幻燈日記帳

認める・認めない

鏡に文字を掲げるひと

非日常としてのプロモーションから帰京したけれども、それ以上のとんでもない非日常の毎日が続く。福岡の最終日はどんどん今、ラジオ局を回っている意味を考え始めてしまって、行く先々で無理やり生演奏をねじ込んだ。それが正しかったかどうか、もはやわからないが、ああでもしないと正気を保てなかった、というのが本音だ。行く先々でアルコール消毒をし、弾き語りをしていてもマスクをしながら歌った。

収録を無理やり巻いてもらって東京へ戻ってきたがレコーディングの予定も、バンドのリハーサルも、それどころかワンマンライヴもなくなって(ワンマンは延期)しまった。ミュージシャンもスタッフも疲弊しきっているが、それは世の中の人、全員がそうなんだろう。おそらくストレスからか、喘息はいつもより悪いし、今後いつまでも冷静で居られる自信もない。いつまで銀行口座の残高が保つか本当に不安だ。それでもポストには春の報せはなく、今年度分の年金払込の案内が届いていた。そんな中、テレビ千鳥の「こっそりデーモン選手権」は救いの光だった。どんな政策よりも心に響いた。

紅天女を彫った仏師、一真の気持ちでNICE POP RADIOのハードコア選曲回のデータを作る。今までで一番時間をかけて選曲をした。それ故に気持ちは蛇行。シンプルなメッセージの曲を〜とかいろいろ考えたのだけど、寂しいときは友達の声が聴きたくなるよね、と、仲間のレコードがいつもより多くなった気がする。