緊張しながら電車を乗り継いだ。
冬の夕方、辺りはすっかり暗くなって、
マフラーがないと外は歩けないね。
池袋で納品をかまして雑談をする。
雑談はどうしても楽しいので余計に時間がかかった。
あまりにも楽しく時計を忘れたふりをしていた代償として、
小走りで地下鉄に飛び乗った。
副都心線のナントカという駅で降り、
時計を見ると開演10分前。
歩いている暇はないのでタクシーを捕まえ、
「日本青年館まで」と告げる。
「今日は何かイベントなんですか?」
「ええ、今日はコンサートです」
そう、コンサートだ。
それもムーンライダーズの3年振りのコンサート。
開演前のざわつくロビーを抜ける。
「10分押しだって」と誰かの声が聴こえた。
そうか、ここまで急ぐ事もなかったんだな。
でもいいんだ、そうでもしないと心が保たない。
さて、と、座席へ向かう途中、
お世話になってる人と何人も逢ったのだけど、
ムーンライダーズのライヴを見る、という事に対する大きな緊張感から、
「アハハ、ドウモ」ぐらいしか返せていなかった気がする。
席に着いて、呼吸を整える。開演を告げるアナウンスが流れた。
そうだった、ムーンライダーズのコンサートだったんだね。
どうにかなってしまいそうだった心が少しずつほぐれていく。
暗転して欠けた月と"Ciao! Mr. Kashibuchi"の文字。
バンドが演奏を始めると、かしぶち哲郎は確かに居ないのだが、
確かにムーンライダーズが演奏をしていた。
一周忌という事もあって、衣装として黒い服を。
今年60歳になる博文さんと白井さんはそこに赤を取り入れていた。
2010年のライヴではくじらさんとかしぶちさんがそうだった。
演奏を聴いていると不思議と悲しい雰囲気はあまり感じられず、
純粋にかしぶち哲郎が遺した楽曲の素晴らしさと、
「この曲やるんだ!」という興奮に包まれた。
どうしてこの曲だったんだろうか、と自分でも思ったが、
静かに演奏された「九月の海はクラゲの海」でふいに涙が落ちた。
その後も「無防備都市」や「WEATHERMAN」なんかまでやって、
とても興奮していたのだけど、
「3年前は間違えたけど今日は間違えないぞ!
イントロは二回し!だよな、かしぶち!」
と慶一さんが言って「スカーレットの誓い」の演奏が始まった時に、
いままで溜まっていた涙が全部出た。
思い返してみるとかしぶちさんが亡くなってから、
涙が溜まるぐらいのことはあっても、大泣きするような事はなかった。
それは2月に催されたお別れ会で献奏することになったこともあってか、
僭越ながら「そうか、僕はしっかりと送る側に立たなければならないんだ」
みたいな気持ちがわき上がってしまっていた。
それ以降の3曲はひたすら涙が出る。とにかく出る。
どうしてハンカチを持ってこなかったんだ。
シャツの裾を犠牲にして演奏を見届け、
氷のように何かが溶けたのを感じた。
かしぶちさんが亡くなってから、ムーンライダーズと向き合うのが、
どこかである種の傷のようなものになっているような気がして、
大好きな事には変わりはないのだけど、
やはり整理はついてなかったんだな、と。
終演後のロビーで優介と落ち合って、
「あれは泣くよね」「スカーレットのMC?」みたいな話をした。
整理なんてそう簡単につくものじゃないし、
そもそも整理なんてつかなくていいんだ。
かしぶちさん不在の「釣り糸」を聴いて少しそう思えた。
とても寒い夜。ルーフトップコンサートでの、
青いマフラーを巻いたかしぶちさんの写真が、目に焼き付いている。