幻燈日記帳

認める・認めない

ハイヤー

(「サマー・オブ・ソウル」のネタバレみたいな日記です)

 

 

 

吉祥寺のオデヲンで「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」を見てきた。若き日のスライやスティーヴィーのライヴが見れる、とものすごく気楽に観に行ったのだが、内容はヘヴィであった。音楽がそこに在る理由というのが、私の接し方では根幹から違うような気がしてしまったし、ここで語られていた問題というのがぐう、そしてたらに暮らして来た私にとってどうなっていったのか、今ある問題から察するに実は変わっていないんじゃないか、とよく勉強もしていないのに勝手に気持ちが沈んでいくのであった。特に強烈だったのはニーナ・シモン。私はこれまでニーナ・シモンをほとんど聴いたことがなく、少し前のTJNYの雑談ZOOMかなにかで森さんが話していて「聴いたことなかったな」と「ヒア・カム・ザ・サン」をつい最近買って聴いていただけだったので、かつて持っていた強烈な影をまとったシンガー、ぐらいの認識に毛が生えた程度だったのだ。黒人としてどう在り、何を表現し、何を変えていこうとしていったのか、というのが語られ、証明するように映像が飛び込んでくるような映画の終盤、ニーナ・シモンは「準備はいい?黒人のみんな 必要なことをする準備は?」と観客をアジる。「必要なら殺す覚悟がある?」「白いものをたたき潰す準備は?」「ビルを燃やす準備は?」。観客もより熱狂的になっていき、渦のようなコール・アンド・レスポンスになっていく。ラスト・ポエッツというラップの元祖のようなユニットのラスト・ポエッツのデヴィッド・ネルソンによる詩だそうだ。映画で一瞬語られ、通奏低音のように響く「分断」という言葉に思いを巡らせる。ニーナ・シモンは「黒人のみんな、準備はいい?」ともう一度問う。「変わる準備は出来てる?完璧にイケてる黒人にね」と。スクリーンを見ていた私は、それがどういう意味なのかわからなく、混乱した。しかし、最後に(白人のメンバーもいる)スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの映像がもう一度出てきて、それで気持ちが救われた。しかし、それらの流れというのは結局、どういうことだったんだろう、ということは答えが出るわけもなく、ただ吉祥寺の街を歩くことしかできなかった。そうして角を曲がる。