幻燈日記帳

認める・認めない

世界を売り損ねた男



いつかいつか、と後回しにしていくと時間は経ってしまう、というのは29年生きてわかった(わかりつづける)一番しょうもない事のひとつだ。重い腰をあげてデヴィッド・ボウイ・イズ展を観に行った。思い返してみると僕がボウイを最初に知ったのは母が若い頃に録画してツメを折って保管していた2本のVHSのうちの1本に入っていたサタデー・ナイト・ライヴの映像だった。https://vimeo.com/49714031 子供の目線でも解る異常さ。何度か見ていくうちにテープが切れてしまって母にとても悪いことをしてしまった、という気持ちになったことをよく覚えている。会場では1987年のベルリンでのコンサートの映像が紹介されていて、解説文を読んでいたら突然、感情が沸点を越えた。https://www.youtube.com/watch?v=0C7FlnBt1q4 とても説明がつくようなものではない。音楽がそれを起点にして何かを成し遂げることがあったならば、その理想形かもしれない、とか言おうと思えば言えるのかもしれないけれども、それではとても足りないし、言葉にできない自分がもどかしい。何か今までの蓄積のようなものがじわじわと溶けていったような不思議な感覚だった。件のVHSには深夜放送で流れていた「ヒーローズ」も一緒に入っていた。MVではなく、テレビ局が適当に当てた環境映像のようなものだったと思うんだけれども、暗い部屋に男が居て、明るい窓の外を眺めているだけの映像が当てられていた。それだけのことなのに、何かとても示唆的で、薄気味悪く、希望に溢れているものだという事はこどもながらにして理解していたのだけど、感情の沸点の先にはその映像が見えていた。興奮冷めやらないままにエンドクレジットを眺めていると、すぐそばに鈴木慶一さんとバッタリ。割と最近たまたまどこかでお会いしたんだけどそれがどこだか思い出せないままにふたりで写真を撮った。慶一さんがイディオットのポーズを模して、僕はヒーローズのポーズを模した。とてもいい写真が撮れた。帰りの電車で何度か見返してふふふ、と笑ってしまうほど。(FBとかにアップしてあるんで見たい方は探してみてください)家に帰り、慶一さんのリプライで思いだした。ブライアン・ウィルソンのライヴだった。