幻燈日記帳

認める・認めない

マイ・ネーム・イズ・ジャック

川辺君と吉田の3人で取材を受けるために渋谷へ向かう。久しぶりの電車移動だ。カバンに「ダンピアのおいしい冒険」の4巻を詰める。そして読む。電車の中で泣きそうになった。悲しい出来事に涙がでそうになるのもそうなんだけれども、不思議とそこではない気もする。

あるバーで話し込んだ。場所が場所だったからそのまますぐ飲み会になり、ならば私も先日ようやくお酒が飲めるようになったんだよ(先日のSLSS2022のバックヤードのケータリングでいくつかお酒を飲んだら、ご陽気になるだけで、体になにひとつ異変がなかったんだ。これは本当に嬉しかったことのひとつ)、とお酒をいただくことに。SLSSのバックヤードで飲んだサングリアも日本酒もなかったのでなにか飲みやすいおすすめをもらうことにする。「これ、トニックで割るとスポドリみたいな味だからいいんじゃないですかね」と勧められ、軽く飲んでいた。顔を合わせて話すのも久しぶりだからとても楽しく、お酒も味は好きで、こういう日々を望んでいたのかもしれないね。なんて嬉しくなっていたのだが、あるところを超え、「あ、これやっぱり駄目だ」と自覚するに至る。たちまち具合が悪くなり、崩れていくかりそめのしあわせを眺めながら私はこの酒をビールや焼酎と同じく、ブラックリストに入れるべくバーカウンターに問う。「これなんてお酒でしたっけ」「これはコアントローですよ」「そうですか……」コアントローときいて、はっと思い出す。スパンクハッピーの名盤「ヴァンドーム・ラ・シック・カイセキ」の表題曲でフォクシーと一緒に飲み干す描写がある。ゆらいでいく自身とともに原曲に敬意を払い、「生きていればXX歳になるのね私のXX」と頭の中で唱えた。

川辺君に気を遣ってもらって「あんまり無理しないでいいんだよ、俺らもそんなに長くいないからキツかったら帰るのもありだよ」なんて言ってくれたのだが、酒が回ってまともに歩ける気がしない。水とお茶をひたすら飲み、耐え、なんとか戻ってくることが出来た。武田砂鉄さん、おれまだまだ駄目みたいです。

帰りの電車で全曲シャッフルをしたらジョン・サイモンの「マイ・ネーム・イズ・ジャック」がかかった。と言っても1968年版ではない。1998年にリリースされた「ホーム」というアルバムに、日本盤のみのボーナス・トラックとして収められたヴァージョンだった。曲が始まり「His name was jack」と歌われる。オリジナルなら「My name is jack」なのだが、このヴァージョンでは三人称で、しかも過去形に書き換えられていることに気がついた。それだけのことなのにとても悲しいことのように思えてきて、思わず新宿で途中下車をした。夜の新宿は昔のようだ。マスクなんて誰もしていないような気すらしてくる。昔好きだった思い出横丁を通りすぎ、またさっきのバーでのことを思い出して自己嫌悪に陥った。乗り換えの駅まで歩いて電車にまた乗る。暗い気持ちになってしまうが、「ダンピアのおいしい冒険」の4巻の続きを読む。大好きだった駅のベンチに座って電車のなかで読みきれなかった分を読む、という行為が久しぶりに出来て心が落ち着いた気がした。しばらくささくれだっていたのだが、数日後、ジョン・サイモンのアルバムを引っ張り出し、解説と対訳を見た。そこには新しく「僕達は裏のジャックから学べることがある / 僕達のすべきこと / いつも互いを愛し合おう / きっと向こうも君を愛してくれるさ」という詩が足されていたことを知ることが出来た。家に帰ってきてすぐこの詩を読んでいたら、また違った今があったに違いない。