幻燈日記帳

認める・認めない

Compact Disc Is Deadだってよ

ツアーが終わって気が抜けた。湯船に浸かっているとぼーっとしてしまうし、今日は久しぶりに12時間眠った。時間が過ぎていく感覚がなくなっていく瞬間が愛おしい。僕の素晴らしい人生ではこうやって多くの時間が過ぎていったのだ。

恋人とその昔からの友人でご飯を食べに行った。久しぶりに心のそこからガラスの仮面の話が出来たのが最高。劇中劇でどれが好き?と問われて結局答えをひとつにできなかった。やっぱり「女海賊ビアンカ」なのだろうか。いや黒沼龍三作品も好きだ。「忘れられた荒野」だろうか。彼女は「通り雨」と答えていて渋くて完璧な回答だ、と思った。その時私は髪を指で弄んだ。

本屋に寄ってミュージック・マガジンをめくってみたら冒頭に"Compact Disc Is Dead"と書かれた広告が載っていた。前野健太さんや王舟、Homecomingsや七尾旅人さんをリリースしているフェリシティーの広告だった。ステンシルシートとラッカースプレーで書かれたその文字よ。そのストリートからはそう見えるのだろうけど、こちらからそちらを見ればあれだけ凝った造りのCDをリリースしたばかりのHomecomingsも七尾旅人さんもいるじゃないか。フェリシティーはなぜあの広告を出したんだろう。問題提起ならわかる。ステンシルシートとラッカースプレーで書かれたのもそういうことだろう。街の目線だろう。でもその先があの広告にあっただろうか。ポップ・ミュージックは音だけでなく、様々な要素を組み上げて作品としての強度を確保したほうがよいのではないだろうか。考えれば考えるほど腹が立って、悲しくなって、仕方ない。でも全ては思い過ごしかもしれない。一気に頭に血がのぼったから何かを見落としたかもしれない。もう一度見てみるために次本屋に行ったらミュージック・マガジンを買おうと思う。

T.V.G.P.S.

Facebookに小学生の同級生だったNくんからメッセージが届いていた。届いたのは夏だったけど、向き合いそこねて今に至っていた。それは年末に同窓会のような飲み会やろうと思っているから来てね、LINEグループ作ったから登録してね、という内容だった。私はそのメッセージに返信することも出来ず、添えてあったLINEのIDを登録することも出来なかった。31にもなって人見知りだなんて恥ずかしくて仕方がないけれども卒業して19年経った小学校の同窓会で僕は楽しくやれるだろうか。とにかくうまくやれてる未来が想像できない。家庭を築いただろうか。仕事は順調だろうか。楽しくやっているのだろうか。でも、19年という時間は何が埋めてくれるというのだろう。それぞれの19年間の話なのだろうか、それともあの6年間の話なのだろうか。SNSやアルコールではないと信じたい。気を遣って声をかけてくれたNくんには申し訳ないけれども、同窓会には出れそうにない。

 

室外機のファンの音は少しうるさく、練馬区の閑静な住宅街の夜にちょっとしたエッセンスを加えている。二日前。寒すぎて2時間しか作業が出来なかった。だがエアコンのリモコンが見つからなかった。そもそもパンツ一丁で窓際に座っていたら誰だって寒い。一日前。ズボンを履いてみた。それでも寒い。今度は指が寒い。キーボードを打つにも、ノートに文字をつらつらと書くにも、どうにもならない!ここでエアコンのリモコンを見つけなければ人間じゃない。そう思い、私は部屋の掃除を始めたのだった。部屋中に散らばったCD、レコード、漫画……私はこの状況を何度説明しないといけないのだろう。そして何度この部屋の収納に限界を感じなければならないのだろう。本は本棚を買ったおかげでだいぶましになったのだが、今度はCDが入り切らなくなっていた。「人生は前後左右」…… どうにもならない時は視点を思いっきり引いてみる。私は高校の頃に担任だった数学のO先生が見せてくれた「パワーズ・オブ・テン」からそういうことを学んだ。そうすると自然とエアコンのリモコンが見つかった。ほらね、作業部屋ではなく居間にあったんだ。今はCDが入り切らないという事実は忘れろ、今に於いてはそれが視点を引くという意味(のはず)だ(と思うんだけれども)。

 

川辺くんと飯を食う。お互いの近況を報告しあう。頭の中にあるヴィジョンをあーだこーだこねこねしていたってだめで、実際にちょっとでも口に出した途端にクリアーになるときがあるんだけど、そういう瞬間がちょっとあった。そしてそれがヒントになる。落ち込んでいたやる気がぐわーっと戻ってきた。

アナザー・感動・グリーン・ワールド

誕生日を祝ってくれるコメントが知り合いのみなさんからFacebookについた。普段あまりFBを見ないから気づいたのはもう誕生日も暮れかけていた頃だった。嬉しいと同時に女性からの祝いの言葉が一つもないことに一抹の不安を抱きました。

吉祥寺に出てココナッツへ納品。中一日明けて矢島さんと語らった。「エス・オー・エス」を作った時は22歳だった。「ストーリー」を作った時は23歳だった。時間は本当にあっという間に過ぎたのだろうか。学生の頃と時間との向き合い方も変わって来たのだろうけど、今日だって夜9時から晩御飯作り始めて食べ始めたのは0時過ぎだったし、湯船でうとうとしたりしていたらすっかりこの時間になってしまっていたという訳だ。今日は本当になんにもしなかった。やろうと思えば詩を書くことも、曲を書くことも、メールの返信も、原稿を書くこともできたはずだ。それでも私はそれをやらなかった。今日は完全に閉じることに徹した、という事にしたい。

「静かに変わる時間を 閉じるように瞼を閉じる」

今年の落ち葉は良くない。12月のはじめに東京では強い風が吹いて(これが木枯らしになるはずだった風なのか、なんて思ったけど)多くの枯葉が舗道に落ちた。毎年だったら踏みしめる度にカシャっと、クシャっと鳴るはずなのに今年の落ち葉は鳴らなかった。強い風が吹いた翌日、東京はやたらと湿度が高く、葉っぱが乾かなかったのだろうか。そうしたらしとしと雨が降り出したりしたもんだから調子が更に悪い。乾き切った枯葉を愛想の悪い靴底で踏みつけて漸く冬に気持ちが向くはずだったのに。

夜、ASKAさんのコンサートを見に行く。初めてみるASKAさんのコンサート。ブログでASKAさんがちょいちょい書いていた通り、声の調子はお世辞にも絶好調とは言えなかったけれども、「月が近づけば少しはましだろう」を聴きながら頭が痛くなるほど泣いた。とんでもないものをみた。

超茶漬け

昨日はかつてのシェアハウスの仲間と食事会だった。丸の内でシュラスコなんていう心のバランスが取りづらくなる状況で肉をひたすらに食らっていった。シュラスコが入っているフロアーは静かなんだけどトイレのために一つ階を上がると賑やかなところで仕事を終えた人たちが酒を飲み交わしていた。年末ということもあるのだろうけれど、「アパートの鍵貸します」で見たような景色だな、なんてちょっと思った。C.C.バクスターはあの時いくつだったのかな。

今日は"far spring tour 2018"のゲネプロで、13時入りで終わったのは19時過ぎぐらいだっただろうか。新しい曲順を試し、みんなで意見を出しあい、新曲を詰めたりした。バンドがより有機的になっているような気がします。新しい曲がいいのはもちろんだけどベーシストが代わって古い曲のうねりが気持ち良い。

リハーサルが終わって閉店間際のココナッツに顔を出した。矢島さんと近況を語り合う。取り置きしていたコレクターズのアナログをようやく購入。新入荷からスティーリー・ダンのファーストをひょいとつまんだ。

ミュージシャンとしての人生に三つの壁があるとするならば。多くの音楽ファンならピンと来るであろう27歳の例のそれ。社会と折り合いを付けなければならなくなる30歳。そして佐藤伸治がいなくなった33歳だ。這いつくばりながら27歳を終え、28歳になったのは『CALL』のレコーディングの時だった。池尻大橋にあるスタジオでふと時計を見たら28歳になった。あれが人生で一番幸福な歳の取り方だった気がする。今年は友人と恋人とご飯を食べた帰りに街を歩いていたら12/6になっていた。部屋に戻り、3回だけスプラトゥーンをやるも惨敗。そのまま居間で凍えながらちょっと眠ってしまっていた。これが31歳か。31歳だっつーのにね。

TSmKQ

某日
1日メンテナンス。ぼんやりしていたら家を出るのが遅くなってしまい、テンパっていたのかいつもと違う乗り換え口に近い車両に乗り込んでいた。鞄から漫画を取り出して集中力が続く限り少しずつ読む。昨日買った鶴谷さんの漫画だったり、宇治一仁さんが勧めていた松田舞さんの「錦糸町ナイトサバイブ」だったり。マルコメCMソングの発車メロディを聴きながらいつもと違う改札から乗り換えると高校の頃の先輩とばったり会う。遅刻していたので一言二言交わしただけで過ぎてしまったが慌てて駆け上がったホームに電車が着いたのはそれから3分ぐらい経ってからだった。少しだけでも世間話をすればよかったな、とちゃんと乗り換えの時間を見ていなかった自分を責める。原宿で降りて散髪、のち千駄木で整体、更に定期的にかかっている医者にいろいろ診てもらう。血圧は正常。その他の結果は後日。そして夜は取材。昔からのヒーローのひとりと対談。渋谷の街で撮った二人の写真はどう見えるだろうか。話した内容よりも今はその事が気にかかる。

LONG ROAD HOME



メジャーデビューしてからプロモーションが積極的になった。学生の頃に「もはやメジャーとインディーに差なんてないよ」と言われて「うむ、全くその通り」と思っていたけど、それはバンドマンの目線ではない部分だったのかもしれない。演者の視点になれば差はちゃんとある。でもどちらが優れている、とかそういう話ではない。ある目線を持てば「もはやメジャーとインディーに差なんてないよ」と言われて「うむ、全くその通り」とうなずける自分も居る。というわけで怒涛のプロモーション行脚でした。新宿でインストア、翌日は京都でインストア。京都で一泊して京都でラジオを2本。移動して大阪でラジオ4本、取材を2本。大阪に一泊して神戸に移動してラジオを2本、大阪に戻ってラジオを一本。新幹線で名古屋に移動してインストアからのラジオ1本で終了。『20/20』リリース時のプロモーションはスケジュールがハードだったのもあるけど、とにかく慣れていなかったラジオの生放送とかがバンバン入ってくるプレッシャーみたいなのがあったけど、流石に慣れたようで前回みたいにならなくて済んだ。特に印象に残っているのは名古屋でのインストアだ。平日の18時という思い切りのいい時間設定で開催されたため、人はまばらだったけれども、この時間でもいけると思った担当者を、この時間でもいけると思った担当者を許したメーカー、マネージメントを後悔させ、自分の集客力のなさへの恨みをブーストさせるようないいライヴをしなければ、となったわけではないが、結果的に忘れられないいいライヴになった気がする。


東京に戻って14時間ほど眠った後、恋人とジャニスへ最後の返却をしに行った。返却もそうだけど、会員限定のセールが始まっているのだ。店内の一部の商品を除いて全品均一の値段での放出。ニュースを聴いた時は「うれしいね、貴重なCDもたくさんあるから僕も欲しいものは買わなくちゃ」と楽観的に見ていたけれども、いくつかのCDを手に取ってふと冷静になった。いま手に取っているCDはここへは返ってこないCDだ。いつ行っても具合が悪くなるぐらいのCDの量だったジャニスからどんどんCDが減っていく。閉店が決まったレンタルCDショップは亡骸なのだろうか。我々はその死体に群がるハゲタカなのだろうか。あるべき姿と生前の姿を混同してはいけないのかもしれない。このまま何枚か手に取ったCDを戻すことも出来た。それでも欲望に負け、その後も店内を物色するのであった。


気がついたら13枚も買っていた。当時は憧れだったレコードサイズのバッグも頂いた。ジャニスを出て、コミック高岡で早売りの鶴谷香央理さんの新刊を2冊買う。書店を出る。街はもうすぐ冬。コートも着ないで街へ出れるのもあと少しだし、実際もう寒い。街路樹も寒そうじゃないか。ふと思う。「こうやってジャニスに行って高岡で早売りの漫画を買うなんていつぶりだったかな」。そう思った途端に涙が溢れてきた。急いでコーデュロイのシャツでまぶたを拭った。その後、辛いものが苦手だったあの頃は行かなかったエチオピアで9倍に辛くした豆カレーを食べて家に帰った。道を間違えて明治通りを走っていたら自転車に乗る知り合いとすれ違う。すごい速さでコンビニに入っていくのが見届けられたのが、なんとも言えず良かった。帰りの車ではTMBGを聴いた。ジャニスで恋人が「あれ?TMBGはいいの?」というのですっかり忘れてた!と当時借りた1stと2ndのデラックス・エディションみたいなやつを買っていたのだ。いつかのyes, mama ok?のライヴのアンコールで、金剛地さんと二人で"Kiss Me, Son of God"をやった事を思い出す。客として行ったライヴで金剛地さんがひとりで歌っているのを聴いたこともあった分、あの時の嬉しさは今でも忘れられない。


部屋に帰って仕事をいくつか。あれの原稿なおして、あれのミックス確認して、セットリストを改めて精査して。悲しいことばかりではないと思うけど次に向かうのならここにいられないなんて。
https://www.youtube.com/watch?v=OcgHzfPzQu8