋のバンドで、よく聴くライヴハウスの名前としてK.Dハポンはあった。スカートも何度かライヴをしたことがある。前回やったのはミツメの「ささやき」ツアーだったな。天井が高い場所で、リハーサルの時は独特のバランスに苦労したのだけど、人が入るとすべて落ち着いて気分良くライヴができた。ハポンに難点があるとすれば楽屋がない、ということだ。我々は久しぶりの土地に戸惑いながら、ようやく冷たいコーヒーと椅子と空調を手に入れ、出番を待った。開場時間になり、マネージャーとスタッフは会場へ。川辺くんとはとりとめもない話をした。会場に戻るとてんしんくんがライヴをしていて、不思議なムードになっている。カシオトーン弾き語りで、画素の低い音像とうなだれたように歌うてんしんくんが印象に残った。自分のライヴが終わると、汗だくだった。近くに停めていた車で着替え、戻った頃にはもうとっくに川辺くんのライヴが始まっていた。川辺くんは特異なソングライターだというのを実感し、そしてミツメというバンドの稀有さも痛感する。とても胸に迫るライヴだった。ライヴを終えて知り合いの方から「これ、メジャーデビューのお祝いに」となんと「靖幸」の未開封カセットテープを頂いた。マジかよ!と川辺くんと盛り上がる。悲しいことに車のカセットデッキは壊れていて帰宅時に聴けなかったのが悔やまれる。味仙さえ飽きてしまった悲しいバンドマンの我々は浜名湖のSAに寄り、悲しい夕食を摂った。「餃子が名物なんですよ。5個で540円ですけど、野菜たっぷり盛ってます」みたいなツラしやがっていたけど実際注文してみたら、もやしが30本ほど添えられているだけだった。つれえ。助手席に座り、マネージャーの運転に運ばれてほとんどの行程を眠ってしまったのだった。なんとなくCDRに焼いた曲にキリンジの「YOU AND ME」がかかる。なにというわけでもないんだけど、とても思い入れのある曲で環八を走った夏の夜だった。