幻燈日記帳

認める・認めない

いきしち・ヌ

奇妙な夢と副反応の燃えさしの中で大してだるくもないのに「副反応だりぃ〜よ〜」のスタンスで一日を潰してしまった。痛みも引いてきて腕のだるさもほとんどないのに。これが33歳の夏かね。作詞は1行進んだ。でもいい1行だった。うん、いい1行だ。ナイポレの仕込みをしていく。ここ最近レコードで買った曲から、近々収録予定の選曲テーマに合わせてLPから盤起こしをしていった。データを作っていく過程で漫画を読んでいく。勝田文さんの「風太郎不戦日記」だ。昭和20年(1945年)の医学生の話。1巻の「この凄烈暗澹たる日本の運命を、両手にて支え、一切他事を思う余裕なきが、この正月の気分なり」というあたりで今の気分、そして少し昔の気分がなぜだかわーっと襲ってくる。漫画を通じて戦中の東京でも普通に大学が機能し、映画館では映画がかかり、演芸場でも公演が打たれていたことを知る。おれの毎日はどこへ向かおうとして、おれの毎日はどこへ向かっていて、おれのこれからはどこへ向かっているんだろう。

 

目覚ましで目を覚ます。妙な仕事が入ったので慌てて髪を切りに行った。予報は曇りのち雷だったがカンカン照り。右腕だけ陽に焼けたような気がしながら散髪。シゲルさんと話す。久しぶりに今日の自分はよく笑っていた気がして、ただその「わ〜今日の自分、よく笑ってるな〜」っていう俯瞰した目線に戸惑いもあった。原宿の方から車で帰る。都心に出るたびデパ地下で無茶していい、というルールで動いていて、いつもだったら帰り道直撃の伊勢丹なんだけど、原宿の方から回ったから高島屋にも行けるということがわかった。あれこれ見て回る。デパ地下はもとから大好きだったけど去年の9月、ライヴの前に寄った日本橋三越の美しさを目の当たりにしてから取り憑かれたような気がする。日本全国の銘菓のコーナーを見て、まだライヴで行けていない街に思いを馳せ、かつてよく行った街を思い出す。京都フェア開催中でイノダコーヒーやさいき家なんかが出店していた。ああ、おれの京都。家に居ても大してお金つかわないもんな〜、こういうときに気分をアゲるためにおいしいもの買おう〜っていう態度であれこれ放り込んでいく。気持ちは確かにぶちアガり、晴れやかだ。しかしだんだんわかってきた。これ続けていると破産する。

部屋に戻り、シャワーを浴びしばらくぐったりとする。昨日より今日の方がぼんやりしている。これは副反応ではないかもしれないが、なんともいえないダルさである。