幻燈日記帳

認める・認めない

シャンデリア・ゴー・ゴー

17日

ワンマンの最終ゲネ。曲順なども変更なし。いい調子だがめちゃくちゃ疲れる。

 

18日

ツアーの支度に明け暮れる。

 

19日

メンバーより先に関西に入る。この日は台風クラブ石塚くんとラジオの収録。少し早く入ってレコード屋を見たり、気になっていた蕎麦屋へ行く。春が近い京都はいわゆる「うららか」の予感というやつで、大変気分が良かった。どこまでも行けそうな気がするよ、とはよく言ったもんだ。まだなるべく歩く、というのは続いていて、荒神橋から烏丸御池まで歩いた。あまりにも「うららか」の予感なもんだから飛び石を歩いて鴨川を渡った。

楽しい収録が終わり、ひとり夜の街を彷徨う。京都の夜は早く、目当てだった店は開いていたのだが、入ったら「ごめんね、今日はもうおしまい」と断れてしまった。この店、3回ぐらいそう断られている。つくづく縁がない。しょんぼりとして適当に歩いて見つけたラーメン屋に入った。これはこれでうまい。

α-STATIONが用意してくれた宿が本当に素晴らしい宿で、ベッドなんて縦で寝ても横で寝ても問題ない、という塩梅だった。部屋に備え付けられたレコードプレイヤーで今日買ったレコードを聴こうと思ったら盤が歪んでしまっていることに気がついてしまってちょっとしょげる。

 

20日

京都を出て大阪へ向かう。道中は萩尾望都さんの「一度きりの大泉の話」を読んだ。自分が好きな作品の多くが隅に追いやられながら描かれたものだと知る。私が母からの薦めで萩尾望都さんを読みだした頃、すでに萩尾望都さんは少女漫画の大家で、母から当時のムードの話を聞いたことがあってもどうにも信じられなかった。しかし、本人から当時の回想を読んで、そのムードがより立体的になる。

大阪について、食いっぱぐれた昼食をなんとかしよう、とクアトロまでの道を歩きながら考える。すると、私の大好きな会津屋があり、そこでたこ焼きを買って会場入りした。メンバーと落ち合い、(萩尾望都さんの漫画をその時は読んでいなかったのになぜか)「一度きりの大泉の話」を読んでいた佐久間さんと本について少し話した。

久しぶりのレコ発ツアーということもあり、開演まで落ち着かなくて外に出てレコードを見た。地図も見ないでユニオンを目指す。するとどうだろう。SEEEDSに着いていた。お店の人と話して、ドド・マーマローサとアート・ヴァン・ダムのレコードを買って、ギリギリに会場に戻った。慌ててシャツを着て、ステージに向かう。大阪は前回のトワイライトツアーと同じく横ばい、人の入りは寂しい。でもその分、真剣に聴いてくれるのが伝わったし、それに応えていいライヴが出来た。特に歌はこの日が多分一番良かったし、ずっと歩いていたからか、身体が柔らかかった気がした。

 

21日

大阪で一泊。打上げも楽しくて、珍しく二次会にまで出た。名古屋のライヴは前日の反省を反映出来て、いい出来。しかし、「駆ける」始まる直前、カウントの裏に何かが崩れるような音が聞こえて(どうやら製氷機の音だったらしい)、気持ちを整理するのが大変だったし、アウトロで盛大に間違えた。他にも謎のコンコン、という音がときどき聞こえて集中力が乱されるなどして自分のメンタルの弱さを改めて知る。(謎の音はボーイ以外は全員聞こえていたようで、しかもすり合わせていくと全員違う聞こえ方をしていたようだった。そして録音にはその音は入っていなかった)集客こそトワイライトツアーと同じく横ばい、人の入りは寂しい。しかし演奏は調子もよく、お客さんの盛り上がりもまるで東京、ホームのような盛り上がりだった。

 

23日

網戸の交換。ずっとガタガタですぐ外れてしまうので困っていたから助かった。

夕方前に吉祥寺に出て本屋へ向かう。今日はほそやゆきのさんの「夏・ユートピアノ」の発売日だ。こんなに嬉しい気持ちで本屋に行くのはいつぶりだろう。新刊コーナーに本が並んでいるのを見ただけで気分が高揚した。他にもいくつか新刊を購入する。

『夏・ユートピアノ』(ほそや ゆきの)|講談社コミックプラス

窓を開けて漫画を読む。20ページの「昨日は濃い霧が出ていて あんまり外に出たいような日でもなかった」と語るコマがある。そこが印刷されることによって裏のページのコマもほんの少し透け、20ページの淡さがより強調されたような気がしてぐっとくる。アナログのレコーディングでいうと転写のような感じだろうか。物語に入っていけるような気がして最高だった。73ページから数ページ続くピアノの内部の描写も美しい。この日記読んでる人には絶対読んでほしい。

 

25日

東京公演。袖で緊張しているとTchotchkeの「Dizzy」に乗せて佐久間さんが手拍子しながら出ていったのを見て、なんてやさしいドラマーとバンドをやっているんだろう、と少し泣きそうになった。大阪・名古屋と空いている会場を見慣れてしまったからか、大勢のお客さんを前に身体が固くなるのを感じる。実際、序盤は声は出ているものの、どこか声がまっすぐ出ない感じがあった。でも熱いお客さんと仕上がった演奏にほぐされていき、最終的にはいいライヴになった。終演後、メンバーで牛角に向かい、ひたすらメシを食い疲れを労った。

 

28日

渋谷で会食があるため向かう。電車の中でほそやゆきのさんの『夏・ユートピアノ』をあらためて読み返した。連載のときも、買ってすぐ読んだときも、気持ちが揺れるところが違うのだけど、今回は響子がピアノの弦を切ってしまったときの回想のところで気持ちが大いに揺れた。しかし揺れた理由がわからない。そうして何度も考える。これがいいんだ。渋谷の駅で降り、スクランブル交差点で信号を待っていると、青になったのに動き出さない。はて、と思ったらみんな写真撮影をしていた。よく見ると海外の観光客の方々だった。3年前のような光景に驚いた。

ターンがスペシャル

6日

ずっと導入を検討していた食器棚がついに納品。我が家に収納革命が起こる。妻だと無理して取らなければならなかったアパート備え付けの収納にしまっていた普段遣いの食器を少しずつ入れていき、それまでダンボールに収められていた行き場のない食器が見事にアパート備え付けの収納に収められていった。食器棚は高いものではないのだけど、木の香りがして、そこだけ新築のような香りがする。

週末が福岡・長崎でのライヴだったため、いつも毎週録音していたナイポレはものすごく久しぶりに2本録り敢行。

 

7日

シティポップレイディオの収録。翌週末に控えた生放送についての作戦会議も濃かった。気が引き締まった。

友人を訪ねて機材の受け渡し。つい雑談に花が咲いてしまう。しかしその花、食虫植物だったんです……(下世話な会話も多かったことの比喩) 昼飯を食うつもりでいたのだがすっかり夕方になってしまった。友人に近くのとんかつ屋に行こうと思っているんだ、と告げると、まだ開店前。近くのとんかつ屋を紹介してもらったのだけど、そちらは定休日。でももう一軒のおすすめのとんかつ屋を教えてもらってなんてとんかつだらけの街なんだ、と感動した。

 

8日

昼間一本取材。多分記事にならない雑談の部分が大いに盛り上がる。その後夜に控えたインスタライヴまで時間があるので京王百貨店の九州展でいくつか買い物をした。インスタライヴは200人いくかいかないか、と思っていたが300人ぐらい見てくれてとても嬉しかった。もうちょっとライヴのチケット売上伸ばしたいんじゃ。

 

9日

定期検診。採血。今回も珍しく一発で採血が完了した。結果はともかく痩せよう、と医師と話す。とにかく歩いてみたらどうだ、という。膝の負担を考えて、プールに行ったり自転車に乗ったりしたのだが、まあいいよ、とにかく歩ける時は歩いてみよう、という話に落ち着いた。部屋に戻り、作業してからRRRを見に行った。立川ではインターヴァルを設けた上映をやっているのだ。前回見た時に、とんでもないスピード感で前半が終わって、インターヴァルとは画面にでるものの、そのまま後編が始まってしまったもんだから、後半の冒頭の部分がちょっと物足りなく感じたりもしていたのだけど、インターヴァル取ることによって後半の冒頭もめちゃくちゃ頭に入ってくる。休憩込みの作品かもしれない、と痛感。A面、B面の感覚だ。

 

10日

福岡へ向かう。翌日に控えたライヴのために前乗りしてアルバムの追加プロモーション。ポニーキャニオンの2人と空港で待ち合わせ、座席に着く。安田くんに「もし少しでもいびきがうるさかったら殺してください」と頼む。生きて福岡に着くことが出来た。福岡担当のポニーの高橋さんも合流し、ラジオの生放送を1本終え、ギリギリの時間になってしまったが、みんなでハイダルに行きたい、と電話したら、ハイダルさんは歓迎してくれた。インスタにあがっていた新メニュー、ゴルブナとポロタのセット。ゴルブナはとろみのついた牛肉のカレー、ポロタはチーズのナン、とのことだった。店主のハイダルさんは翌日、バングラデシュの病院の打ち合わせがあるため、帰郷しなければならなかったそうで、タイミングもよかったようだ。嬉しい。そして実においしい。いつきても感動する。CROSS FMの収録が終わったあと、それぞれに別れてレコード屋を目指した。春が来そうな福岡を歩く。ティーンエイジ・ドリーム・レコードに行くのは4,5年振りだろうか。前回来た時はNRBQのデッドストックが買えた。今回は何が買えるだろうか、と店内を見ていくと、The Nazzのアンソロジーのデッドストックがあった。中古で売っててもめちゃくちゃ高いものではないと思うけどなんだか嬉しくなって購入してしまった。

 

11日

起きてレコード屋に向かう。グルーヴィンを見て13時から田口商店を見る、という完璧な流れの予定。グルーヴィンではジョアン・ドナートの2001年作などを買う。後で家できいたのだけどこれが傑作。まだ2曲目だけどそう言いたくなる。

Ê Lalá Lay-Ê - Album by João Donato | Spotify

グルーヴィンから田口商店へ向かったのだが全然開かず諦める。取材(と昼食)のために西新に向かう。初めての街。小洒落た店と古い店が混在としていて昔の下北沢みたいだった。せっかく行くのなら、とついでの目当てにしていたレコード屋はもうやっていなかった。同じ住所の古本屋の人に訪ねてみると随分前に閉店していたそうで、それでもGoogleMapには情報が残ってしまっているのだそう。昼食のタローノカレーは普段はFM局で働く主人が土曜日限定で出しているお店。ポタージュがめちゃくちゃ美味しかった。香りの強い野菜が多く使われていて最高。

松浦アジフライパークというイヴェントに出演、取材が伸びてしまってユザーンさんのライヴは観れなかった。自分の出番はなかなかうまく行って嬉しい。特に突然に決まったユザーンさんとのセッションした「静かな夜がいい」は言葉が飛んでいく感覚があった。もし、これで歌詞がもっと開けた言葉だったらどうなっていたんだろうか。最近は弱っているので自分の創作に対してifを投げかけてしまうことが増えた。

終演後、アジフライをいただく。魚介が苦手な私はアジフライも今まで何度もチャレンジして食べられないことが多かったのだけど、ときどきあの独特の臭みが顔を出し、私を追い越しそうになったのだが、結果的には生まれてはじめておいしく食べることが出来た。会場には松浦の名物もいくつかあって、その中に「やきりんご」というお菓子があった。昔からあって変わらないお菓子なのだという。パッケージのあまりの可愛さに購入。食べてみたらいわゆるブッセのような仕上がりでひとつもやきりんご要素がなかった。だが、そこが可愛い。

終演後、あまりお腹が空いていなかった我々は、2時間後に晩御飯の予定を入れた。ポニーキャニオン一行はホテルに向かうというので井上さんに楽器を預け、昼間あまりいけなかったレコード屋を回ることにした。ボーダーラインレコードには定期的に地方のレコード屋が間借りするコーナーがあって、行った時は岡山のレコード屋というお店が入っていた。グリーンハウスの店名が変わったのだそう。そこでOh! Penelopeのプロモ盤を見つけてしまった。高額盤だった。1時間近く店内をぐるぐるして、どうしよう、どうするべきか、と考えを巡らせ、結果買ってしまった。嬉しい気持ちと罪悪感が同時に押し寄せ、他のレコード屋には寄らず、夕食の店まで歩くことにした。嬉しい気持ちと罪悪感がせめぎ合った結果、どうなってしまったかはもう思い出せない。

 

12日

安田くんの運転で波佐見町を目指す。道中、絶メシロードでも訪れていたさんゆうしという店が通り道と言えば通り道だったので寄ってもらい昼食を摂った。たろめんは一度は途絶えたソウルフードだそうで、シックな見た目の割にはパンチがきいていて素晴らしい昼食になった。会場であるHIROPPAに着いた頃には雨が降り出した。長崎でライヴが決まったよ、と言われたときは「えっ、人来るのかな」なんて思ったけど、結構人が集まってくれていた。本当に嬉しい。終わってお皿を買ったり、プリンを食べたりする。なんてことないかもしれないけれど、演奏が終わってからもしみじみ良い時間になった。天候にこそ恵まれなかったけれど、小玉ユキさんの「青の花 器の森」の舞台にもなった町だ、どうしたってテンションはあがる。東京に戻ったらまた最初から読み返そう。

お世話になったゲストハウスの玄関に怖いポスターが飾ってあって妻にその写真を撮って送ったら「MF Doomじゃねえか」と返信が来た。ヒップホップリテラシーのなさが浮き彫りになってしまった。

 

13日

帰りの空港で食べたラーメンがあまりに口合わなくひどく悲しい気持ちになる。

あぶない!シティ

25日

ナイポレの収録。岡田さん追悼特集にしようか、とも思ったがとてもじゃないけどそんな気分にもなれない。そうして高橋幸宏さんが自分にとっていかに遠い存在であったか、ということを今更ながらに知った。結局、新入荷報告会にして、最後に岡田さんの訃報に触れ、「バイバイグッドバイサラバイ」を流してもらう、という形を取った。放送局のライブラリーに「バイバイグッドバイサラバイ」があるというので、それを聴きながらしんみりしていると最後のピアノの独奏が入っていないシングルヴァージョンだということがわかり、慌ててレコードを引っ張り出し盤から起こしてディレクターY氏に送信した。あのピアノがないと今回はだめなんだ。自分で放送も聴いて最後のピアノの後、小さく拍手をする。

https://radiko.jp/#!/ts/ALPHA-STATION/20230303200000

 

26日

高野寛さんとスーパー銭湯という嬉しいツーマン。アンコールでセッションをやろう、と提案してくれて、僭越ながらも「ちょっとツラインダ」を提案。今、この曲を本人たち以外が歌うなら僕等しかいないに違いない。自分のリハーサルを終えて、会場入りした高野さんと多くを語るわけでもなく、4年前に一度合わせた「9月の海はクラゲの海」を演奏する。演奏しながらどちらが歌うか、ということをなんとなく整理していく過程で、(こういうことをいうのはいかにもミュ〜ジシャンで恥ずかしいのだけど)お互いがどれほど深く傷ついているか、みたいなものが通じ合ったような気がした。もしかしたら身勝手なセラピーのようなものかもしれないのだけど、1部のアンコールで演奏した「9月の海はクラゲの海」は個人的には一生胸に抱くような演奏になった。ひとりでは絶対に歌えなかった。2部では高野さんがこの世で一番いい曲のひとつであるロジャー・ニコルスの「The Drifter」を日本語でカヴァーした「ドゥリフター」、大好きな「いつのまにか晴れ」を歌っていてとてもうれしくなった。「虹の都へ」でブチあがってる社長も見れてよかった。

帰り道、全曲シャッフルにして道を走っていると一昨年のEXシアターでのライヴ音源の「さよならは夜明けの夢に」が流れてきた。「我が人生最良の一日です」と岡田さんがMCでこたえる。「50周年に向けてリハビリも頑張っていきたい」というような内容だった。今は正確な言葉を確認できる気持ちじゃないから違ったら申し訳ないのだけど、とにかくそういう内容だった。もっと号泣してしまうんじゃないかと思っていたし、実際涙は溢れたのだが、ハンドルを握りながら冷静な自分も居た。胸に穴が空いてしまったとしか言いようがない。

 

 

27日

夜、これから仲良くなりたい、と思っている人から飲みに誘われついていったらスターが3人サプライズで登場して腰を抜かした。ずっと緊張してしまったけど、もうしばらくやっていなかった飲み会のようなものが、私の暮らしに輝き始めた。人と話すの、人の話きくのすげーたのしい。

 

28日

某Rec。納得行くギターがなかなか録音できず迷惑をかけてしまった。

 

3月1日

街裏ぴんくさんと旧友松本健人くん、妻の4人でご飯を食べた。お笑いの話、音楽の話が入り乱れ学生の頃、放課後のような瞬間も、キャリアも中堅を迎えつつある我々のこれからをじっと見つめる瞬間もあり、気持ちが大いに揺れ動く日になった。

 

2日

自宅で某作業。頭を抱える。でもやれることはやった。いつか公開されたら笑ってみてください。

 

3日

ラジオの収録の前に新宿の高島屋で開催されていた味百選のエクステンデッド・エディションに向かう。渋いラインナップながらも刺激的でラジオの収録に遅刻してしまった。愚者。収録はつつがなく終わり、夕方迫る六本木から下北沢へ向かう。ニュー風知空知で岡田さんのいい仕事を語り合うイヴェントに出演。まだ整理がついていなく、そういう気持ちをみんなで語り合って少しずつ気分を軽くしていく。終盤で優介が「もう新しい曲は聞けないけれども我々にはまだ出会えていない岡田さんの曲がたくさんある」と話していて、なんて大人なんだ、俺なんか「寂しい〜〜〜」とかしか言えていないというのに。

ニュー風知空知から出るとライヴを終えたばかりのHei Tanaka一行とばったり。サトゥーさんに抱きついてうれしい出会いを噛みしめる。

 

4日

座・高円寺2に魔の巣を観に行く。ぴんくさんがバチバチかましてくれて最高にかっこよかった。あらゆる方向に脳を揺さぶられる感覚はぴんくさんの漫談でしか得られないものになっている。

 

5日

リハーサル。今回から5人でのリハーサル。5人で最近やれてなかった曲をさらってから通してやる。これがめちゃくちゃに疲れた。おそらくセットリストはこれでフィックス。もうすぐツアーだ。ひとりでも多くの人に見てもらいたい。

live : スカート オフィシャルサイト

 

 

 

_/_/_/_凸

22日

岡田徹さんの訃報が発表された。少し前にマネージャーの野田さんから電話を頂いて知ったのだけどやはり落ち込んだ。今でもどう言っていいのか、なにを思っていいのかわからない。LINEまで知ってる人が死んでしまうということが今までなかったからだ。誰かが亡くなって思えることなんて限られている、というのがひと月前の自分の日記に書いてあるが、やはりそうなのだろうか、頭が回らなくなってしまった。ただただ悲しい。思い出を整理してみるがうまくいかない。はじめてiPhoneのカメラロールの「ピープル」の機能を使って岡田さんを登録した。3/3にやる予定だったライヴについて岡田さんに連絡すればよかったな、「楽しみです」「あの曲やりましょう」、そう送ればきっと優しく返事をくれたはずだ。

夜は夜衝2を観に行った。ダウ90000蓮見くん作・演出のコントライヴ。構成力や台本の力といったものを飛び越えるような瞬間がいくつかあってめまいがした。束の間、傷ついた心も忘れて楽しんだ。終わって妻と街へ出る。かつてよく行った店がいくつも閉店してしまっていて、どう受け取っていいのかわからない。

 

23日

ナイポレの選曲を進めていく。とてもじゃないけど追悼・岡田徹特集をやれる状態ではなく、別の選曲テーマを煮詰める。月に一度が恒例になりつつある新入荷報告会。去年手に入れていた珍しい音源のOA許可をアーティストさんにも取った。いい形になったはずだ。いい曲が今回も揃ったので収録がうまくいくといいな。

 

24日

取材。高田馬場へ出る。またもやカウンセリングのような取材になってしまった。どういう形でまとまるか心配だけど、楽しい取材だったことも確かだ。記事が出たらまた報告します。

取材が終わってラーメンを食べた。とても美味しかったのだけど、ユニオンでレコード見ているときに目が滑ってる感覚のようなものがあった。実際、高田馬場のユニオンに行ったのだけど目が滑ってしまってなにも買えなかった。

電車のなかで「天幕のジャードゥーガル」の2巻を読む。真っ直ぐで安定した線路が私と物語を運んでいく。私は何を待っているのだろうか。ずっとここにいるためにずっとここにいるのだろうか。考えだけが巡っていく。

ロザモンド・モンモランシー・ファンクラブ

16日

永田敬介さんのトークライヴを観に行く。客入れ中も客出し後も永田さんとスクースクータイム井口さんが話し続けるというライヴ。この日のライヴの面白さはどう説明したらいいのかわからないんだけど、めちゃくちゃ面白かった。「火の鳥」を指して「これからもどんどん新しくなり続ける漫画」という意味のことをおっしゃっていて感銘を受けた。

 

18日

悲しい気持ちでライヴ会場へ向かう。こんな悲しい気持ちの日にライヴなんて。リハーサルを終えて、PINK MOON RECORDSで買い物していたらまつきあゆむさんにばったりお会いできた。小さいお子さんを連れてらっしゃって、「サージェント・ペパーズ」やビースティ・ボーイズなんかを聴いているそうだ。奇しくもその時の店内BGMは「サージェント・ペパーズ」のカヴァー・アルバムだった。若い店員さんに「ムーンライダーズでお見かけしています」と言われる。

ライヴハウスに戻る。弾き語りは普段、そのばその場でやりたい曲をどんどんやっていくことが多く、この日もそうするつもりだったのだけど、うまく行かない気がして曲順を組んで臨むことにした。対バンだったLaura day romanceの川島くんから「今日もセットリスト決めないでやるんですか?インスタライヴで「いつかの手紙」リクエストしてたの俺です」と言われて背中を押された。曲順は白紙に戻すよ、悲しい気持ちがなんだっていうんだ、それとこれとは別だよ、と自分を奮起させた。ライヴはいい調子だったと思う。「ポップな音楽というと楽しいものを想定してしまいがちだけど寂しい音楽もポップの範疇、今の自分にとって一番ポップな曲をやります」みたいなことを言って「四月のばらの歌のこと」を演奏したのだけど、終演後ひとりの青年に声をかけられて、あのMCがとても響いた、と言ってくれた。嬉しいねえ。

 

19日

急に思い立ってコミティアに行った。急に思い立って行ったもんだから事前にティアマガすら買えず、昼からの参加となった。久しぶりのビッグサイト。前回行った時は青海の方だった気がする。不思議と久しぶりな気がしない。志村日誌オルタナティブ(現:志村日誌ナゴヤ )の志村伸夫さんがサークル参加されると聴いたからだった。志村さんの本は結局買えなかったけど久しぶりにたいぼくさんや亀井薄雪さんに会えて嬉しかった。本もたくさん買った。ののもとむむむさんに「ムーンライダーズでお見かけしています」と言われる。誤算だったのはあんまりたくさん買うつもりじゃなかったのだが、実際足を運んでみると「持ってない既刊」が多すぎた。お金はあっという間にそこを尽きてしまった。

そのままリハーサルスタジオに向かう。3人体制でのツアーのリハーサル。まだセットリスト触れるところは触っていってよりよくしようとしていく。コミティアの後だからさすがに疲れ果てる。

車から降りて部屋の灯りが見えたとき「悲しい気分だから電話かけたのさ」という歌詞がなんとも胸に染み入る夜だ、と突然思った。

いい言葉ちょうだい - song and lyrics by Fishmans | Spotify

 

20日

元パニックハウス加口くん、ユームラウト西村氏の3人で飯を食った。別れた後、加口くんが「粗悪な月あかり」の詩をほめ忘れた、とツイートしてくれていてアガる。同業者にもっとほめられたい。

 

21日

昼間、完璧な晴れの街を歩く。「空が青い、と歌うだけで悲しさを表現できる」というのは加藤和彦さんが高橋幸宏さんを評しての言葉だ。

sorayaさんとシンリズムくんのライヴをふらっと観に行った。素晴らしかった。この組み合わせで今見れてよかった。転換中に「あっ!あの!ODDTAXIの!ファーストテイクも見ました!」と若者に声かけられて「そうです、PUNPEEじゃない方です」と答えたのはちょっといけ好かなかったかもしれない、私が悪かった。終演後には別の青年に声をかけられ「澤部さんがツイートしている音楽から掘って行っていろいろ聴いています。yes, mama ok?とか、ムーンライダーズとか」と言われて、すぐ近くにうすやま氏(私が14歳の頃からDJを聴いて影響を受けた人)がいて、「いや〜〜〜いいっすね〜〜〜」とかわけのわからない絡み方をしてしまった。

アンコールでリズムくんを交えた3人で演奏した「ひとり」がすごく良かった。完璧なポップ・レコードがすでにここにあるのに、ピアノ、ベース、歌、ギターというシンプルな編成だからこそ、それを凌駕する何かがあった。

 

ひとり - song and lyrics by soraya | Spotify

あむそれ

9日

日本橋高島屋に行って百貨店展を見る。小さいスペースに少ないけれども濃い展示で胸が騒いだ。当時配られたという百貨店白木屋の小冊子など、興味は尽きない。丸善に寄って本を買う。漫画を1冊、それと英語の本を買った。頭が動いていない気がするのは実際に頭が動いていないからだ、というのもあるし、あらゆる音楽を聴いて、どうして私はこの言葉がわからないんだろう、とずっと思ってきた。中学の頃に些細なことでつまずいて、そのつまずきがいつの間にか積もってしまい諦めたのだ。もう一度取り戻すんだ、と平積みになっていた「中学英語をもう一度ひとつひとつわかりやすく。」という本を買った。その日の夜から少しずつ、読んで解いて理解しようとするのだが些細なことでまたつまずいた。まずつまずいたのが3人称単数なら動詞にsがつくけど、3人称複数ならsがつかない、ということ。大人なんだから、と調べてみると「英語はそういうもんだ」という記事がほとんどで、ようやく見つけた記事を読んでなんとか納得することができた。30分以上あーでもないこーでもない、とやっていると次は"Is that Mt. Fuji?"の回答でつまずいた。"Yes, It is"ということが飲み込めなかったのだ。Thatの返答がモノならitというのはわかっていたのだけど、富士山をモノだと認識することができずアワアワとしてしまうばかりになったので、一度「モノとは」と検索をかけてみる。それでも整理しきれず、頭の中に部屋のなかの「モノ」を広げてみる。この部屋でものではないものはどれだけあるだろう、ソファに座っている私と妻以外はすべてものであろう、ということは最初のうちは理解できていた。だが、部屋を俯瞰で見たとたんに困ってしまった。建築物はモノなのだろうか?そう思ってしまったら水道はものではない、という気がしてきた。時計はモノだが壁は?壁紙はモノかもしれないが紙はモノなのだろうか。そうだった、私はこうして中学の時に挫折したのだった。頭から煙を吐きながら本を閉じた。

ゴミ捨てで深夜、マスクもしないで外に出ると子供の頃にかいだ冬の匂いがした。

眠る前にバート・バカラックの訃報が届く。94歳、大往生ならばなんにも惜しくはないし、悲しい気持ちにもならないはずなんだけど、どういう訳かちょっと落ち込む。

Are You There (With Another Girl) - song and lyrics by Anita Kerr Singers | Spotify

 

10日

目が覚めると雪が降っていた。しかし今日は散髪の予定をいれてしまっていたのだ。一昨日みたいになにもかもだめだ、という感じもしなく、たやすく動き出せたので支度をして部屋を出るとまだ半端な雪景色。屋根屋根は白くなり、アスファルトはべしょべしょ。道の少し先ではおじさんがまだ踏まれていない道をわざわざ選んで歩いていた。バスに乗って吉祥寺へ出る。雪が降ってうれしい。永福町に着いた頃には雨はすっかり雪になってしまっていた。歩きづらい道を歩いていると先輩ミュージシャンとばったり。少しだけ立ち話して別れる。散髪は今回も順調で、シゲルさんは"SONGS"を絶賛してくれた。人と会う機会があまりないので「アルバム良かったよ」と直接言ってくれる人があんまりいないから嬉しい。併設されている奥さんのお店でお茶を飲む。受験から帰ってきたばかりの娘さんもお茶を飲んでいて、高い窓の前に座ってブラックコーヒーを飲む彼女はかっこよかった。

店を出ると外はすっかり雨になってしまっていた。なんだかつまらないな、と思いながら傘を広げる。お店の軒先からドサッと音をたてて雪が落ちてきた。街も普通の顔に戻りつつあった。

電車に乗って吉祥寺に出る。窓の外を眺める。文庫もある、携帯もあるけどじっと窓の外を見てみる。これは学生時代の、精神のコスプレだ。屋根屋根が連なり、どれも雪が積もっている。真っ白な東京ではないのだけど、今はこれで足りている気がしてしまって自分もつまらない大人になってしまった、と痛感する。

 

12日

家を出る直前まで英語の本を読む。妻にも付き合ってもらう。私に比べると英語に覚えがあるので「これはどうなってるの?」と訊くたび一緒になって考えてくれるのだが、人を表す代名詞でまたつまずいた。「彼の写真はとても美しい。私はそれらを気に入っています」の「それら」が空欄になっていて、そこを埋める、という問題だったのだが、写真をthemとすることに抵抗が出てきてしまった。外に出てみて誰かの家の軒先に吊るされている洗濯物がtheyのようにどうしても思えなかったのだ。

混乱した頭のままリハーサル。『SONGS』ツアーのリハーサル2日目だ。この日は佐久間さん、なおみちさんの3人に加え社長もきてくれた。前回、改訂したセットリストを頭からためそう、という話で集まったのだが、ミドルテンポの1曲目に対し「スロースターターになってしまうのでは」、という懸念が出てきたため、1曲目を変えてみて、そこから実際演奏してみてどういう曲がほしいか、というのを提案し合って形にしていった。13年バンドやってきたけどこういう決め方は初めてで少し興奮した。リハーサルは延長され、5時間経ってやっと終わった。ボロ布になった澤部佐久間でリハスタのロビーで2時間話し続け、家帰って社長とも1時間長電話してしまった。さすがに疲れ果てた。

 

山 _ 山

3日

NICE POP RADIO、新入荷報告会の収録。1月放送の新入荷報告会でかけきれなかったものも多くあったから、そういうのもかけたい、SONGSのツアーももうそろそろなのでスカートの曲もかけたい、と思っていたのだけど純粋な新入荷があまりに多かったのでそれらは1曲もかけられなかった。選曲作業を終えたところで吉祥寺のココナッツで買ったレコードから1曲も選曲されていないことに気がついて、はて、と思っていたらある日買ったレコードがごっそり聴けていない、ということがわかってしまった。今回も最高ですけど、次回の新入荷も相当濃いものになりそうです。

 

4日

常備している薬がなくなったので耳鼻科に診療にかかる。土曜日だったのでなかなかな混雑具合で、一度受付を済ませて本屋に向かった。すべての本が黙っているような店内、新刊コーナーに並んでいた田沼朝さんの漫画と高津マコトさんの新刊を買って待合にまた並ぶ。土曜日である。

吉祥寺のココナッツでレコードを買う。目当てだったパイザノ・アンド・ラフは売り切れてしまっていたけど、ゲイリー・マクファーランドの「バター・スコッチ・ラム」は買えた。他にもアート・ヴァン・ダムの1958年にリリースされたアルバムの日本盤EPやジャケ買いしたGuy Cabayの7インチなんかも買った。

トリプルファイヤーのワンマンに行く。道が混んでいて10分遅刻してしまった。着いたら増本さんに「3曲目です」と言われ、そうか、押さなかったのか、と悔やみ、久しぶりのグッドマンの扉をあける。ライヴハウスあるあるだろうけど、入り口はぎゅうぎゅうでこりゃ定時に始めるわ、と人がいっぱいのライヴハウスを見て嬉しくなった。数曲演奏したあとに吉田が「俺はライヴハウスはいつも10分ぐらい遅刻してしまう」という話をしていてまさに俺の話じゃねえか、と居心地悪くも笑ってしまった。この日のファイヤーは新曲中心のセット。それもまだ出ていない次のアルバムの次に出るアルバムに収録される新曲。まだ出ていないアルバムはアフロであり、ファンクであり、呪術的でもあり、祈りのようでもあり、そういうエグい新曲が溢れているのだが、今回披露された新曲の多くは、10年前のファイヤーが持っていた性急さやニュー・ウェーヴィーなムードを決して(過去への再訪という意味に於いては)振り返らず、更新していてシビれた。アンコールで演奏された「スキルアップ」も、「アンコールだからサーヴィスで代表曲を」という感じではなく、10年経って今再びの提示のようにも感じられてグッと来た。最高だった。

部屋に帰ってレコードを聴く。まずは今日買ったレコード。特にGuy Cabayの7インチが素晴らしすぎて目が覚めた。それとA氏から譲り受けたレコード・コレクションに針をおろしていく。Prefab Sproutの"Crimson / Red"というアルバム。大好きなアルバムだったのだけど、針をおろし、音がなって、段々と興奮してくる。この感覚は"Jordan : The Comeback"と全く同じ感覚だ。改めてこの気持になれるなんて思っていなかった。冬でよかった。

 

5日

新宿文化センターにグレイモヤβを観に行く。5年ほど前に「バスク」を観に来た時はエレベーターで上まであがった記憶があるが、階段で3階まであがらなければならず、ヘトヘトになってしまった。息を整えるために水も買った。オッパショ石が不気味で素晴らしく、村田大樹さんのピンネタで一番の爆発があって嬉しい。帰り道、裏手の薬局に寄ったのだが空いてなく、遊歩道のような道を妻と歩いているとき、通り過ぎた女性二人組も「オッパショ石が〜」と話していてよかった。

 

6日

SONGSツアーのリハーサル初日。セットリストの叩き台を作っていってそれを全員で検証する。有意義だった。2020年の頭につきっきりでついてくれいたマネージャーが辞めたこともあり、野良犬のようにやっていたこともあったけど、客観視ができなくなっていたので全員でやりとりして問題点も見え、再検証して、それをまた近々のリハーサルで試してみることになった。いつもよりスタジオの回数が増えたから集客が増える訳ではないけれど、多くのバンドがコロナ禍でそうであったように、ライヴバンドとしては瀬戸際のような状態から、あの磔磔でのライヴに繋ぐことができたのだから、腹を据えてやるのは今しかないのかもしれない。

 

7日

フューチャーフィッシャー昴生すごかったな。

 

8日

最近は、といってもここ何年か、頭が働いていないように感じる。コロナ禍に頭が慣れてしまったのか、脳だけがおいてけぼりになって、体だけが前に進んでいるような感覚に陥っていたのだけど、今日は体もだめなようだ。やりたいことがあったのに、なんだかだるくソファに座ってゲームやることしかできなかった。ゲームに飽きては本を開く、そしてまたゲームに戻る、という究極の堕落だと昔なら感じただろう。必要な時間だ、と解釈するようにしている。脳のザルの網目がどんどん荒くなっていくのを感じる。しかし、これも正しい表現ではない。繊細になるところは繊細に、粗くなる部分は粗くなっているようなのだ。都合よく年齢を重ねているのだろうか。やろうと思っていたことはほとんどやれないまま、夕方布団に潜った。そういう日だ。