幻燈日記帳

認める・認めない

ジゴロの頃

コロナの症状は発症してから4日ぐらいはその日ごとに一番つらい症状が違う感じだった。初日はのどの痛み、次の日は鼻水、次の日は熱、次の日は喉、しばらく喉が調子でなく、だんだんとやんわり収束に向かっていって最初に感じていた喉の痛みだけが戻ってきて、痰が残った、という形。明日はどこが悪いんだろう、と考えるだけでも精神衛生上最悪で、軽症で済んで良かった、となにかに感謝する他ない。それでも飛ばしてしまったライヴが一本、飛ばしたリハーサルが一本、飛ばしたレコーディングが一本。それらを思うと未だに整理がつかない。落ち着かないのだ。喉をやって入院して3本ぐらいライヴを飛ばしたことがあった。その時も相当食らったけど、自分自身やり過ごすためにどう気持ちを持っていくべきか、みたいなのが見えていた(ような気がする)はずだけど、何か比にならないしこりが残ってしまった、という実感だけがある。

療養中、かかった耳鼻科から電話が来た。妻の咳があまり良くならず医師に相談したかったからちょうどいい!なんて手厚いサービス!これからはここにお世話になろう!と感動していたら、話を聞くと、身内に感染者が出てしまい、濃厚接触者になってしまったから病院をしばらく閉めないといけないんだ、と言っていて気が遠くなった。新しく薬を出してもらえることになって、妻の症状はどんどんよくなったのでそれは嬉しいのだけど、これから数日間、その診察を受けられない人もいるのか、と複雑な気持ちになるしかなかった。

療養が明け、コンビニに行った。「夏が暑い」「ビーサンで歩くというのはこういう気持ちだっただろうか」。俺は何事もなかった街を歩く。ハロハロを購入し、手で掴んで部屋に戻る。その道中、昼間の暑さが残る深夜の歩道で少しずつ溶けていくハロハロを眺めることしかできない。このハロハロは今の俺だ。

療養で押しに押しているスケジュールに泣きながら口づけをしていく。そのために久しぶりにファミレスに向かい、詩を書くことにした。復帰初日だから、とあまり期待しないでノートと何冊かの漫画を持っていったのだ。店内には最近仲良くなった若いミュージシャンも居て、彼も締め切りで苦しんでいるようだった。こちらはなんと夕方以降の数時間の滞在で詩が書けてしまった。こんなにうれしいことはあるかい。出るタイミングが一緒だった若いミュージシャンのお茶代も気前よくかつ恩着せがましく支払い店を出た。彼も最近コロナにかかっていたのでその話題を少ししたのだが「外に出ると深呼吸しちゃいますよね、とりあえず。マーベルの映画とかで封印されてて復活したキャラが深呼吸するのってそういうことだったんだ、って」と話してくれたが、昨夜の俺は「夏が暑い」だったので笑いながら「そうだよね〜」と言ってしまったが、心のどこかで感受性の死を感じるほかなかった。