前日の支度に恋人を呼びつけ、
入場者特典のポストカード、印刷が色移りしやすいやつなので、
一枚一枚ビニール袋に入れていったり、
在庫の整理やCDRの組み立て、予約のリスト作成に追い打ちをかけていく。
なんとか3時には寝れるんじゃないか、なんて思っていたのだけど、
Tシャツやレコードの段ボールを車に積んで、
布団に入ったのは6時手前だった。
目覚ましがなる10分前に目が覚めた。
寝坊する時だってあるけど、こういうときは不思議だ。
朝食を摂り、簡単な身支度をする。
数枚のCDを選び車に乗り込んだ。
途中ココナッツディスクに寄り、
それから新宿方面に向かった。
甲州街道へ出る手前の道は今年の始めに、
京都から帰ってきた時に通ったデス・ロード。
緩やかな坂を下ってのぼるだけの道なのだけれども、
大雪に見舞われた東京に於いては、
ただのカッチカチの坂道。
私たちが乗っていた車はスタッドレスを履いていたうえに、
父自慢のTOUGHなグランビアだったので無事に切り抜けたが、
坂の途中に乗り捨てられた車、車、車。
その時点で20時間ぐらい車に乗りっぱなしだったので、
「これが地獄絵図か」と真剣に考え込んでしまったことを思い出していた。
入り時間より少し早くWWWについた。
物販の段ボールや楽器をおろし、車は駐車場へ。
リハーサルの準備や、物販の準備をそれぞれしていく。
メンバーが揃ってリハーサルを始める。
今回のPAは近藤さん。CARNATIONの新譜も近藤さんだった。
そのCDの音の素晴らしさ、レコ発ライヴでの音の良さ、
さらに昆虫キッズのtextのレコーディングも近藤さんがされている。
爆音映画祭で上映されたスコット・ウォーカーの映画で、
たまたま顔を合わせたり、細かいことを挙げたらきりはない。
ともかくいろいろあって近藤さんにお願いした。
リハーサルは円滑に進み、自然と気合いも高まっていく。
トリプルファイヤー、ミツメも順調に終わり、
臼杵さんのDJチェックも終わる。
会場入りから開場まで4時間半もあったはずなのに、
あっという間に時間が過ぎていた。
少し疲れてしまったので楽屋で休んでいたりしたら、
オンタイムで演奏が始まる、というので急いでステージを観に行く。
ミツメは1曲目が「煙突」で、おおー、そう来たか、
なるほどなるほど、ふむーなんていちいち考えながらライヴを見た。
少し見て後ろ髪を引かれる思いを感じながら、
また楽屋の隅でガクガクと震える作業に戻った。
で、ミツメの演奏が終わるとDJが「どんたく」をかけた。
正確にいうなら「よろしくどうぞ」から続けての「どんたく」。
クールな佇まいながらも、熱のこもった演奏のあとに鳴り響くお囃子は、
なんとも言えず味わい深く、お囃子を抜けた後の、
フロアタムのクレッシェンドを心待ちにしていた。
その裏でトリプルファイヤーのセッティングは進んでいく。
それぞれの楽器の調整を終えメンバーが舞台袖にはけていった。
近藤さんが"I Wanna Be Your Lover"とだけかかれたCDRをセッティング、
ついに再生ボタンを押してしまった。
軽快なオクターブ奏法に彩られたグルーヴがWWWを支配する。
なんということだ。
"I Wanna Be Your Lover"とだけかかれたCDRの時点で気づけばよかった。
あまりの事態についに笑い出してしまった。
SEが消えないうちに演奏が始まった。
未音源化の「ちゃんとしないと死ぬ」でライヴはスタート。
満員のWWWに「ドラッグをやるやつはクズ」というリフレインが鳴り響く。
観客は熱狂と戸惑い、そのどちらも見て取れて、
その状況はとても面白いものだった。なにか新しいことが始まった気がした。
あれよあれよとライヴは進んでしまい、
僕は僕でやることがあるのに何もしてない!と気づいて途中でまた、
楽屋に戻り、隅でガクガクと震える作業に戻った。
それ以外の雑務(着替え等)も済ませ、ステージに備える。
楽器をセッティングに向かうと臼杵さんは「ガラスの十代」をかけていた。
オープニングだけ流してそのまま「モーニングムーン」に繋げたり。
この日、WWW自慢のFUNKTION-ONEのスピーカーから、
惜しげもなく流された「マンボ・バカン」も「どんたく」も、
僕は臼杵さんのDJで知った。それはもうなんと10年も前のことだ。
セミフォーマルステークスというイベントがあって、
そのイベントのオーガナイザーが臼杵さんだった。
僕はそのイベントに出演していたyes,mama ok?というバンドがとても好きで、
15歳とかだったけど毎回欠かさず観に行っては、
少しずつ今に至るように形成されていった。
多感な時期の少年にとってはこれ以上ない素晴らしいイベントだった。
そしてなんだかんだで未だにそこに居た人たちと、
繋がりがあって、なおかつ、自分も音楽をやれている。
10年前の自分にこの状況を話したら、涙を流して喜ぶだろう。
こんなにすばらしいことはない、お前は収入面以外で夢を叶えるぞ。
3ヶ月後の収入を気にしながら布団に潜る毎日が続くけど、
それでもお前は幸せな気持ちがちょっとだけ勝ってる状態で、
そのままぶくぶく太り続けて、その頃の体重から考えて、
50kgは増えてるから多分すぐ死ぬよ、とも伝えるつもりなので、
10年前の僕はさっき以上に複雑な顔をしていることだろう。
チームしゃちほこまでかかって完全にアガってるのに、
そこに投入されたハシケンハマケンの「HONEY」ボッサカバーで、
会場がざわついたところでスカートの入場テーマがかかる。
よく使用しているこのテーマは、アパートの鍵貸します、という映画のサントラから。
色事のシーンになると必ずかかる曲。
タイトルがいいんだ。「This Night」というんだ。
そういえばこの映画と出逢えたのはyes,mama ok?の金剛地さんが、
この映画をとても好き、と言ったから見たのがきっかけだったな。
アンプの設定をしようとしたら、既にリハーサルの時の設定になっていた。
WWWのスタッフさんがやっていてくれたみたいだ。大箱ってすごい。
1曲目には「おばけのピアノ」を選んだ。
去年はお祭り騒ぎになっていて、結構ガッツンガッツンやったんだけど、
今年は違う見せ方があるだろう!とこの曲を選んだんだよ、
って帰りのファミレスかどこかで岩淵さんに言ったけど、
本来「ガール〜セブンスター」という攻め攻めな選曲ではじめようとしていた。
いきなり早い曲演奏して、エンジンかからなかったらどうしよう。
とか思って怖じ気づいて結局変えてしまったんだけど、
いつかはやってみたい曲順です。
1曲目が大人しかったせいか、
お客さんもしっかり聴いてくれる感じでそれもうれしかった。
演奏をしてくとこちら側にもだんだん力がこもっていった。
個人的にそれが爆発したのは「ゴウスツ〜さかさまとガラクタ」だろう。
4年くらい前に書いた曲とまだできて半年も経ってない曲。
並列なようでまたちょっと違うような。
だんだん今日の自分がとてもよく声が出ていることに気がついた。
僕はあまり喉が強くないらしく、
思い返せば万全な状態で歌えたことっておそらく一度もないんだけど、
今回はなぜかうまく声が出ているような気がした。
リハーサルの時、モニターに全体の返しを下げてもらったり、
なるべく耳へのストレスを減らすようにしたからかもしれない。
最後の曲だったメドレーの「返信」で、
少しばててしまったのか、よく僕が陥る、
自分がどの音を歌っているのかわからなくなる現象が起きたが、
いつもより軽症で済んだみたいだ。
演奏が終わって充実感もあるが燃え尽きた感じもあり、
去年と同様、またここから次のステップに移った、という感じが少しだけした。
スカートというバンドが今後どう変わっていくのかは僕にもわかりません。
が、もし興味をもっていただけるならもう少しおつきあいくださいませ。
すべての物販や楽器を搬出した頃には11時を過ぎてしまっていた。
もたもたしていた訳ではないのだが、どうしても時間がかかってしまって、
WWWのスタッフの方に申し訳ない気持ちだった。
撮影を取りまとめてくれた岩淵さん、熊谷耕自、馬場ちゃん、
清水君、僕と恋人でごはんをたべた。
岩淵さんとはそこでチャゲアスの話になり、
「HEARTがいい」というところで合致した。
3時近くまで話したり、眠たがったりして、
僕が現在の住まいについたのは5時近くだった。
車からすべての段ボールをおろし、つかの間の睡眠を取った。
目を覚ますと9時半だった。
父には「8時までには返すよ」と言っていたのに9時半!
こりゃいかん、こりゃいかん、と急いで着替えて車に乗り込む。
青梅街道から環八へ。谷原の方へ向かう車線は混雑していたが、
赤羽方面はスムースに進んだ。
「借りた時にガソリン半分しか入ってなかったので、
返す時は同じぐらいにして返そう」と思っていたのだけど、
延滞したことを考えて、満タンにして車を返して父に平謝り。
素っ気ない感じで対応してくれて少し安心した。
布団を敷いて少しだけ眠ろう、と思っていたのだけど、
意識が戻ったらもう夕方の4時も近かった。
家にやることも山積みだし…と猫にそれぞれ挨拶をして、
練馬の家に向かった。
でも、その前に!と歩いて高島平まで行き、
こないだまでアルバイトをしていた南天堂に顔をだし、
漫画を数冊買って帰った。
バスを乗り継いで家に着くともうかなりいい時間。
スーパーで買い物をして帰ってくるとさらにいい時間。
父がおみやげにくれた池袋のラーメン屋の持ち帰りパックを食べ、
部屋でレコードを聴きながら眠った。くたくただった。
手伝ってくれた恋人を家に泊まらせていたのだけど、
よく寝坊をするのでちゃんと恋人が起きなければならない時間に起こして、
仕事に向かうのを見送ってレコードを聴いて、
さてそろそろうとうとするかな、と考えていると、
今度は外から道路工事の音がしだした。
無職に現実はここまで厳しいものか。
ブロッサム・ディアリーの7インチをターンテーブルからおろし、
山下達郎をできるだけ大きな音にして私も僅かながら応戦したのだった。