幻燈日記帳

認める・認めない

雪が降る町

こんな風に年が暮れていくものなのか。数日前、Instagramでストーリーズをみていたらココ吉矢島さんのストーリーズに六本木のミッドタウンのスケートリンクが映っていて思い出した。先月の鈴木慶一さんのライヴで、アンコールでステージの後ろの幕が空いて夜景がみえる、というビルボードの演出を眺めていて、その夜景の足元に誰もいないスケートリンクが見えた。そのリンクの氷を整備する車が居心地が悪そうにゆっくりと走っていたのが本当によかった。それを書き残しておかなくては。

アルバムが出たというのに地方キャンペーンもなし、インストアライヴもなし、取材はギリ対面で出来たけどリモートも増えた。でも椅子が外せるホールで、スタンディングのマックスキャパならその50%だから、っつって普段どおりの椅子の数でぎっちりお客さん入れてライヴやってるところもある、という噂も(でも客席はマスクの上にフェイスシールドが必須だったそうだ)きいた。MVの撮影のときに「やれたらいいね」と日程だけおさえていたスカートの忘年会は、もちろんZOOMでの開催になったし、バカ話のなかの1割ぐらい、真面目な話にもなったし2020年だなあ、と思った。車で30分もかからない実家の母にLINEで「今年は帰らぬ」と告げたが、Twitterを見るとやっぱり帰省している人はいるし、もうそれは仕方がないのかもしれない、と思うことにした。

FM802のマンスリープログラムを担当していた。「アナザー・ストーリー」の紹介に加え、「冬の名曲弾き語りをやってほしい」と打診を受けて、数日間はKiroroの曲しか頭に浮かばず本当に焦ったがなんとかやりきった。ピチカート・ファイヴ「メッセージ・ソング」、ROCKY CHACK「SNOW」、NRBQ「Christmas Wish」、そしてユニコーン「雪が降る町」。一番言いたいことは音楽になるはずがない、と思っていたけれども2020年には「あと何日かで 今年も終わるけど 世の中はいろいろあるから どうか元気で お気をつけて」という一節がそれになった。いろんな気持ちがあって、伝えたいことがあるけれども、今年はこのひと節に尽きる。

パラダイス線に乗って

28日

 

鈴木慶一さんの音楽生活50周年ライヴにゲスト・ヴォーカリストとして参加。同じく参加した45周年から5年も経つのか。あのときはTJNYのリリイベが当日かぶっていて、アンコールのリハを出来ず会場を一旦飛び出して、ぶっつけ本番でアンコールの「Eight Melodies」に参加だったんだけど、優介のアレンジで曲が進行していって、真後ろにいる僕のアイドルでもある、矢部浩志さんと高橋幸宏さんが同時に同じフレーズでフィルイン(優介の指定フレーズ!)を叩いたときはさすがにどうにかなってしまうかと思った。あれから5年!あのときはキャリアを通してぱいもライダーズもビートニクスもコンスパもソロも、というライヴだったけど、今回は『MOTHER』の再現、そして再訪ライヴ。事前にオリジナルのMOTHERと一緒にRevisited版も渡されていて、よくメールを読みもしないでRevisited版でヴォーカルの譜割りを取って行ったのだが26日のリハーサルで「The Paradise Line」の演奏が始まった瞬間にオリジナルで演奏される、と知って今年一番の冷や汗が出た。急いで頭に叩き込み直して、当日のリハーサルでガンガンに譜面を見ながらだけど、歌えて本当に安心する。楽屋では優介とどついたるねんの新曲について話したり、慶一さんとゲームの話で盛り上がったりしたのがなんとも楽しかった。終演後、慶一さんが乾杯の後だったかに「皆さん!音楽をこれからも続けてください!」と大きな声で言ってくださったのがずっと残っている。

 

煙が目にしみる

21日

長野は白樺湖で行われるライヴに誘われて、実家の車を借りてひとり長野に向かう。父親が釣りに行くために買ったグランビアはとにかくタフなので広い車内を持て余しながらも長野に向かったのだ。このグランビアはCDしか聴けないので部屋にあるCDを何枚か、さらに数枚のCDRを焼いた。近々のあれこれをみていると心が潰れそうになりながらも、かと言ってここで「ヤダヤダ!行きたくない!」ってなっても地獄のような気持ちで家にいるだけなんだろうな。俺も気をつける、みんなも頼むから気をつけてくれ、そう言い聞かせることしかできない。

昼食を食いっぱぐれていたのでどこかいいところないか、と適当に大きめのSAに入ったが魅力的なものはなく玉こんにゃくだけ買った。青空が広がり、玉こんにゃくもまた然り。美しい光景だ。またしばらく行ったSAではおやきを買った。ひとくち食べた時はなんて愛想のない皮なんだ!と思って食べていたが、ナスの餡が美味しくて結果的には上々。車は順調に関越を抜け、みたこともない道をすり抜けて行く。立科町に入ったあたりでグッと冷え込んだ。「もうもう」という牧場?を見つけ、少し休む。冷たいミルクを薄着で流し込み、遠くに見える街を眺めた。

ゆっくり向かっていたから5時間近くかかって白樺湖についた。知らない風景というのはいつも楽しい。車を止めて宿に入ろうとすると、会場の方から音楽が聞こえた。低音の方しか聞こえないけど絶対これ"PLASTIC LOVE"だし、東京フレンドパークに想いを馳せる。部屋に入り、シャツを脱ぎ、ジーンズを脱ぎ、窓を開け、湖を眺めた。雑にテレビをつけ、布団に入ったらうとうとしてしまって、30分後あまりの寒さに目が覚める。体の芯から冷えたところにヒートテックを装着、セーターを着込みまた布団に入って暖をとった。宿の食事の時間になり、食堂へ向かう。共演者の方のお子さんなのか、一般のお客さんのお子さんなのかわからないけど「ふとってる」、と続けざまにふたりから言われる。普段いかに自分が安全圏で行動しているか、ということを思い知らされてなんとも言えないぐんにゃりとした気持ちになった。苦手だったはずの魚がでたけど危うげながらも平らげた。今年で33です。窓際の席でまだ冷えから解放されない私に「コロナ後、初ライヴですか?」と主催の方から尋ねられ、一瞬たじろいでしまって「そうです」と行った後、気がついて一言付け足した。「弾き語りでは、ね!」 。私はどうしてたじろいでしまったのだろう。帰り道にはロビーでくつろぐさっきの子供に「ふとおじさん」と呼ばれ、一緒にいた10代中頃のお兄さんだったのだろうか、彼が慌てて口を塞いで「わーっ!す、すみません!問題児なんですっ」と言われて漫画みたいだな、と思った。宿にある少し大きめの風呂で全てを清算する。

 

22日

真夜中に目を覚ましたりしながら気がついたら朝になっていた。8時に朝食を摂り、ぼんやりして部屋でギターを弾く。体がだんだんここに馴染んできたような気がする。マネージャーと合流して湖畔の会場入り。風が強く、とても寒い。リハーサルも早々に切り上げるべきか、それともちょっとでも歌っておいてあっためるべきか悩んだが、結局何曲かやった。本番は寒く、眩しく、風が強く、焚き火の煙に悩まされたが、久しぶりの人前でのライヴということもあり、燃えた。ホテルの部屋では寂しい曲ばかり練習していたが、結果的に強めの曲ばかりが並んでしまったのは果たしてよかったのだろうか。終わってマネージャーと出店に向かう。若人に声をかけられて嬉しかった。いくつかある選択肢の中からラーメンを昼食に選んだ。楽屋に戻って寒さに震えながらラーメンをすする。Salyuさんの演奏を見て、りんごジュースを啜り、宿に戻りマネージャーと別れた。少し行ったところに温泉があるというので車でそこに向かった。44℃の熱い温泉が冷えた体に染み入る。湯から上がり、ソフトクリームを食べてテラスに出た。テラスの正面は枯れた森で、川の流れる音だけが聴こえた。

 

Whoever You Are

17日

 

喘息が相変わらずなので久しぶりに呼吸器科にかかる。久しぶりすぎて先生すら変わっていた。アナザー・ストーリーの歌詞カードの校正をみんなで頑張る。間違えがないように慎重に、慎重に、どんなに慎重に見たって間違うときは間違ってしまうんだ…そう…「サイダーの庭」や「トワイライト」のアナログみたいに。

ミックスが差し替えられたマスターのデータが届く。友人たちに送ったら「すごすぎて笑顔になっちゃう」「スカートがずっといい曲を作っていることが分かる…」「今のさわまんも出会った頃の澤部くんも思い出す…」と言ってくれて本当に嬉しかった。

遅くまでツチカさんの漫画を読んでアトロクに備える。「キャッチを考えてほしい」と言われて多いに悩んだのだ。結局いいものは思いつかずに布団に入った。

 

18日

 

起床。喘息の仕上がりはフェーズが変わった、という感じがする。息苦しさは残っているのだけど毎度おなじみの感じではない気がする。症状としては楽になっているのだけど慣れない感じになって少し落ち着かない。

出来上がったばかりのアルバムを聴きながらスチールの撮影に向かう。僕以外はマスクをつけてにぎやかに撮影は進行した。どうしても写真を撮られる、というのに未だに慣れない部分があって、なかなか難しいが、後半は表情も硬くなかった、とは言われた。夕方部屋に帰り、アトロクの出演に備える。キャッチは結局何周もして当たり障りのないものに落ち着いてしまった。ツチカさんの漫画は語るのがとっても難しい!でも今これを紹介しないでどうする、と、気合い入れて話し始めたら少しかかりすぎてしまったような気もする。シリアスな面ばかりを推してしまったんじゃないか、っていうところも気がかりだ。そうなったら少し力が抜けたあのキャッチはバランスを取る意味では正解だったのかもしれない。

実家に帰ったとき、母親とチェンソーマンの話で盛り上がったのでついに本誌への切り替えを本格的に検討しだした。「9巻読んで(展開がつらすぎて)もう押入れにしまっちゃおうかと思った」という母を見て(この人から「ばるぼら」も「時計じかけのオレンジ」も教わったはずなのに)と静かに思った。

プリファブ・スプラウトアンドロメダ・ハイツの日本盤には珍しくボートラが入っているそうで、それを手に入れたので部屋で開封。アナログで手に入れて聴いていた作品だったのだが、CDではその盤面が星座盤になっているということはメルカリで知ってしまった。レコードで再生するのもたまらないアルバムだ、と思ったけどこれはCDで聴いたほうが気持ちがいいのかもしれない。

そのままアンドロメダ・ハイツを聴くのか、と思ったのだが、ラングレー・パークを聴き始めてしまった。

枯れ葉の匂いがする(気がする)

某日

 

仕事で作っている音楽の録音作業をミックスしているATLIOの別のブースでやらせてもらった。相手のオファーになるべく答えられるように、といろいろやっていく。その中で、スタッフとのやりとりで「コーラスとか入ったらいいんじゃない?」と書いてあったので今までまともにやってこなかったけど3声のコーラス、いっちょやってみっか、と取り組んで見る。最初は思いつくままにふがふが言いながら録音していった。素描のままで組み立てられたらそれが一番いいよね、という甘い考えを抱きながら格闘するも、やっぱりうまくいかなかった。ちゃんとラインを決めなければ、と打ち込んでいく。同じトラック上にメロディを打ち込んで、さあこれを参考にやっていくぞ、と録音を開始したのはいいけど3声同時に打ち込んだメロディがなるので何がなんだかわからなくなり中断。3トラックに分けて打ち込み直し、それをそれぞれ聴きながら録音してみた。ところが自分が歌っているラインが見えづらい。バックトラックが厚すぎたのだ。ようしわかった、とバックトラックを一度全部ミュートした。打ち込まれたメロディだけを参考にしてひとつずつ録音していく。「One Two Three Four」と心のなかで唱えてから録音ボタンを押し、歌い終わるたびに「Do It Again」と言って再生していく。うん、こんな感じ。とバックトラックのミュートを切ってバックトラックと合わせてみると全然ピッチがあっていないのだ。とても落ち込んだ。私は一塊のシンガーソングライターだからヴォーカル補正なんて出来ない、私にはコーラスの才能がない、とメソメソしたのだけど最近「ル・ポールのドラァグ・レース」をNetflixで見ているので簡単に諦めない、おそすぎることはない、やったるんだ!と一念発起。ギターとベースのトラック以外をミュートしてまた声を重ねていく。補正をしない道を選んだのならきれいに聴こえるまでやるまでよ、とどんどん声を重ねた結果、たった8小節のコーラスを(それも決して完璧とは言えないんだ!ああ!)つくるのに3時間ぐらいが経っていた。私はヴォーカル補正ぐらい出来たほうがいいのかもしれない、とも思ったのだが、「One Two Three Four」「Do It Again」と唱えてしまったものだから仕方がない。

Don't Talk / Beach Boys (unreleased chorus snippet) - YouTube

 

某日

窓を開けたら枯れ葉の匂いがした気がしたし、風呂を洗うとき無意識にお湯にしていたから冬です。

 

某日

 

最後のミックスデータの確認を終えてスタジオに出ると、用賀の空は晴れ渡っていた。とっても素晴らしい気持ちになった。

危ないひとたち

11/5(の日記が投稿されないまま残っていたので一応投稿)

 

目を覚まして洗濯機を回して本屋にチェンソーマン買いに行ってスーパーで買い物した。先日のBBQで余ってしまったラム肉をもやし、ピーマン、パクチーとクミンで炒めて昼食とした。暮らしている、という実感が出てきた。どうしても洗い物は溜め込んでしまっているが、そこを抜けたい。そこを抜ければ春かもしれない。そう、今日はすごく"働いて"いる。さらにフリースタイルの原稿とNICE POP RADIOの選曲を同時進行でなんとかこなす。どちらも終わらなかったのでなんとかこなせていないけどいいんだ。特設サイトのインタヴューの修正は終わらせたし。スーパーで半額になっていた高い肉をさっと焼いて生卵くぐらせて晩飯とする。夜にはミックスチェックのため、スタジオに向かった。今日は「スウィッチ」と「セブンスター」。広く狭くいろいろ検証していってどうしたらかっこよくなるかを葛西さんと詰めていった。スタッフも合流して確認。3人でその仕上がりに大いに満足する。ここから更に詰めていく。終わった頃には2時を過ぎていた。意外とガラガラでもない夜道を走って自宅について、もうひと仕事。

悲しくないしらせ

28日

「アナザー・ストーリー」から先行配信される曲のマスタリング。小鐡さんに今回もお願いしています。ふと「たとえばファッションとかにも置き換えられると思うんです。どういう服を着たいと思います?」と訊かれて裏にするか、表にするべきか悩んで裏だった「そうですね……例えば5年経って10年経って「あんな服着ていたのか」って思いたくないんですよ」と答えたが、正解はやはり表の「かっこいい」でよかったようだった。

マスタリングが終わったばかりのCD-Rを抱えて山手通りをそのまま北上して池袋のココナッツディスクへ向かった。中川くんだったらどう聴いてくれるだろう、そう思って向かってみたのだった。ところが中川くんは出勤していなかった!取り置きをお願いしていた公衆道徳のアナログをようやく回収して、久しぶりの池袋をうろついた。地下街からユニオンに出る最短のルートを間違えてしまって、それ相応の時間が経ってしまった、ということを思い知らされる。楊二号店でテイクアウトして部屋で麻婆豆腐を食べた。そうそう、このフィーリング。

 

29日

事務所で衣装のフィッティング。車の鍵を握って外に出たらあまりにもいい天気だったもんだから自転車に乗って電車に乗り換えて事務所に向かった。ゆったりとした車内で本を読んで目的地に着いた。衣装は半分が閉まらなかったことで盛大に落ち込んだ。体力づくりのために週5で自転車に乗っていたけど「痩せるために自転車乗ってるわけじゃないんだ」と言い聞かせて深夜2時にスイーツ食ったりしていた俺が悪い。

帰り道、かばんのなかに昨日マスタリングが終わったCD-Rを入れていたので「矢島さんならどう聴いてくれるかな」と吉祥寺のココナッツディスクに寄ったのだがまたも不在。ドヒー。

 

31日

久しぶりに昔シェアハウスをしていたみんなと吉祥寺のコピスの屋上でBBQしてきた。ミックスのあととかもご飯食べないでそそくさと家に帰ってきてしまっていたから誰かとごはんを食べるのさえ久しぶりなんだけどやはりいいものだった。近況報告いろいろしながらさむがりながら西日を疎みながら。

夜はムーンライダーズのライヴへ行った。最近のムーンライダーズのライヴはどうしたってかしぶちさんの不在、というのを確認せざるを得なくて、だからこそきっとかしぶちさんの曲を演奏するのがライダーズにとっても癒やしであり、それを聴くのが我々にとっても癒やしだったのだけど、新しいアルバムを制作する、というアナウンスもあった通り、ここから新しくはじまる、ということを感じさせる素晴らしいライヴだった。

終演後、なりすレコードの平沢さんが「もう、もうさ、曲を演奏する度に今までの人生が走馬灯のようにめぐるんだよね」と言っていたのが印象的だった。

再び吉祥寺に戻ってシェアハウスをしていた仲間に合流。実はその日、ムーンライダーズのライヴとBBQをダブルブッキングしていたと直前に気づいたのだった。スケジュール管理能力が激落ちしている。

稲本くんに「澤部さん……あの……filmarksのコメントの使い方……あれってわざとなんですか……?」と訊かれて笑ってしまった。filmarksは見た映画の感想を書き込むところがあるのだけど、映画のページにその感想が載ってしまう。それがとってもいやのでこう思った、みたいなことは自分のページのコメントに書くことにしているのだ。こうすればどう思ったかということは一つ階層もぐらないと見れないようになるのデース。同じこと思ってる人いるかもしれないから日記に書いておく。

 

1日

昼はナイスポップレディオの収録。夜はスプラトゥーン。優介、佐久間さん、見富さんの4人でガンガンやりつつ、基本は雑談がメイン。優介からいくつか映画を勧めてもらった。