幻燈日記帳

スカート・澤部渡のせつないまいにち

ポンポーシャル・ロンデのピカピカ維持装置



何から伝えればいいのか、わからないまま時は流れて
なんていう歌がありますが、今の僕はまさにそれ。
10代の頃は欠かさず書いていた日記も、
「そうか、暇だったんだね」で片付けられてしまいそうじゃないか。
ちょっと時間が欲しいからってすぐ何かに甘えようとしている。
4月21日は人生でも中でも最も素晴らしかった日のうちのいくつかに入る。
yes, mama ok?インディーズデビュー20周年記念ライヴでした。
僕が選曲したベスト盤が出たから、とかじゃなくて、
スカートがオープニング・アクトを勤めたから、とかじゃなくて、
yes, mama ok?の演奏がただただ充実していた。
序盤で金剛地さんがジャンプをキメたら両足をつる、
というアクシデントがあったんだけど、
こういうのも含めてyes, mama ok?だよ!すげー!と胸が熱くなった。
とにかく充実した一日だった。
4月22日は夏目君とのデュオ、ズボンドッグスの作業。
5/5のコミティアで販売されるユースカ4号に収録されます。
森さんの家でデザイン会議をしていた時に、
「次のユースカどうしよう。誰と一緒にやりたい?」
「せっかくだからあんまりない感じでやりたいですよね」
と話していたら夏目くんだろう、と。連絡したら喜んでオーケーしてくれた。
お互い企画やリリースを控えた身分でまったくスケジュールが合ず、
4/22のレコーディングがどんどん近づいてくるけど何も決められなかった。
なんの用意もないままレコーディングスタジオで共作、という形になり、
不安な気持ちで作業を進めていたら、ひとつのきっかけが大きくなり、
また何かが大きくなるという嬉しい展開。
顔を合わせて共作するのはとても久しぶりの事だったので楽しかった。
バックトラックのオケを作っていく。
僕がドラムを叩いて、ベースをかぶせる。
そこに夏目君がギターを弾いて、僕がエレピを足す。
あじゃあ次はメロ、歌詞をなんとかしなくちゃ。
夏目君は歌詞を書くのがとても早い。
「じゃあそれぞれ30分でやってみようか」
夏目君の提案で時間制限を設けて作詞に取りかかる。
僕は歌詞を書くのにどうしても時間がかかってしまい、
深夜リビングでむにゃむにゃいいながら悶々と書くので、
果たして書けるのか!?とペンを走らせるのだがやっぱりうまくいかず。
30分かからず書き上げた夏目君が、
先に歌入れをしている後ろで歌詞を書き続けてようやく形になった。
その後もうひとつの展開をサイケにしていったり作業がいくつかあって、
合計9時間ぐらいで作業が終了。やれば出来るんだ!!
朝までかかるんじゃないかって思ってましたよ〜って言ったら、
エンジニアの馬場ちゃんも夏目君もそこまでかからないって思っていたみたい。
作業終わって馬場ちゃんが「片付けやっててもやってた曲が頭に浮かぶ。
って言う事はいい曲だよ」と言ってくれた。
帰り道に「明日はポールだね」という話に。
僕は予定が入っていたのだけど開演までには間に合いそうだから、
ちょっとチケットでも探そうかな、と思っていたところだった。
急に行けなくなる人も多いだろうし、明日の事は明日考えよう。
新宿で3人で中華を食べて解散。気分のいい夜だった。
(ユースカ4号は5/5のコミティアで先行販売!
スペースは「す51a,b」でございます!
スカートも出ます。カチュカサウンズ「W46b」)


23日
久しぶりにパワプロが出来るじゃないか!と胸を高鳴らせてPS3の電源を入れ、
「サクセス」のボタンを押すと「メンテナンス中です」の表示が。
そりゃないぜ。
絶望にかまけて録画していた相棒の再放送を見たりしていたらもう結構いい時間。
吉祥寺まで自転車を飛ばし総武線に乗り、待ち合わせの市ヶ谷駅につく。
トリプルファイヤーのコメント撮りという謎案件。
「天気がいいから外で撮影しましょう」と公園のベンチで撮影すると、
すぐ脇を総武線・中央線が走ってるのでしょっちゅう撮影は止まった。
僕はポールのチケットを諦めきれず市ヶ谷駅近辺の金券ショップを検索。
一件あるぞ!って思ったら閉店していた。
ドームの周りの金券ショップなら定価ぐらいであるかな。
腹が減ってはなにも出来ない。
立ち食い蕎麦を食ってなんとなくヤフオクを見ていたら、
即決1万のチケットがあったので連絡つかないだろうなーと思いながらも、
意を決して落札してみたら本当に連絡が来た。
今市ヶ谷なんですぐ行きます!と蕎麦をすすり上げ、すぐ電車に乗った。
交差点で待ち合わせ、対面。チケットを受け取る。
「大阪も観に行ったんですが、仕事で行けなくなっちゃって。
当日券並んでる人に売っちゃってもいいかなーって思ったんだけど、
警備がものものしくって…それなら」とヤフオクに出品したのだそうだ。
ありがたくチケットを受け取りお互いの用事に急いだ。
恋人のために一番カッコいいデザインのTシャツをお土産に買い、
トイレに入ろうと思ったのだけどどれがトイレの列なのかわからず、
何らかの列の最後尾の人に「これってトイレの列ですか?」と訊くと、
スカートを聴いてくれてる人だったそうで、
丁寧にこれは売店の列であるということ、1階にあるトイレは空いていた、という事を教えてくれた。
それにならって1階のトイレに向かうと確かに空いていた。
一見すると8個くらいしか小便器がないのだが、隠し通路的に奥の方に向かうとそれと同じぐらいの小便器があり、
それに気づかず行列が出来ていたので先頭の人にそれを教えてあげると「本当だ!ガラガラじゃーん!」ととても喜んでくれたのがおかしかった。
高まっていく緊張感とは裏腹に僕はここに居ていいんだろうか、という気持ちも。
ポール・マッカートニーは確かに好きだけど、じゃあキャリア全部通して聴いたか、と言われるとそうでもない。
軽い気持ちでふらっとポールを観に行っていいものなのだろうか。
いいのかなーどうなんだろうかなーと悩んでいくうちに会場のBGMにだんだんとテンションがあがっていった。
大好きな"Temporary Secretary"のリミックスがかかって、
入場のSEがかかって「マジカル・ミステリー・ツアー」!!
目の前にポールが居るということに対処しきれず冷静になろうとして、
「でも全然ベース聴こえないな」「意外と音小さいな」とか考えていた。
でもだんだんと事態を飲み込んでいって、やっと、ポール・マッカートニーのライヴを観ているんだ!とスイッチが入った。
「アナザー・デイ」が聴けてとても感激。
「バック・イン・ザ・USSR」はテンポが妙にゆったりしておじいちゃんっぽくて最高!
って思っていたら「ヘルター・スケルター」ではガッツリダーティなロックを聴かせてくれた。
でも一番うれしかったのは「恋することのもどかしさ」でした。
サビのピアノを生で聴いている!生で聴いている!と思ったら涙が出てきましたよ。
とてもいい気分で家路につくけど何故かレジデンツが聴きたくなって、
iPhoneに入っていたコマーシャル・アルバムを聴いて帰った。


24日
久しぶりに何もない一日!!素晴らしい休日になるぜ!
でもちょっと喉の調子に違和感を感じる。
あと前から疲れると肩痛くなるのなんとかしたいって思ってたから、
医者を回ろう、と先に整形外科へ。
レントゲン撮ってもらったら不安定肩という通常の肩より若干ゆるい肩であるという事が判明。
変な病気とかじゃなかったと知れてよかった。
続いて耳鼻科。抗生剤で叩きましょう。
と言われて素直にそれに応じて本屋で本買ったりして家に帰る。
のんびりしていたら一日なんてすぐに潰れてしまった。
ああ、輝かしい休日は、素晴らしい休日は何処へ。


25日
強めの抗生剤を出してもらっていたはずなのにあんまり効かない事もあるんだなあ。
前にストレスで喉壊した時も抗生剤きかなかったからまたそういうのなのかな。
と思いながらも渋谷でyes, mama ok?の取材。金剛地さんとカレーを食べたり、
タワーレコードにどういう風に展開されてるか観に行ったりした。
帰り道にはココ吉により何枚かレコードを購入。
そのうちの一枚にポール・マッカートニーの「裏庭の混沌と創造」というCDがあった。
2005年のアルバムで基本的にはポールの多重録音というもの。
派手な曲があまり入っていなくてこれが自分の中での理想のアルバムかもしれない。
なんて思っていたらあっという間にCDは終わり、
トータルタイムに46分と出て泣いてないけど号泣した。
これがレコードとしての芸術だようわーん!
夜には少しずつのどの調子が傾いていき、夜眠るのがしんどくなっていきます。


26日
抗生剤は効かないどころかひたすらに悪くなっていきます。
この日は年内リリース予定のマイベスト案件。優介主導でギターでお呼ばれ。
直前までデモ音源来なかったのでゆるい気持ちで行ったら難しい曲ばっかりだった。
この辺りでだんだん声が出せなくなって行き、
しまいには唾を飲み込むのすら辛くなっていきます。
終盤にはギターのハーモニクスで会話が出来るようになっていました。
満身創痍でレコーディングを終わらせ帰宅。
なにか食べなければ、と思い恋人にくたくたにうどんを煮てもらった。
死ぬほど生姜を入れたがもはや味がわからない。
1時間ごとに目が覚めるも唾が飲み込めないから、
枕元にあったペットボトルに唾液を出してから眠り、
また1時間後に目が覚めて、の繰り返し。端的に言って地獄。
2013年の年明けに大風邪ひいて呼吸器やったときぐらい辛い!
とか思っていたけどそれすら越えてきた。
朝一で病院に向かう為にアラームをかけて眠った。


27日
だがアラームは意味なく昨日よりも間隔を狭めて起きていたので、
病院に向かう途中、住宅街に「恋してムーチョ」が虚しく鳴り響くのであった。
月曜の耳鼻科は混雑していて診療時間はほぼ3分。
「声がでなくて…」「声がでない!?どれどれ」
「まず口をあけてみて、うんうーん、うーーーん」
「じゃあ内視鏡入れてみます、はーい、うーん、うーーーん」
「大きい病因の紹介状書きます。急性扁桃炎です。多分入院」
という完璧な流れだった。
そのまま恋人に付き添ってもらって診察。本当にそのまま入院。
主治医に「4/29に本番、5/2に京都でワンマンがあるんです」と説明。
そこまでには治せるようにがんばりましょう、と治療が始まった。
5歳の時に盲腸をやって以来の入院。点滴。慣れない事ばかり。
初日はぼーっとしたら過ぎてしまっていた。
強烈な痛みを訴えていたら座薬を使ってみましょうとなり、
恋人に見られながら看護士に座薬を挿入されるというインモラル体験を済ませる。
そしてその座薬がとにかく効く。不思議なぐらいに痛みが引き、
唾も飲めるしゼリーも食える!なんだこれ!このまま治るジャーン。
しかし薬が切れると痛みがまた出てくると言った具合。
痛みとは別に点滴に不慣れというのがあったのか、
寝返りを打ちたいのと同じタイミングで目が覚める。
痛みがぶり返してきても鎮痛剤は8時間に1回なので、
4時間で効き目が切れたらあとの4時間は地獄という訳だ。


28日
食事はひたすら流動食。
おもゆというものを私はここではじめて食べた。
抗生剤が時々代わりつつも劇的によくはならない。
29日のゴロニャンずを諦めざるを得ないかもしれない、
と思っていたら連絡していた川本さんから、
茶谷さんが代役やってくれるとの事でおやすみをいただく事になった。
やはり座薬がバチーンと効いて、なんと普通に喋れるようになった。
売店で売っていたプリンまで食ってしまった!
28日からちょっとずつよくなって、29,30ばっちり療養して、
1日退院出来れば2日のワンマンやれるな!よし!
となっていたらやっぱり薬が切れてくるといつも通りの声も出せない状態に。
夜は痛みと寝返りの不自由さに身悶えながら過ごす。


29日
同じ事の繰り返しでいつ何があったかもうイマイチわかっていない。
友人が見舞いにきてくれたのが29日だったのか、
それとも28日だったのか、もう曖昧になっている。
昼寝をして起きたら大汗かいていて、
あれっ、なんか健康になれるんじゃないの!?って思ったら、
やっぱりそんなことはなかった。
でも鎮痛剤が効いてた時に恋人が持ってきてくれたサンドウィッチはとてもおいしかった。
(食事は唾を飲むのも辛い、という所から、
入院生活がはじまったので流動食が運ばれてくるのだけど一応制限はなかったはず)
主治医が来て「腫れっていうだけじゃなくて膿が溜まってるかもしれないから、
明日CTスキャンして膿たまってたら切りましょう」とさらっといわれる。
お医者さんのいう切るっていうのはやっぱり手術なんでしょうか…
ナーバスになりながらもそこまで言われたらもう京都のワンマンは、
あまり現実的ではない、と判断。
方々に連絡を入れていってどうするのが最善か、というのを考える。
そんな中、連絡を取っていたうちのひとりから、
「体調が体調なんだし(それらのことは忘れて)寝た方がいいんじゃない?」
と言われてハッとなった。それからしばらく寝る。やっぱりショートスリープ。
でもなんだか気分がよかった。
ゴロニャンずのライヴもうまくいったみたいで申し訳ないやら一安心やら。
新曲に「エリ・エリ」という曲があって、
ベースの池上さんが作った曲なんですが、それがまたいい雰囲気だったので、
ライヴでやるのが楽しみだったのにそれが出来なかったのがとても悔しい。
夜になって「あれ?3時間ぐらい寝れたんじゃない?」っていうぐらいすっきりしていたので、
時計を見てみたのだが1時間半も眠れていなかった。
気持ちを切り替えて京都のワンマンを畳む準備をしていく。
ここで無理したらダメだよな、と佐久間さんと冗談を交えながらメールのやりとり。
深刻な気持ちなところに佐久間さんはいつもいい温度のメールをくれる。
入院する事になるかも、って言う時に「桃鉄50年やれば治るさ」って言ってくれた。
「退院したら100年みんなでやりましょう!」と投げかけたが、
ちょっと経ってからそうだった、桃鉄は最長99年だった、と気がついた。
何でもないんだけど何かの取り返しのつかないような事をしてしまったような、
そこにはとても大きな喪失があったような気がしてせつない気持ちになった。


30日
早朝4時、ぼんやりしながら看護士さんに鎮痛剤を要求。
あんまり効かない。この日も流動食もほどほどにぼちぼち眠っては起きて、
眠っては起きての繰り返し。痛みが続くので気を紛らわす為に日記を書きはじめる。
今がちょうどそこ。(ここから先はちょっとずつ書き足していっています)
持ってきた本を読む気力も、テレビをガッツリ見る気力もなく、
ただただ時間が笹舟に乗って下流に流されていくのを眺めているようだ。
CTスキャンを受ける為に必要な服を着てみると、
アル・アルヤンコヴィックのMVやピエール滝の体操30歳で見た事あるようなやつだった。
魅力的な看護士さんに手を引かれ巨大なCTスキャナー?に吸い込まれていく。
「目を閉じていてくださいね」
とんでもない音を機械が立ててどういう撮影が行われてるかわからない為、
ひたすら恐怖心だけがあおられていった。
機械の音が止まって外に吐き出されると、
「はーい。じゃあ次は造影剤入れて撮りますね」
野太い男性の声が急にしたので私は驚いてしまった。
怖いお店ってこういう感じなんだろうか。
診断結果を持って耳鼻科の検診を受ける。
「やっぱり膿が溜まってる。出しましょう」
「出すって言うのはやっぱり手術なんでしょうか…」
「いや、方法は二種類ある。ひとつは切開。こっちのが効く。
でも君はシンガーだ。すぐ本番もあるというし。あまりやりたくない」
切開という言葉にぎょっとして、あまりやりたくない、という言葉に安心した。
「で、もうひとつは太めの注射でそれを抜き取る」
「うわー、痛そうですね、痛そうですね。やりたくない、やりたくないよー。でも膿は出さなきゃならないんですもんね。
注射器の方で行きましょう。注射器の方で…」
「うん、じゃあはい、椅子に深く腰掛けて。頭つけて」
「えっ!?今すぐなんですか?」
「そうだよ」
「いやいやいや!心の準備を!させて!ください!」
なんて茶番を一通り済ませて、病室を一瞬抜けて、
心を落ち着け京都の主宰の木曽さんに連絡を出した。
「これから膿を注射器を抜きます…ぎゃー!!」みたいな具合に。
診察室に戻って世間話からやりなおす。
「2日までの退院は難しいと思うけどね」
「あ、京都はこの体調だと無理だと思うんで延期にしてもらう事になりました」
「そうなの。それはよかったね。じゃあ時間できるんだね。注射なんて言わないで、切っちゃおう」
そこからの事はあまり覚えていないのだけど、
あまりの恐怖と痛みの末、爆笑の中外科的措置は終了した。
おりしもそのとき「タイム・アフター・タイム」のオルゴール・ヴァージョンが診察室に流れていた。
あまりの痛みとショックと麻酔によるシビレで立ち上がる事すらままならず、
車椅子で2階まであがることになってしまった。
そのままベッドに打ち上げられた死体のように何もしたくない時間を砕く。
鎮痛剤が切れたらどんな痛みが待っているんだろうか。
こんなひどい仕打ちを受けて、歌える日がまた来るんだろうか。
時間が経つにつれて唾を飲み込む時にあった違和感が消えている事に気がついた。
ああ、やっと快方に向かっているんだ。
辛すぎる日々はもうすぐ過去だぜ、と実感出来た反面、
この口内に出来た傷を当面、気にしていかなければならないのか、
次のライヴは5/7だぞ、大丈夫なのか、そもそも当面じゃなくてずっとかもしれない、
そうなったとき僕はもう2時間のライヴなんて出来ないんじゃないの…、
という暗い気持ちも寝を張り始めていた。
くたくたになって眠ったと思っても1時間後には目が覚める、というのは変わらなかった。
めまぐるしく点滴は入れ替えられ、暗い気持ちはいつしか旧友のような、悪女のような顔で僕と隣で寝息を立てていた。


5/1
本来だったら退院していたかった朝、口を濯いで幾分か血を出してやっと目が覚ます。
昨日の外科的措置以降、何故か鎮痛剤を使わなくてもいいようになった。
あの何とも表現出来ない辛い痛みは膿が溜まっていたからだったのか。
点滴と点滴の間をぬって点滴を外してシャワーを浴びれる、というので、
朝からとんでもないテンションでシャワーを浴びた。
シャワーから戻り点滴を再びつけようとしたら針が曲がっていて、
点滴が落ちない事が発覚。慣れ親しんだ右腕から左腕にすることになった。
8時40分に検診を受ける。
詰めていたガーゼを抜いて残っていた膿を出した。
まだ腫れてるけど全然よくなっている、という話に。
でも正直まだどうなるかはわかっていない。
ただ昼から食事を摂ってみましょう、という話になった。
病室に戻ると朝には居た相部屋の4人中2人が退院していた。
そうだった、ゴールデン・ウィークだった。
少し遅れて運び込まれた食事は五分粥におかずが数点、というものだった。
傷口には染みたがかぼちゃを食べたとき、泣きそうになった。
その後眠ったり起きたりを繰り返しながら、
24時間ずっと打ちっぱなしだった栄養剤?はこの日の深夜で終わりだと告げられた。
それもあってか入院してはじめて3時間以上眠る事が出来た。


5/2
6時の点滴の更新で起こされる。
体温を測る。酸素を見る。血圧を測る。手慣れた動作ですべてをこなす。
7時には朝食が運び込まれる。
朝食らしいといえば朝食らしいメニューだったが、
五分粥にチューブの生海苔はどう対応したらそれが正解だったのか未だにわかっていない。
五分粥にすべて沈めてみたのだが、それは正解ではなかった。
大人らしく思い切り良く振る舞おうとしたら、裏目に出た。
8時40分の診察を受ける。
「まだ膿出切ってませんね。もう一回開きましょう」
と言われるのを想定していたけど、
「はい、口開けて。大きく。うーん。もう一回痛くしましょう」
ってなったので目の前が真っ白。
実際には器具を押し宛てて膿を出すだけで済んだ。
「もうほとんど膿はないですね」となり、そのまま退院が決定。
しかしぶり返しやすい病気なので気をつけて、とのことだった。
もう二度とこんな辛い思いはしたくない。
扁桃腺がデカいのはもう仕方がない。
ともかく喉は大事にしなければならない、という気持ちを胸に、
私は西落合からマヌカハニーを求め、迎えにきてくれた恋人と共に病院を経つのであった。