幻燈日記帳

認める・認めない

錠剤の散らばる未来



夕べ、打ち合わせと愚痴をskypeで済ませて眠った。
起きて冷たい飯を食う。水を飲む。歯を磨き忘れる。
昼から新宿でpop鈴木さんとリハーサルに入るため、
さて着替えをしよう、と思い、寝間着を脱ぐ。
洗濯機にぶち込もう、とするとなんということだ。
昨日に引き続いて背中のところにDEVOのステッカーが貼ってあった。
なんで二日続いて背中にDEVOのステッカーが貼ってあるんだ。
一回くらいはこんなミラクルあるかもしれない。
でも二日続いたらもうこれは誰かがやったとしか思えない。
こんなことやりそうな人は母しかいない。
初日に背中に貼りついたDEVOステッカーを見て、
モンゴロイド」を歌ったくらいだ。
いたずらにしてもひどいワ!なんて思いながら着替えも終わった。


密閉型のヘッドフォンをしながら聴くのはダンカン・ブラウン。
ジャニスで借りたアンソロジーには、
僕が持ってる「Give Me Take You」には入っていない、
あの当時の音源がいくつか入っていた。
特に最高なのは「Resurrection Joe」という曲で、
ポール・マッカートニー的とも言える、
コード進行、メロディ、コーラスワークに気持ちが凪いでいく。
でもそこに抑えきれない高揚感があってたまらないのです。


電車から降りて新宿のミュージアムというリハスタを目指す。
気合いを入れるために途中でコンビニ寄ってヴォルヴィックを買った。
前回の無力無善寺でのライブでお店にシールドを忘れていってしまったため、
(そしてきっと戻ってもあの場所にシールドはない気がする)
フロントでしぶしぶシールドを借りた。
popさんとふたりのスタジオ。
なにからはじめよう。頭に形はあるのにそれを口にすることができない。
テーマは脱構築。そう告げるけどどうすればいいかわからず、
思いつくままに「花をもって」を従来やっている感じと変えて演奏してみる。
即興的に演奏についてきてくれるpopさん。
演奏が終わってみるととてもいい感触だ。
それでは、という感じで「ストーリー」も少し変わった感じで演奏してみる。
これもとてもいい。
バンドで演奏していると、身体性よりも集合体としての意識の方が強くなる。
でもデュオだと身体性の方に意識がいく。
伸びやかに、しなやかに、だけれども断絶を用意する。
それが意識なのか、ただの休符なのかというのは僕にもわからない。
全曲脱構築ではそれは面白くない気がするので、
ポップソングとして演奏したいものは欲求に従うことにした。
実験的でポップな演奏が繰り広げられるはずの、
11月29日、下北沢シェルターは是非観にきてください。
詳細はあとで。日記を続けます。


練習終わってポップさんとロビーで話す。
11/20の円盤でとんでもないことが起こるらしい。
僕はその日どうしてもいけない用事があるので寂しいことです。


COMIC ZINに寄って青木俊直さんの「くるみのき!」を買った。
他にもいろいろ見て回る。
欲しい漫画はいつだってそこにあるけどいつかはなくなる。
それは我が家の本棚に収まるからなのか、
それとも誰かの本棚に収まるためなのか。
いずれにしても僕がちゃんと就職していて、
お金があったら、と思うと、
目の前のこの漫画、あの漫画、
あのレコード、このレコードをいくらでも聴けるのに、と思ってしまう。


書店のレジ打ちバイトもあるので、早めに電車に乗った。
帰りの電車では銀河鉄道の夜を読み返していた。
夕暮れも喧噪も文字に勝てない。


バイト先では小玉ユキさんの坂道のアポロンの最新刊を買った。
帯の裏の律子がかわいい。
前も書いたかもしれないけど、
ツイッターのTLで「りっちゃんかわいい」とよく見かけて、
「そうだろそうだろ、律っちゃんかわいいよね」と思ってたんだけど、
よくよく考えたらあの律っちゃんはけいおんのりっちゃんだったのか。


家に帰ってきて寂しい食事。
漫画やふとんで読む。
布団という物があるんですね、布団という物があるじゃないか。
そう歌ったのは「絶望の友」だ。


お店のお客さんにくどくどと、
明日は大きい地震が来るから、
地震が来たら6階以上に逃げなさい、と言われた。
でも今の状況はあの頃となんか似ている。
僕は明日出かけなければならないし、
恋人の不機嫌も治っていない。
どんなポップミュージックも僕の想いを代弁できていない気がする。
それは自分の曲でさえそんな気がしてくる。
自分の想いを自分が代弁するというのは、おかしな響きだが、
人格という意味では、そういうものなのかもしれない。