幻燈日記帳

認める・認めない

「静かに変わる時間を 閉じるように瞼を閉じる」

今年の落ち葉は良くない。12月のはじめに東京では強い風が吹いて(これが木枯らしになるはずだった風なのか、なんて思ったけど)多くの枯葉が舗道に落ちた。毎年だったら踏みしめる度にカシャっと、クシャっと鳴るはずなのに今年の落ち葉は鳴らなかった。強い風が吹いた翌日、東京はやたらと湿度が高く、葉っぱが乾かなかったのだろうか。そうしたらしとしと雨が降り出したりしたもんだから調子が更に悪い。乾き切った枯葉を愛想の悪い靴底で踏みつけて漸く冬に気持ちが向くはずだったのに。

夜、ASKAさんのコンサートを見に行く。初めてみるASKAさんのコンサート。ブログでASKAさんがちょいちょい書いていた通り、声の調子はお世辞にも絶好調とは言えなかったけれども、「月が近づけば少しはましだろう」を聴きながら頭が痛くなるほど泣いた。とんでもないものをみた。

超茶漬け

昨日はかつてのシェアハウスの仲間と食事会だった。丸の内でシュラスコなんていう心のバランスが取りづらくなる状況で肉をひたすらに食らっていった。シュラスコが入っているフロアーは静かなんだけどトイレのために一つ階を上がると賑やかなところで仕事を終えた人たちが酒を飲み交わしていた。年末ということもあるのだろうけれど、「アパートの鍵貸します」で見たような景色だな、なんてちょっと思った。C.C.バクスターはあの時いくつだったのかな。

今日は"far spring tour 2018"のゲネプロで、13時入りで終わったのは19時過ぎぐらいだっただろうか。新しい曲順を試し、みんなで意見を出しあい、新曲を詰めたりした。バンドがより有機的になっているような気がします。新しい曲がいいのはもちろんだけどベーシストが代わって古い曲のうねりが気持ち良い。

リハーサルが終わって閉店間際のココナッツに顔を出した。矢島さんと近況を語り合う。取り置きしていたコレクターズのアナログをようやく購入。新入荷からスティーリー・ダンのファーストをひょいとつまんだ。

ミュージシャンとしての人生に三つの壁があるとするならば。多くの音楽ファンならピンと来るであろう27歳の例のそれ。社会と折り合いを付けなければならなくなる30歳。そして佐藤伸治がいなくなった33歳だ。這いつくばりながら27歳を終え、28歳になったのは『CALL』のレコーディングの時だった。池尻大橋にあるスタジオでふと時計を見たら28歳になった。あれが人生で一番幸福な歳の取り方だった気がする。今年は友人と恋人とご飯を食べた帰りに街を歩いていたら12/6になっていた。部屋に戻り、3回だけスプラトゥーンをやるも惨敗。そのまま居間で凍えながらちょっと眠ってしまっていた。これが31歳か。31歳だっつーのにね。

TSmKQ

某日
1日メンテナンス。ぼんやりしていたら家を出るのが遅くなってしまい、テンパっていたのかいつもと違う乗り換え口に近い車両に乗り込んでいた。鞄から漫画を取り出して集中力が続く限り少しずつ読む。昨日買った鶴谷さんの漫画だったり、宇治一仁さんが勧めていた松田舞さんの「錦糸町ナイトサバイブ」だったり。マルコメCMソングの発車メロディを聴きながらいつもと違う改札から乗り換えると高校の頃の先輩とばったり会う。遅刻していたので一言二言交わしただけで過ぎてしまったが慌てて駆け上がったホームに電車が着いたのはそれから3分ぐらい経ってからだった。少しだけでも世間話をすればよかったな、とちゃんと乗り換えの時間を見ていなかった自分を責める。原宿で降りて散髪、のち千駄木で整体、更に定期的にかかっている医者にいろいろ診てもらう。血圧は正常。その他の結果は後日。そして夜は取材。昔からのヒーローのひとりと対談。渋谷の街で撮った二人の写真はどう見えるだろうか。話した内容よりも今はその事が気にかかる。

LONG ROAD HOME



メジャーデビューしてからプロモーションが積極的になった。学生の頃に「もはやメジャーとインディーに差なんてないよ」と言われて「うむ、全くその通り」と思っていたけど、それはバンドマンの目線ではない部分だったのかもしれない。演者の視点になれば差はちゃんとある。でもどちらが優れている、とかそういう話ではない。ある目線を持てば「もはやメジャーとインディーに差なんてないよ」と言われて「うむ、全くその通り」とうなずける自分も居る。というわけで怒涛のプロモーション行脚でした。新宿でインストア、翌日は京都でインストア。京都で一泊して京都でラジオを2本。移動して大阪でラジオ4本、取材を2本。大阪に一泊して神戸に移動してラジオを2本、大阪に戻ってラジオを一本。新幹線で名古屋に移動してインストアからのラジオ1本で終了。『20/20』リリース時のプロモーションはスケジュールがハードだったのもあるけど、とにかく慣れていなかったラジオの生放送とかがバンバン入ってくるプレッシャーみたいなのがあったけど、流石に慣れたようで前回みたいにならなくて済んだ。特に印象に残っているのは名古屋でのインストアだ。平日の18時という思い切りのいい時間設定で開催されたため、人はまばらだったけれども、この時間でもいけると思った担当者を、この時間でもいけると思った担当者を許したメーカー、マネージメントを後悔させ、自分の集客力のなさへの恨みをブーストさせるようないいライヴをしなければ、となったわけではないが、結果的に忘れられないいいライヴになった気がする。


東京に戻って14時間ほど眠った後、恋人とジャニスへ最後の返却をしに行った。返却もそうだけど、会員限定のセールが始まっているのだ。店内の一部の商品を除いて全品均一の値段での放出。ニュースを聴いた時は「うれしいね、貴重なCDもたくさんあるから僕も欲しいものは買わなくちゃ」と楽観的に見ていたけれども、いくつかのCDを手に取ってふと冷静になった。いま手に取っているCDはここへは返ってこないCDだ。いつ行っても具合が悪くなるぐらいのCDの量だったジャニスからどんどんCDが減っていく。閉店が決まったレンタルCDショップは亡骸なのだろうか。我々はその死体に群がるハゲタカなのだろうか。あるべき姿と生前の姿を混同してはいけないのかもしれない。このまま何枚か手に取ったCDを戻すことも出来た。それでも欲望に負け、その後も店内を物色するのであった。


気がついたら13枚も買っていた。当時は憧れだったレコードサイズのバッグも頂いた。ジャニスを出て、コミック高岡で早売りの鶴谷香央理さんの新刊を2冊買う。書店を出る。街はもうすぐ冬。コートも着ないで街へ出れるのもあと少しだし、実際もう寒い。街路樹も寒そうじゃないか。ふと思う。「こうやってジャニスに行って高岡で早売りの漫画を買うなんていつぶりだったかな」。そう思った途端に涙が溢れてきた。急いでコーデュロイのシャツでまぶたを拭った。その後、辛いものが苦手だったあの頃は行かなかったエチオピアで9倍に辛くした豆カレーを食べて家に帰った。道を間違えて明治通りを走っていたら自転車に乗る知り合いとすれ違う。すごい速さでコンビニに入っていくのが見届けられたのが、なんとも言えず良かった。帰りの車ではTMBGを聴いた。ジャニスで恋人が「あれ?TMBGはいいの?」というのですっかり忘れてた!と当時借りた1stと2ndのデラックス・エディションみたいなやつを買っていたのだ。いつかのyes, mama ok?のライヴのアンコールで、金剛地さんと二人で"Kiss Me, Son of God"をやった事を思い出す。客として行ったライヴで金剛地さんがひとりで歌っているのを聴いたこともあった分、あの時の嬉しさは今でも忘れられない。


部屋に帰って仕事をいくつか。あれの原稿なおして、あれのミックス確認して、セットリストを改めて精査して。悲しいことばかりではないと思うけど次に向かうのならここにいられないなんて。
https://www.youtube.com/watch?v=OcgHzfPzQu8

母校GIGによせて



9年前のライヴ録音を何日か放置してしまった炊飯ジャーをあける気持ちで聴いてみる。2009年11月1日、場所は昭和音楽大学。イベントの屋号は「一流音大生」だった。大学1年生の時に同級生たちが学園祭でおでん屋をやる、という話を受けて「そのおでん屋に参加するなんていつ言ったっけか」とお茶を濁して以来、学園祭の期間中は学校に近寄りさえしなかった(と思うんだけど記憶は曖昧だ)。そんな学園祭のステージに4年生になった時、下級生、同級生、先輩に手伝ってもらって立つことになった。僕が家でゴロゴロしていた頃、サトちゃんはどんな気持ちでおでんを売ったのだろうか。ともかく、その時の録音だ。レコーダーの設定が適当だったこともあって音質的には記録程度のものだけど、当時の息遣いだけは伝わる。遠い昔を思い出す。大学生だった頃の自分は、青臭くて〜だとか、世間知らずで〜だとか、まだまだどうやって行動すればいいのかわからなくて〜だとか、言おうと思えばいくらでも言えてしまうだろう。ほうぼうで当時を振り返り「友達がいなくて」だなんて言っていた。馴染めなかったのは事実だけど、大事な友だちもいた。先輩たちは優しくしてくれた。理解してくれた先生もたくさんいた。白髪の紳士、高田先生のポピュラー音楽概論の授業で「みなさんの中でビートルズの「イエスタデイ」を知っている人はいますか?」と訊くと教室の全員の手が挙がった。「ではビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」という曲を知っている人はいますか?」と訊くとほとんど手は挙がらなかった。僕だけだったかもしれない。高田先生は不思議そうな顔をするわけでも、絶望したような顔をするわけでもなく「では今日は予定を変えてビートルズの「サージェント・ペパーズ」というアルバムを聴いてみましょうか」と言った。まどろむ教室の中で音楽が鳴り響いていた頃を思い出す。高田先生からはハーブ・アルパートDJ KRUSHを借りたりした。あれが2006年の秋の頃だったはずだ。その翌年には在学中にいくつかのライヴを手伝ってもらった森先生とも出会った。トッシュ先生の授業も2年からだったはず。アレンジのおかもと先生は3年生の時。大好きな「幻想王国のコレクターズ」やMIDI時代のエンケンさんを録音されていた湊監督も3年から。牧村さんも2年の末には出会っていたけど、授業に出たりするようになったのは3年になってからだったはず。そして3年生になった頃に優介や今井くんみたいな後輩たちが入ってくれて本当に生きるのが楽になった、と思っていたはずなのに、そのライヴ録音を振り返るとそれでもエネルギーが内へ内へ向かっていたことに気がついた。ちょっとした歌の端々から漏れるヒリついた感じ。メロディからはみ出して声が漏れる瞬間。過ぎたことだと飲み込めるようになってきたけど、それらは僕がなくしてしまったものかもしれない。どうにもできなくて、音楽の外にそれらが放出されていく危うさみたいなものが確かにあったんだろう。音大に居ながら、その道が見えなかった。体と頭と心がバラバラになりそうな人間をどうこうする施設ではないのだから、当たり前だ。それでも22歳だった僕はもがいてもがいて卒業制作のような気持ちで「エス・オー・エス」というレコードを作り上げた。あれから8年、10/26に母校でライヴをする。あれからたくさんのレコードを出した。つまりはレパートリーも増えた。ライヴを何本もやってきた。それに体と頭と心をどう動かせばいいのか、あの頃よりは少しは分かっていると思う。10/26は昔の曲もやります。それはひとりだったり、森先生とだったり、チェロの方も来てくれるのでもちろん「ハル」とかやります。でも森先生とは最近の曲をふたりでやったりもするつもりです。そしてバンド本隊も登場して、現在のスカートを見てもらえたら、と。18:30と開演が早くてすみません。チケットの詳細はこちらから。https://t.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=1844060&rlsCd=001&lotRlsCd=
僕が昭和音楽大学で学んだことは楽器の技術や、アレンジや、プログラミング、曲の作り方や、エンジニアリングとかだけではなかった。というか挙げたものは取りこぼしてしまったことばかりだ!それが見せられる夜にしたいです。
最後にゴウスツでうたってくれた藤岩聡子さんことサトちゃんの卒業制作を紹介します。https://soundcloud.com/sfpl/nuno この曲はドラム、ベース、ギターを僕が担当していて、マンドリン今井師匠。ローズはサトちゃん。トランペットは誰だったかな。プロデュースは牧村さん。すでに録音していた硬質なドラムを牧村さんからの提案でこの曲はドラムをブラシで叩くのはどうかな、なんて今の形に落ち着いたのがとても印象に残っています。

パーフェクト・ワールド



40歳になる前にお酒かタバコか爆音環境のどれかを克服しないと未来はない。でかけた帰り道にそう思った。我々の聖典pizzicato five / パーフェクト・ワールド参照)には「パーフェクトな一日は目覚めてすぐわかる」と書いてあるけれども、難しいよね。私は渋谷駅ですれ違う人、人、人のうちのひとりが僕が大好きな大阪のたこ焼き屋会津屋の紙袋を下げているのを見てパーフェクトへ近づくことはできるのではないか、その努力は美しいのではないか、と考えた。スマホで調べてみるとちょうど東急の催事場で「第十四回なにわうまいもん市」が開催されていた。エレベーターで8Fに向かい、たこ焼きだけではなく豚まんやふわふわのだし巻き卵を買った。気分はとてもいい。あと少しでパーフェクトな気がする。聖典をもう一度開いてみる。「パーフェクトな世界は愛に溢れてる」のだ。シブツタに寄って衿沢世衣子さんの新刊も購入。渋谷を後にして新宿で途中下車してCDを2枚ほど買い、タピオカミルクティーも押さえた。荷物が異様に重いことを除けばとても気分がいい。電車の中で衿沢さんの新刊も読んだ。雑誌で読むよりもストレートに頭に入ってくる気がするのはなんでなんだろうか。電車の中で読みきれず、最寄りのホームのベンチに座って続きを読んだ。私はこの時間が好きだ。誰もが家路を急ぐ駅という場所で、誰にも急かされずに電車が何本来ても私はそこでページを捲るだけだ。聖典には「パーフェクトな一日は誰にもやってくる」と記されている。部屋に戻り、私の努力はちゃんと美しいものだったのだろうか、と部屋で買ったCDを聴いたら少し違和感があって、ちゃんと調べてみると正規の再発ではないことがわかった。正規の再発でないものなんていくつも買ってきただろうけど、今夜ばかりは分が悪い。買ったCDは1500円、紙ジャケットでの再発のものだったが、11月にある正規の再発は3240円だった。ボートラは15トラックもついているそうだ。でも聖典に目を落としてみる。「パーフェクトな世界がいつかはやってくる」のだろうか。本当は今日、友人の結婚パーティがあったのだけど、そこでうまく立ち振る舞えなかった。クラブという環境に萎縮した形だ。普段あまり聴かないような音量で音楽がかかっていた。私は耳が弱い。すぐにだめになってしまう。喉も弱い。音楽に負けない声量で話かけることに躊躇してしまう。友人が沢山いたのに、たったの二歩を踏み出して「やあ」と声をかけることができなかった。クラブのフロアーで一番暗い場所に腰をおろし、そうして私ははしごを眺めた。あのはしごはどこへ繋がっているのだろうか。少なくとも大行列のバーカウンターでもDJブースでもないだろう。私もそこに連れて行ってくれ。それでも新婚の二人に大いなる幸せが降り注ぐべきだ。本当に、心からそう思う。フロアの奥の方から見た二人は遠くにいるのに幸せだということがわかった。あのふたりを見れただけでも素敵なパーティだったと胸を張って言える。

レコ日記



そうして10月になってしまった。お前の手のひらには何が残っている?罪滅ぼしに名古屋でのキャンペーンのライヴが終わり、帰りの新幹線が来るまでの時間、レコード屋をいくつか回ったときに買ったものを挙げていきます。
最初に行ったのはミュージック・ファースト。栄のはずれの方にあったお店が矢場町のPARCOの横に移転してからも名古屋に来るたび、時間があるときは行っている。この日の収穫を挙げていこう。まずはNAZZの2枚組アンソロジー。NAZZは豊田道倫さんのライヴに通いつめていた頃、仲良くなったなんださんという方とMIXCDRを交換したときに入っていた"Open My Eyes"で初めて知った(このCDRにはその後のヒントになるようなものばかり入っていて、今でも感謝しています。なんださんはお元気でしょうか)。その後、大学の図書館に1stがあったり、自分でもライノからでたLPを買ったりはしていたけど、2枚組ということで購入。他にはスタンリー・カウエルの"Illusion Suite"も。Max Roachのアルバムに収録されていた"Equipoise"という曲が素晴らしすぎてリーダー作を探していたけどこれ!というものになかなか出会えなかったところ、今回面出しになっていたので購入。まだ聴いていません。あとJoe Pumaというジャズ・ギタリストの"Wild Kitten"をジャケ買い。試聴したけど、クレジットにピアノが入っていなかったのですぐ再生ボタンを止め、購入に至る。めちゃくちゃいい!というよりしみじみいい。はじめて聴くのが秋の夜で本当によかった。Youngbloodsの"elephant mountain"というアルバムも購入。ジャニスで借りたばかりだけど、出会ってしまったのだから、と購入に至りました。嬉しい買い物を終えて街へ出る。オーディオ屋が多く、そういう店の一角にレコードもあるようだ。何店舗か見たけど収穫はなし。MPSから出ている黒人ヴァイオリニストのアルバムとかあったんだけど盤の状態が良くなかったので見送る。
続いてハイファイ堂という店へ。雨も強くなってきたのも手伝ったのかお店の中は賑やかだった。ライヴを終えた後、というのもあるのか棚を片っ端から見る体力はもうすでに残されていなく細々と気になるところを掘って収穫なしか、と店を出ようとしたら新入荷コーナーを見落としていたと気がついて見ていく。何年か前にズーシミに勧められてなかなか手に入れることができなかったアンディ・ウィリアムズのアルバムをようやく見つけて購入。嬉しゅうございます。
それから少し歩いてマージー・ビートというお店へ。こぢんまりとした店内で棚を物色していると紳士的な店主が「何かお探しですか?」と声をかけてくれた。いやー何ってわけじゃないんですけどね〜みたいな感じで交わしてしまったのだけど新入荷からThe American Breedのアルバムを安く買えた。以前大阪のレコ屋で買うか買わないか迷ってやめたら後日誰かがツイートしてやっぱり買えばよかった!と後悔したアルバム。会計を済ましているときに音楽の話になった。本当の事を言うとトニー・ハッチと奥さんのアルバム探してるんですよね〜とか話したあと、「ああ、ジャズならあそこの段ボールにもまとまってますよ」というので見ていたら検盤も兼ねて店頭でかかっていた60'sのコンピからペトゥラ・クラークの"Downtown"がかかった。トニー・ハッチ作のこの曲が今、このタイミングでかかる、という事実に自分が愛されている、呼ばれているような気持ちになり2箱分の段ボールをにやけながら手繰っていくと大好きなメル・トーメの「メル・トーメの素敵な世界」("A Day In The Life Of Bonnie and Clyde")と「ロミオとジュリエット」の帯付きを発見。当時の定価ぐらいの値段だったけど愛されている実感を強く噛み締めていたので即購入。「メル・トーメの素敵な世界」は68年発表のアルバム。50年も前のレコードだ。嬉しくなって店主と少し話し込んだ。買い物を終えて隣の地下に入るレコード屋に行ったのだが、パンクが中心の品揃えだったということもあるけど、ついこないだ夢で見たレコード屋に似ていて少し怖くなってすぐに店を出てしまった。夢で見たレコード屋は、そこから先に更に地下があって、そこに古今東西あらゆるレコードが眠っていた。夢の中のレコード屋は坂の多い街の中にあった。この街は坂とは無縁のように思える。話はそれてしまうけれども、夢に見たレコード屋は少ないけれど全部覚えている。仙台の街によく似た場所にあったロータリーと街路樹が印象的な店。雑居ビルの3階と中2階にある店。紫色の街に密かに佇んでいたレンタルCDショップ。毛塚了一郎さんの漫画に出てくるレコード屋を見ると夢に出てきたレコード屋を思い出す。そして記憶が薄れてきたココナッツの2階や、小学生の頃はじめて行った上野のレコード屋の事が頭を横切っていく。ありもしない店の記憶、ありもしない店の漫画、あったはずの店の記憶。おぼろげになっていくのは対等なんだろうか。
そうして10月になってしまった。お前の手のひらには何が残っている?すり抜けていかなかったものはあるのか?