幻燈日記帳

認める・認めない

いなゃじいながうょしてっだ

某日

1年2ヶ月ぶりのバンドでのライヴに向けて、体力をつけるために真夜中のサイクリングを再開した。2日目、小雨がぱらついていて、「夏を洗い流す雨」という詩のことを思い出す。ずっと、夏の終わりのスコールのようなものを頭に描いていたけど、これだって夏を洗い流す雨かもしれない。

 

某日

仕事で八王子へ。雨が夏を洗い流すことはなく、早朝寒く、昼が近づくとカンカン照りになってしまった。帰りにグーグルマップに「レコード屋」と入れたら日野に一軒あるらしいから車を走らせ、ついてみたら店は開いていなかった。全国のレコード屋の情報が載っているRecoyaのデータを見てみるともうすでにそのレコード屋は営業していないようだった。無念。ここでおとなしく帰る私ではない、と立川の方へ向かい、珍屋へ。買おうか迷っていて早々に店頭からなくなってしまった「僕の中の少年」のリマスター盤とか、90年代のピエロ・ウミリアーニの再発盤などを買った。

 

某日

部屋で作業。最初はバンドっぽい音像にしようと思って作業をしていたけど、だんだんそうではない、となっていった時にシビアにベースやギターを弾かなければならなくなってしまった。それを何日にも渡って弾いては微調整して、微調整しては弾きなおす。「歌とかギターとかが揺れてるから納得いくテイクが録れないんだよ!」とクオンタイズされたリズムトラックを聴きながら弾いていたのだけど、それでもだめで、最終的にはそれらのトラックに加え、16分でクリック出してベースを弾いていた。いいものができている。

 

某日

街を歩いていたときになんとなく横をふっと見た。そうしたら車が停まっていて、泊まった車の窓に自分が写っている。そうして白髪が増えたな、と思うのだ。

 

訪ねてきた

某日

ドライブ・マイ・カーを観に行く。近所ではどこもかかっていなかったから池袋へ向かった。映画は面白く、ケツが痛くなること以外は時間を忘れさせてくれた。せめて外に出て曇天だったらよかったのだけど、晴天とも曇天ともつかない妙な天気だった。映画を見終わって池袋をすこしうろつく。ああ、俺のP'PARCO、ああ、俺のWE ROAD。

 

某日

散髪。早めに家を出て池袋に向かう。ココナッツディスクの池袋店に取り置きが溜まってしまっていてそれを受け取りに行った。新入荷を見ているとエレック盤のシュガー・ベイブの「ソングス」があった。そりゃもちろん高い。いつかはほしいな〜と思っていたけど、今日がその日かもしれない、なんて冗談のように思ったら胸が高鳴ってきた。ドキドキしてしまう。もし我が家に「ソングス」のオリジナルがあったら?そもそも盤が国内だろうが輸入だろうが関係ない、リイシューでもオリジナルでも聴けりゃあいいんだよ、という人間なので、どうしてこうやって「ソングス」が欲しいのか考えてみたところ、いくつかを思い出す。まず数年前に出た2枚組のリイシューの音が好みじゃなかったこと。確かにいい音。でもすりきり一杯音が入っていて、いや、表面張力のような現代的な音。それに違和感があって、結局学生時代にココナッツで2500円とかで買ったコロンビア盤や30th盤とかを聴いていた。それと、いつか誰かが言っていた「ソングスはオリジナル盤じゃないと」という発言。音楽マニアが行き着くよくある戯言のたぐいだ。「ビートルズはUKのMONO盤以外ビートルズじゃない」とか極端な感性に導かれがちだから敬遠しているのだけど、どうしてもその言葉が頭から離れていなかったのだ。だって誰も「シングルマンはオリジナルじゃないと」とか「一触即発はオリジナルじゃないと」とか言っているのを聴いたことがない。私がそれだけ交友関係が狭い、ということの表れかもしれないけれども、それほどまでに「ソングス」のオリジナル盤には魔力があるのか、と思っていたことを忘れていたのだ。そしてリイシューのアナログが「オリジナルに一番近い」と言っている人もいた。当時、あまりにもこのリイシューの音がわからず、似たような意見の人を探そうとした結果目にした意見だった。それらを経ての今のこの胸の高鳴り。たまたま金と異常な枚数のポイントカードがあったので併用して購入してしまった。嬉しくてココナッツの社長と一緒にいい顔してるぼくの写真はこちら。https://twitter.com/C_C_N_D_IKB/status/1446001803196129280?s=20

原宿に向かい、シゲルさんに髪を切ってもらう。到着するとチャーベさんもいらっしゃった!ミュージシャンにあえる機会が本当に減っていて、とっても寂しかったから本当に嬉しかった。あんまり長い時間話せもしなかったけど、このことを胸に当分暮らしていくんだろうな、ととてもいい気分になった。

 

某日

5つのうちの5つめのデモが出来る。嬉しい。何度も聴き返しちゃう。

 

某日

中野へグレイモヤを観に行く。とにかくすごすぎて頭が落ち着かない。すき家豚丼買って帰って花椒がひたひたになってる油みたいなやつぶちまけて、更には納豆までぶっかけちゃって。そうしないと気が済まないライヴだった。

ハイヤー

(「サマー・オブ・ソウル」のネタバレみたいな日記です)

 

 

 

吉祥寺のオデヲンで「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」を見てきた。若き日のスライやスティーヴィーのライヴが見れる、とものすごく気楽に観に行ったのだが、内容はヘヴィであった。音楽がそこに在る理由というのが、私の接し方では根幹から違うような気がしてしまったし、ここで語られていた問題というのがぐう、そしてたらに暮らして来た私にとってどうなっていったのか、今ある問題から察するに実は変わっていないんじゃないか、とよく勉強もしていないのに勝手に気持ちが沈んでいくのであった。特に強烈だったのはニーナ・シモン。私はこれまでニーナ・シモンをほとんど聴いたことがなく、少し前のTJNYの雑談ZOOMかなにかで森さんが話していて「聴いたことなかったな」と「ヒア・カム・ザ・サン」をつい最近買って聴いていただけだったので、かつて持っていた強烈な影をまとったシンガー、ぐらいの認識に毛が生えた程度だったのだ。黒人としてどう在り、何を表現し、何を変えていこうとしていったのか、というのが語られ、証明するように映像が飛び込んでくるような映画の終盤、ニーナ・シモンは「準備はいい?黒人のみんな 必要なことをする準備は?」と観客をアジる。「必要なら殺す覚悟がある?」「白いものをたたき潰す準備は?」「ビルを燃やす準備は?」。観客もより熱狂的になっていき、渦のようなコール・アンド・レスポンスになっていく。ラスト・ポエッツというラップの元祖のようなユニットのラスト・ポエッツのデヴィッド・ネルソンによる詩だそうだ。映画で一瞬語られ、通奏低音のように響く「分断」という言葉に思いを巡らせる。ニーナ・シモンは「黒人のみんな、準備はいい?」ともう一度問う。「変わる準備は出来てる?完璧にイケてる黒人にね」と。スクリーンを見ていた私は、それがどういう意味なのかわからなく、混乱した。しかし、最後に(白人のメンバーもいる)スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの映像がもう一度出てきて、それで気持ちが救われた。しかし、それらの流れというのは結局、どういうことだったんだろう、ということは答えが出るわけもなく、ただ吉祥寺の街を歩くことしかできなかった。そうして角を曲がる。

シューシュー

新しくカセットが手に入ったので聴きたい、(そしてこれをナイポレで紹介したい)と思ったのだが、部屋にあったコンポのカセット機能は故障してしまっていて、それなら、と吉祥寺へカセットプレイヤーを探しに出かけた。カセットのコーナーがあったから、とHMVを覗くとIONの4000円でUSBで電源取れて、しかも編集ソフトもついてくるやつがあった。でもカセットプレイヤーって家電だろ、オーディオだろ、と思い、オーディオユニオンとヨドバシもみる。ヨドバシには手頃な価格帯ではUSBで電源がとれるものがなく、オーディオユニオンにはそもそも一台もカセットデッキがなかった。HMVに戻り、IONのやつを購入し、自宅に戻り、カセットをオーディオに変換しようと試みる。イヤフォンジャックからミニフォンのケーブルを刺し、それをそのままオーディオインターフェースに刺すのだが、まったく音が来ない。古いケーブルだもんな〜、いつ買ったんだこれ、多分4TR埋めたやつをミックスして、MDに書き出して、そのMDの音源をまたMTRに戻すために使ってたりしていたから、きっと高校生の頃だろうな。もう15年前か〜、とか言いながら別のケーブルを探す。そうしたらそれも音が来ない。不審に思って普通にイヤフォンを刺してみたらそちらは普通に聴こえる。そんなに断線したケーブルばかりが私の部屋にあるのかね、と悲しくなったので意を決して普段Macの音をミキサーに繋いでいるケーブルをむんずと引き抜き、刺してみたのだがそれもだめだ。どうやらステレオピンジャックとイヤフォンジャックでは規格が微妙に違うらしい、ということがだんだんわかってきた。すべてが無駄になった、と気づいた頃にはもう遅かった。

 

レコーディング。頼まれもの5連発(既発表はそのうち、2)のうちの4のRec。久しぶりの青葉台。11時からはじめて早めに終わるつもりで作業を開始。4時過ぎた頃にはベーシックは録り終えていて、5時過ぎにはもうみんなで食事を囲んだ。スムースに進むだろうな、と思っていたのに、残ったギターのダビング、ヴォーカルを録り終え、車に乗り込んだら夜の3時になっていた。歌録りに少し難航したぐらいであとは特に時間かかった箇所なんてなかったのに!久しぶりに朝から晩までスタジオに居た。

夢の裏側

10/1のラジオ父ちゃんのまーごめ、運良くチケットが取れていたのだけど、自分のまーごめと予定がまーごめしてしまい、周りで真空ジェシカとママタルト好きなひといたかな〜と思いを巡らせ、思い浮かんだまーごめのまーごめくんがまーごめだったはずだ、と連絡したら予定もまーごめで、チケットをまーごめせずにすみました。まーごめ。

 

定期的に古い知り合いが今どうしているか気になって、検索しているんだけど、去年逮捕されていたことがわかった。それまでは生きているかどうかもわからなかったから、とりあえず生きてはいたんだな、と思って少しホッとする。生きていればいいことある。

 

どついたるねんMV 生きてれば - YouTube

 

新曲のタイトルがまったく思い浮かばない数日間を経て、ようやく草案のようなものが出てきた。しかし、これでいいのか、念の為に検索してみたらめちゃくちゃスピった人のブログがヒットした。さあどうしたもんか。

下北沢Ⅱ

な〜んかぼんやりする。しかし熱もない。まったくもっての平熱。もちろん咳とかの類もないのだが、念の為、と頂いていた抗原検査キットを開封。2分間長い棒を咥え、緊張しながら15分待つ。陰性だった。季節の変わり目に揺さぶられてな〜んかぼんやりしているのだろう。仕事で下北沢に向かう。前日、ダウ90000見たときに渋谷のユニオンにも寄り、買い物したときに「下北沢店で使えるクーポンです」と出されたものを「あ〜いや、下北沢行く用事ないんでダイジョウブっす」とか言って受け取り拒否したのに次の日の仕事が下北沢だったということをすっかり忘れてしまっていた。仕事がつつがなく終わったあと、ユニオンを見たけど昨日失ったクーポン券のことを考えてどうにも集中できず、目が滑る。こりゃいかん、と別のレコード屋にいき、岡本舞子さんの7インチとかRCの「きみかわいいね」ジャケなし特価盤とかを買ったりした。店から出て、角を曲がろうとした頃、誰かが「澤部〜」と駆けてくるじゃないか。振り返ると学生の頃からの付き合いの先輩バンドマンだった。驚く。今はそこで店長をしている、と話してくれて更に驚いた。以前、そのバンドの周年に向けてコメントを書いたことがあったのだが、若かった私目線のイキった超長い文章を書いてしまい、結局そのコメントが日の目を見ることはなかった。次あったらそのことを詫びたかったのに、驚きが勝って結局、「え〜!」「そうなんですか〜!」「驚きましたよ〜!」をランダム再生するマッシーンと化してしまっていた気がする。先輩と角で別れて、少し歩いて山角でいくつかのお惣菜をテイクアウトして車に乗り込んだ。夕方せまる西へ向かう幹線道路は混雑していて、なんとなくコレクターズを全曲シャッフルして気持ちを交わすしかなかった。ガソリンスタンドに寄り、洗車&洗浄剤追加。昼間から外に出ていて、知ってる人、知らない人、まだ会って数回の人、いろんな人と会ったり、すれ違ったのだが、なんだか誰とも会った気がしなかった。部屋に帰り、炊飯器を仕込み、シャワーを浴び、いくつかテレビを見ながら食事を摂る。今日一日を思い出し、さらにな〜んかぼんやりとした気持ちになる。

ラ・vy

某日

打ち合わせで広尾に向かう。車で行こうかとも思ったけれどもクタクタで運転する気力がない気がして電車で向かい、帰り道にインスタント・シトロンのアナログを買いに渋谷のタワレコに寄り道。これまで聴いたことあるツラして実は聴いたことがなかったスリッツのファーストが廉価盤で再発されててそれも購入。渋谷のツタヤにブランクスペースのサイン本、ないだろうけど一応見たらやっぱりなくてそのまま井の頭線に乗り込んだ。神泉つくまで電波届かないこの感じ、忘れてしまっていたよ。バスを乗り継いで帰宅。

 

某日

ブランクスペースの最新の更新を読む。ショーコとスイのテツヤをめぐる接し方の違いで「見えてる」「見えてない」の差がこうでるのか、と当たり前のことなんだけど、そこにスイとテツヤの孤独がものすごい濃度で襲いかかってきて感情がぐちゃぐちゃになる。でもその孤独がテツヤが出てきたからの突然の孤独じゃなくて、1巻からの地続きで、また分断でもあって、すごすぎる。

 

ブランクスペース - 熊倉献 / #11 見えない | コミプレ|ヒーローズ編集部が運営する無料マンガサイト

 

某日

ナイポレの選曲でルイス・フューレイの"Top Ten Sexes"を入れようか迷って外した。この決断自体はよかったと思うんだけど、何度目かのルイス・フューレイ最高期が訪れてしまった。手放したレコードがやっぱり魅力的に見えてくる現象にも近いのかもしれない。ずっとデータでばっかり聴いてたルイス・フューレイ、っつーか"The Humours Of Lewis Furey"のレコードに針をおとす。閉店する少し前の阿佐ヶ谷のRAREで買ったのだ。(90年のCD化のやつしか持ってないけど)、レコードの方が猥雑でぐっときちゃう。溝が内側にいけばいくほど猥雑になっていく感じがたまらない。

 

某日

ワクチンも2回打って、仕事の修羅場もひとまず抜けたからついでかけてしまうようになってしまった。でも街に出ると今でもギョッとしてしまう気持ちがまだあるし、それなら家でじっとしてりゃよかったじゃん、っていう気持ちにもなり、やっぱりまだ整理がつききらないときもある。それでもグレイモヤβを野方へ観に行く。まだ名前も知らないような若手を何組も見て、「ほほう、こういう若い人たちが出てきたんだね…」と斜に構えてみたりする。βだから若手を楽しんだ方がいいのだろうけど、この日の赤もみじは別格。ネタもバチっとキマった上で、村田さんが「かわいい!」と絶叫したときに会場がうねるような反響があがってさらにウケるというちょっと見たことないぐらいの気持ちよさだった。やめられね〜〜〜〜 終演後、先輩ミュージシャンから電話がきて嬉しい気持ちになる。

 

某日

先日のサラリーマン川西の夏のボーナス50万争奪ライヴで噂はきいてたけどはじめてみたダウ90000がやっぱり素晴らしくて(おれはもうザクセスに足を向けて眠れない。)、「旅館じゃないんだからさ」をリセールでチケットが運良く取れて渋谷に向かった。普段、「なんだこれ、どうなってるんだ、どうなってくんだ」みたいなのばっかり見てるから、長い時間の中、整理されているのに程よく混沌としていて、それぞれの行動に理由がある、自分の中ではまったく新しいものが見れてとても興奮した。

 

某日

インスタント・シトロンの「ユトレヒト・アンド・マエストロ」を買ってきたレコードで聴く。インスタント・シトロンの再発に寄せたコメントでも書いたけど、池袋のタワーのどこの試聴機の何番にこのアルバムが入っていたか、ということを今でも思い出せる。免許を取って何度目か、父親の車を借りてでかけたとき、"Le Monde Avec Le Luisant"がウインカーのテンポとまったく一緒でとても驚いたことも思い出す。音楽がどうこう、というのはまず当たり前で、それに付随して私が何を見たのか、ということは、私にとってとても大切なのかもしれない。

 

instant cytron retrospective 1995-2002