幻燈日記帳

認める・認めない

ヌレ・テニ・アワ

荒れ放題だった部屋に手を少しだけ入れる。そうしては手が止まる。また溢れ出したレコードや漫画たちに目をやる。半年ぐらいシールドすら刺していないコロンビアのエレピアンの上に乗せた加湿器に電源を入れると、エレピに睨まれたような気がした。

夜中になってポストに荷物を出しにいくついでに郵便受けをみるといくつかの封筒が入っていた。そのうちのひとつが石塚くんからで、台風クラブの新譜、Tシャツ、そして手紙が入っていて本当に嬉しくなった。

以前、ラジオでミンガスをかけて、そのサイドメンを紹介するときにエリック・ドルフィーの名前を挙げたら放送終了後に母から「エリック・ドルフィーの「ラスト・デイト」は最高だった。ずっと忘れてたけど今思い出した。」とLINEが入った。サックスってそんなに興味がなかったからジョージ・ラッセルとかコルトレーンのアルバムに参加しているのしか聴いたことなかったけど、そこまで言うなら、と買っていたのを、この年の瀬にようやく聴いた。1曲目がとにかくダウナーな感じで、焦点が合わないような、うまく立てないような、絶妙なアンサンブル。ちょっと重たいな、と思っていたはずなのにどんどん引き込まれていった。「You Don't Know What Love Is」を葬式でかけろ、というので了解した。祖母が亡くなったときに、葬儀会場でずっと「Amazing Grace」がかかっていて、本当に悲しくなったことがあった。そのときに母と「我々が死んだ時は絶対にこうならないようにしないと」と話し合ったのだ。雰囲気のために流れる音楽が、誰からも雰囲気だとすら思われないその光景が頭から離れない。だから私の(かつて)iTunes(とよばれた現・ミュージック)には「葬式」というMax Roachの「Equipoise」やThe Beatlesの「Your Mother Should Know」が組み込まれたプレイリストがあるのだ。

アフター6ジャンクションの生放送に向けて弦を張り替える。今年は何回ギターの弦を張り替えただろうか。久しぶりに張り替えたFG-180はある時、弦が切れてしまってひと月ちかくそのままで部屋に転がってしまっている。

エリック・ドルフィーの演奏が終わって、拍手がやんで、人の声がして驚いた。"When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again"と言っているそうだ。秋には、年末には、来年こそは、と考え続けていたら1年が終わった。過ぎていってしまった。でも過ぎることができたのならそれでもう上等なのかもしれない。私はこれから浴槽を磨くことができるだろうか。「自動」のボタンを押せるだろうか。浴槽は磨くし、自動のボタンも押せる。でもそれができたらもうバッチリ。あとはいつものようにするだけ、そう思うことにした。