幻燈日記帳

認める・認めない

3色ショッピングブギ

某日

ポニーキャニオン本社で取材を受けた後、別の打ち合わせをリモートでやっていたら副社長が来て「やあ!ミスタースカート!」と声をかけてくれた。いい会社に拾われたな〜、としみじみする。

 

某日

荷が重い取材を一件。とても緊張していたが、受けていくうちにだんだんカウンセリングみたいになっていった気がする。うまくいったか不安だったが仕事の都合で冒頭だけ顔出すつもりで来た社長が最後まで居て、「おもしろかったよ」と言ってくれたので、面白かったかもしれない。面白くあってくれ。帰りの車では「ああいった方がよかったかもしれない。いや、あのレコードも引き合いに出せばよかった……」と繰り返し反芻しながらゆらゆら帝国の「空洞です」をきいた。その日話してきた音楽の極北にこのレコードがある、という話をしたかったはずなのに、そこにはいけず気がつくと2時間近く経っていたのだった。

 

某日

急遽ホームメジャーが必要になり近所のスーパーに買いにいくことに。車移動ばかりで自転車すら乗らない暮らしが3ヶ月近く続いているのでたまには歩くか、とイヤフォンをした。ヘッドフォンでの作業はまああるとして、イヤフォンで音楽を聴く、っていうのは結構久しぶりだったようで、「えっ、音楽ってこんな聴こえ方しますっけ」と脳が驚いてしまい、アパートの廊下でよろけてしまった。近所のスーパーにホームメジャーはなく、駅前のスーパーまで向かうことになったのだが、いったりきたりでせいぜい30分ぐらいのはずなのにとても充実した気持ちになる。トリプルファイヤーの「銀行に行った日」を本当の意味でわかった気がした。

 

某日

トリプルファイヤー吉田の自叙伝「持ってこなかった男」をお先に読ませていただいた。同じ時代を違う土地で生きる吉田を追いながら私は一体何をやっていたんだ、と思うに至る。いくつもあった分岐点の選択肢で何を選び、何を選ばなかったのか。たとえばひーくんが頭に浮かんだ。ひーくんの兄ちゃんが買った坂本龍一のボックスセットのほぼすべて、いや全部だったかもしれない。とにかく10枚組のそれをダビングしてもらうだけではなく、電話口で曲のタイトルを教えてもらう暴挙に出た私だったが、「メディア・バーン・ライヴ」のタイトルを教えてもらっている途中、あまりの膨大さに「もういいでしょ!」と電話を切られ、その後話しもしなくなってしまったひーくん。ああ、ひーくん、もしカセットにダビングしてくれ、なんて頼んでいなかったら、いや、せめてタイトルを教えてくれなんて電話をしていなかったら今でも友達でいてくれただろうか。でもあの時ダビングしてくれた「メディア・バーン・ライヴ」は今でも心の一本だよ。そこから何人かの友達が出来たんだよ。他にも、大学の新歓で心を閉じなかったらどうなっていただろう、だとかそういうことを思い始めたりもした。心を閉じたから得られたものもあったはずだ、と信じたい。とにかく、過ぎてしまった日々を振り向くにはその道は西陽が強く、さらにオフロードが過ぎる。あらゆる思い出というには美しくない日々が錆びたオルゴールのように巡るではないか。「持ってこなかった男」は緊急事態宣言の壁面に空いた細く不気味な穴だ。ステイ・ホーム、そして「うちで踊ろう」の先に「個」だけが響く夜がある。