幻燈日記帳

認める・認めない

ワニ、おまえを

2/25

稽古が始まった。まずは体を動かすところから、ということで1時間みっちり体を動かす。配布されたスケジュールには「ストレッチ&個性のままに動くワーク」と書いてあった。ミュージシャン勢の体の硬さが浮き彫りになる一方、他の共演者たちの体の柔らかさにおののく。それが済んで振り付けもいれていくことに。コロナ禍で鈍った体に磨きがかかっていたのでどうにもならないほどに疲れた。そして他の共演者たちの振り付けが入っていくのがはやいことはやいこと。ル・ポールのドラァグ・レースをみててもこんな速度でふりって頭に入るものなの?と思っていたが、どうやら入るらしい。1時間体を動かしただけでへとへと。帰り道、コンビニによって冷えたイオンウォーター飲んだが、冷たいことへのダメージがでかくて、イオンウォーターを箱でオーダーした。家についても桃鉄を寂しくやることしかできなかったし、動くこともできず気がついたら4時間近く経っていた。

 

2/26

早めに稽古が終わったので帰り道に去年できた東都レコードに寄る。すっかり忘れてしまっていたけど何年も前に渋谷のレコファンで全然人がいないインストアをやったことがあったんだけど、そのときに居てくださった方がはじめたお店だった。Brian Protheroeというアーティストのレコードを教えてもらって聴いたのだけど、これがべらぼうに素晴らしく大いに感動した。

 

某日

だんだん稽古場に向かう道も覚えてきたし、昼間ならば暖かい日も増えてきた。

 

3/9

稽古が早く終わったのでボーイを通り道のどこかで落とす代わりに神保町での買い物に付き合ってもらった。ボーイの台本に大量の付箋が貼ってあり、シーン1から最後までわかりやすいようになっていたのを見て衝撃を受けたからだった。文具堂で付箋といつも使ってるボールペンをひとつ買い足して、三省堂チェンソーマンを探しに向かうとカクバリズムのパーカー着た人とすれ違ってにんまりした。三省堂チェンソーマンが売り切れていたけど、書泉にはあった。もう高岡のない神保町、書泉になかったらどこに行っていただろう。

 

某日

耳鼻科に行く。ここの先生は「コロナなんてただの風邪」「マスコミが煽りすぎている」という。コロナが風邪だろうがなんだろうが、政府の対応に納得がいかないし、私は想像力のない世界にいるんだな、と思い知らされる、という話をする。とにかく納得がいかない。

 

3/23

この部屋の配線はおかしい、と気づいて電源タップを2つ注文。MacMiniを買い替えたのでUSBハブも注文。ここに引っ越してきて5年経ちますが外付けHDDが増えるだけ増えていき、機材も増えていき、5年前の怠惰だけで生活している状態、というわけだ。実家から持ってきた何十年も前と思われる電源タップに別れを告げ、実家を出たときに買った無印の電源タップを2軍に落とした。

部屋の掃除をしながらAaron FrezerとGinger RootとVulfpeckを聴く。Aaron Frezerは鳥居くんと浜くんのインスタのストーリーに同日にあがっていて、こりゃ買えってことだな、とホウボウさがしたのだがどこも売り切れていて、タワレコのオンラインがかろうじて取り寄せの注文を受け付けているだけだった。何度かもうちょっと待って、って連絡が来ていたから過去の経験上、こういうときは入荷しないはずなんだけど、なんとしっかり届けてくれた。ちょーうれしい。

 

3/24

昼寝をしようと布団に入って意識が落ちていくのを楽しんでいたら突然頭だけ起きてしまった。そうして夢を見る。ApexばかりやっていたからなのかApexのようなゲームの中に入り込んで、そのゲームの中のキャラクターになる、という夢だった。「何度やったってどうせ隠れるだけ隠れて、時間が経った頃には撃たれて死ぬんだよ!」と現実でのプレイスタイルを呪いながら銃を抱えて出ていく。そして隠れるだけ隠れて、時間がたった頃に見つかって撃たれて死ぬ。それを何度か繰り返えるのだけど、妙に頭だけはっきりしていたから時間の進みがやたら遅く感じた。宅配便のチャイムで夢からさめ、時計に目をやるとたったの30分しか経っていなかった。過ぎた時間と浅すぎた眠りを鑑みて私は部屋の掃除を始めた。この部屋に越してきてから買ったハンガーラックを買い換えていて、粗大ごみの予約まで押さえたのだが、激化することが予想される稽古のさなか、私にそんな余裕はあるのか、いいや、ない。ばらして部屋のすみに置いておいて新しいものを設置してしまおう、とすべてのシャツを下ろし、ラックの足元に転がっていたあらゆるものを適当なところをうっちゃり、プラスドライバーをむんずと掴んだそのとき、このハンガーラックが極太6角レンチじゃないと解体できないと気がついたのだった。極太6角レンチは見つからなかった。

 

4/3

芸術劇場での稽古が始まった。何公演か中止になったけど、実際の舞台で稽古ができるならとてもいいよね、と切り替える。中学高校と要町の学校に通っていた私には、池袋の西口に、芸術劇場には人並みならぬ思い入れがあるのだ。17歳だった私は17歳らしくギターを抱えて17歳らしくフィッシュマンズ(とアンコールをもらってパラダイス・ガラージ)を歌い、17歳らしく嬉しがったり17歳らしく傷ついたりしたのだった。あれから16年経ち、会場こそプレイハウスではなかったけどこういう形で戻ってくることもあるんだな、と不思議な気持ちでいた。

稽古の合間、休憩があったのでココナッツディスクに向かう。暖かくなってきた気候に気分が高揚する。そうか、さっきまでの気持ちは一応嬉しい気持ちだったんだな、と気づいた。中川くんと束の間、談笑をする。NRBQのレコードなどを買って劇場に戻った。

 

某日

ボーイと朝までこれからどうなる、とLINEで語らう。その中、誰とも連絡先交換していない、というとそれはさすがに…と言われ、自分が今までの人生どうやってパンダとして振る舞ってきたかをひたすら説明するハメになり、翌日までダメージが残る夜になった。

 

4/13

もしかしたらまだ稽古があるかもしれない、と思っているところに、本当にないもんだから、あ、いよいよないんだな、と思い知る。疫病を前に芸術は無力だ。1年前に思っていたことを改めて思い知らされてちょっとキツくなる。

餃子をつくるためにキャベツを出したが3時間経ってようやく調理を開始した。そういう日だ。

 

4/14

公園の中止が発表された。劇場の荷物をまとめに行く。と言っても私の荷物は譜面のファイルと上履きだけだ。ボーイと落ち合って楽器を積む約束をした。1時間早めに家を出て、劇場に車を止めて、街に出た。小雨がふる中、楊に向かい、麻婆麺を食べた。ココナッツに行くと、中川くんはいなかった。なぜかほっとする。友達に合わなくてほっとしたなんていつぶりだろう。

徒労感が車内に滲む。機材を倉庫におろし、ボーイを新宿でおろし、まっすぐ家に帰れる気がしなかったのだが、なんとかまっすぐ帰った。非日常が日常になり、その日常は水のように私の指をすり抜けていって、またどこかへ行ってしまった。部屋に戻ると飲み切ることがなかったイオンウォーターの箱が私を睨んでいるような気がした。