幻燈日記帳

認める・認めない

たとえばこぼれた雫が雨なら



10/7
遠征に向けてリハからの夜走りなので起きたその段階から眠ることを考える。初日の車に乗り込む澤部、清水、ボーイ、スタッフで免許を持っているのは僕だけなので、とにかくそこに重点を置きたかったのだが、5日間も家をあけるので途中で体調が崩れてしまってもどうにかなるように体のメンテナンスを幾つか。風邪をひきそうな予兆があったので内科にかかったり、ニンニクのきいたカレーを食べたりする。これもメンテナンス。4泊分の荷物をまとめ、可能な限り忘れ物がないか考えて、一つ思い出す。請求書を出さなければ、という事だった。急いで書いて急いで封筒にぶち込み急いで切手を貼り急いでポストに投函した。これ以上何も忘れ物がないことを確認(祈りながら)し昼過ぎの3時ごろに家を出た。4時には着いて6時に目を覚ます。7時に家を出て渋谷へ寄り道。1時間ばかし宮沢章夫さんと牧村憲一さんの対談を見る。取りこぼしていた小室等さんの音楽に触れてつい声が出てしまった。対談もノッてきた頃に会場を後にする。新宿で最終リハーサル。セットリストの修正や、つなぎの確認をして、佐久間さんと別れ、澤部、清水、ボーイ、スタッフの4人でひろびろ8人乗りのディーゼル車に乗り込んだ。
10/8
三連休初日の深夜ということもあったのか、道は混んでいた。12時ぐらいには出発していたのだが、時々渋滞のためのろのろ運転したり、体力の限界が来て30分ほど休む事数回、想定よりも遅い時間に目的地にしていたサウナに着いた。1時間半ゆったりするつもりが眠りこけてしまって2時間休んでしまい入りの時間に遅れてしまったが、リハの変わり目という意味では丁度いいタイミングで会場のHOPKENにつけたようだった。一息つくひまもなくセッティングとリハーサル。終わったらすぐに本番だった。
対バンのジョンのサンとは9年前に同じイベントに出ている。昆虫キッズの企画だった。あの時に買った「体育館」というCDRは今も大事にとってあって、時々聴いている。この9年間、いろんな曲を作ってきたんだよ、という意味合いも込めて、前半は正式にレコーディングしていないような曲も含めて古い曲ばかり演奏した。後半はズーシミとボーイを呼んで新しい曲もいくつか。シンプルな編成でも「静かな夜がいい」が決まったのが嬉しかった。ジョンのサンのライヴを見るのもすごく久しぶりなのに9年前と変わらないあのアンサンブルだった。このムードがずっと続いてるってすごすぎることだと、私は思います。
ライヴが終わってメンバーで大阪に来ると寄る延辺料理のお店に入って、ラム肉を食らってはうめえ、とむせび泣き、これがあるから演奏旅行はやめられねえっすよ、とむせび泣き、ウーロン茶を痛飲した。食事を終え、メンバーは散り散りに束の間、大阪を楽しむ。ヘトヘトの僕はスタッフとHOPKENへ戻り、宿泊の説明を受けていた。するとライヴもやった宿泊スペースに中古レコードが数百枚あるのを見つけてしまい、目が覚める。見逃さないように3周ぐらい棚を行き来しているとボーイが戻ってきた。欲しいレコードを4枚購入。どれも安く買えたことにより安眠がやってくる。宿泊スペースは鍵をかけなければならないのでズーシミには戻ってきたら電話して、と言ったつもりだったのだが、伝わっていなかったか気を使ってくれたのか、深夜1時にハッと目が覚めて携帯に目をやるとSMSで連絡来ていることに気がついた。すぐに連絡して鍵を開け、いやーすまん、と言いながらも即落ち。そして朝5時にアラームの「来たかチョーさん待ってたドン」がけたたましく鳴り響くのであった。HOPKENを出る前にもう一度中古レコードを見る。更に一枚追加。これを頂いていきます。写メと取りメールを送り現金をカウンターに置いて、戸締まりをちゃんとして大阪を後にする。
10/9
ぼんやりする頭を降り出した雨が冷やしていく。ワイパーと同じ速度で諦めに似た気持ちが育っていくのを感じた。岡山へ向かう。スカートにとってバンドではじめて迎える野外フェス出演のためだ。かつて、仲のいいバンドや、後から出てきたバンドがフェスに呼ばれる度に心の中にあるぬいぐるみを部屋の真ん中に広げ、心ゆくまで殴り続けていたものだが、ついにそんな習慣ともオサラバ!スカートのような内省的な音楽がどこまで届くか、という心配もあったが、振り続ける雨にそもそもの諸々に「(こんなに雨降ってるけど)大丈夫なの?」となっていたのだが、西へ西へと進むに連れて雨はあがり、晴れ間すら見えてくる。iPhoneのミュージックのシャッフルも調子がよく、ディーゼル車はさらに西へ進むのであった。ワンマン運転は続くので休憩を挟んだりしながら4時間ほどかかって新倉敷に着いた。雨が降っていたことなんてうそのよう、とまではいかないが、やや曇っているぐらいで、野外フェスには向いている天候だと言えそうだ。スーパー銭湯で疲れを取り、新幹線でこちらについた佐久間さんを拾った。車は山道を超え、また超え、しばらくすると会場だった。到着するとYogee New Wavesの演奏で会場は大盛り上がり。楽器をおろして、それぞれセッティングやコミュニケーションを済ませ、僕は岡崎体育さんがイントロクイズをはじめた事に対してカルチャーショックで震えながら(誤解がないように書きますと、40分の出番であの曲もやりたい、この曲も聞いて欲しい、と考えていた自分の小ささに落ち込んだ、ということです。)ギターの弦を張り替えて、あっという間に本番。白バラコーヒー小脇に抱えていつもどおりのふりをするのだが野外でライヴをやるのが初めてだという事に僕とズーシミだけ異常に緊張し、僕は「すみか」のフレーズをトチり、ズーシミは本番前に水をこぼした。初めての野外ライヴは勉強になることも多く、他の出演者のライヴを見るだけでも、そうか、なるほど、と思う場所がいくつも、いくつもあった。内省的な音楽の我々ですが、今回のライヴを踏まえてまたこういう場で演奏できたら、と切に願いました。
10/10
その日は宿舎に一泊。打ち上げで出た鍋も絶品で、おいしいぶどうや珍しいお酒などが振る舞われた。熟睡を経て、朝起きると抜けるような青空。今日から社長もスカート号(ディーゼル車)に合流。金沢へ向かう行程のほとんどを社長が運転してくれた。よく寝たはずなのに無限に眠れるようなこの感覚。無事に金沢に着いて早速のリハーサルをこなす。前日の失敗もあるしセットリストを変えようか、という話もあったがこれをトラウマにしてはならない、と「すみか」は残留。リハーサルでは昨日やっていない曲を合わせて終了。楽屋で本番を待つ。僕は本番の前に何か食べてステージにあがるとゲップが出るので用意されていた弁当を頬張るメンバー・スタッフを横目にミニルマンドを食べ、本番を迎えた。昨日の反省もあるのか、それともライヴハウスという環境だったからなのか、上々の演奏が出来た。社長から「それでももっとリハーサルした方がいい」と言われ、自分のバンド経験のなさからどのようにリハーサルをすればいいのか解らない、と告白。今後の課題のひとつがより明確になった。その日は金沢に宿泊。翌朝、9時に金沢を出発。澤部、佐久間、社長でドライバーを交代しながら無事東京に着いた。ドライバーが3人居る事の素晴らしさよ。行きの東京→大阪→岡山は生きた心地がしなかった。それがどうだ、手を取り合ってドライバーが代わるだけで「むしろもうちょっと運転してもいいかな」ぐらいの余裕が芽生えた。新宿でみんなと別れて、無事に実家に着いたとき、ディーゼル車の総走行距離には27万kmという表示が出ていた。この車はタフである。
10/11
その日は実家で一泊。5日ぶりに家に帰っても船便で注文したYumi ZoumaのLPが届くのはまだまだ先のようだった。ポストをあけてもサカゼンのDMと、チラシが我もと顔で横たわるだけだった。その時、一本の電話が入る。急いで書いた請求書を送った某社からだった。「澤部さん、届いたんですが、届いたんですがね、日付が2015年なんですわ」。ここに何かが集約された気がした。