幻燈日記帳

認める・認めない

『アンダーカレントを訪ねて』より"アメリカ紀行" (Extended Version)

CREA webで連載中の「アンダーカレントを訪ねて」のためにエッセイみたいな日記を書こうと思ったら18000文字超えてしまったため、冒頭は本懐である「アンダーカレントを訪ねて」に掲載してもらいました。しかし「アンダーカレントを訪ねて」とはよく言ったものだ、という回になった気がします。こちらをご覧ください。

 

crea.bunshun.jp

 

7/13の続き

 

ホテルのチェックインを済ませて、ようやくアメリカに来た、という実感が湧いてきた。シティ・ヴューの部屋を取っていたので街が一望できる。テレビの横にはミネラルウォーターのFIJIが置いてある。テレビからは英語ばかりが流れてくる。アメリカである。荷物をほどいて、夕食を摂りに街へ出た。もう10時を過ぎた頃だったから松永さんに教えてもらったIN-N-OUTバーガーに向かった。半袖では寒いハリウッドを歩く。不思議な街だ。栄えてはいるけれど、近代的な建物はほとんどなく、建物の背も低い。そして臭い。生ゴミの臭いではなく、公園の公衆便所のような臭いが街の至る所からする。ホテルから10分ほど歩いてIN-N-OUTバーガーに辿り着いた。店内は大混雑!オーダーの列もできていて冷房がガンガンに効いていた。アメリカに着いて初めての食事で、オーダーにも気合が入るのだが、3種類しかメニューはない。事前に下調べした妻によると裏メニューも存在しているらしい。それを教えてもらってダブルダブルバーガーのアニマルスタイル(!)をオーダー。思い描いていたようなバカでかいハンバーガーではなく、日本のハンバーガーと大きさ自体はそんなに変わらない気がしたのだけど、味は最高、食べ応えもとんでもなかった。

 

ホテルへの帰り道、本当にアメリカに来たんだねえ、と感慨深く妻と話す。ホテルの向かいにあるセブンイレブンに入ってみることにした。扉を開けるとなぜかインド系のポップミュージックがかかっている。そして陳列棚に知っているものがひとつもない様子を見てさらにカルチャーショック。さらに日本では販売が終了してしまったグラソー・ビタミン・ウォーターが売られていて泣きそうになった。グラソー・ビタミン・ウォーターはいくつも種類があって、どれを日本で飲んでいたのか忘れてしまったのだけど「赤かった」という記憶を頼りに「with love」というフレーヴァーをチョイス。ついでにレジ横にあった日本で言うと唐揚げ棒によく似たホットスナックも購入、部屋に戻って、唐揚げ棒によく似たホットスナックを食べたのだが、固いすぎるぬれおかきのような感じといえば伝わるだろうか、じわじわと不快になる楽しい経験だった。ちなみにwith loveは一口飲むと、全く知らない味だったので笑ってしまった。

 

7/14

 

早く目が覚めてしまったが、妻も同じだったようでIHOPに行きモーニングと洒落込む。陽が登り切る前のハリウッドは気持ちよく、日本の夏もこう言う感じだった瞬間あったよな、なんて思いを巡らせた。昨日と同じ道を通ったのだが、ふと上を見上げると電線になにかがひっかかっている。カルフォルニアの青い空(とはよく言ったもんだ)の手前に映るのはギターのヘッドの一部、それも2本分だった。怖い街に来てしまった。

 

IHOPはパンケーキのファミレスみたいな感じで、ノリでいうとガストに近いらしい。妻が唐木元氏から受け取った「アメリカのさもしい飯も食ってほしい」(大意)という言葉の割とそばにある食事。私はサニーサイドアップにステーキ、そしてパンケーキというセットを選んだ。めちゃくちゃ美味しいものでは決してなかったのだが、有線から60年代~70年代のヒット曲がかかっていて、届いた食事を食べて行くと、ぽそぽそした肉、(なぜかサニーサイドアップではなく)バターがたっぷり入ったスクランブルエッグ、甘いパンケーキを食べ飽きてきた頃、全てがないまぜになり、有線から流れる音楽が強烈に染み入る。これがアメリカなのか。そうか、アメリカなのだな。

 

食事を終え、腹ごなしのため、そのまま歩いて妻が視察したいというスーパーへ向かう。本当のカリフォルニアの陽光が我々に降り注ぐ。暑い。暑すぎるのだが、不思議と汗はあまり流れていないよう。かいたその端から乾いていっているようだ。スーパーについて、どういうものがあるかだけさらっと眺め、ファーマーズ・マーケットに向かった。このファーマーズ・マーケット、映画「スパークス・ブラザーズ」で兄弟がコーヒーをオーダーしていた場所で、ちょっとした市場みたいな場所だ。いくつも飲食店があり、雑貨屋があり、とてもいい雰囲気。なぜこの暑さでオーダーしたのか、もはや思い出せないのだが、ホットのチャイラテをすすって、マーケットを散策していると、ステッカー・プラネットというお店を見つけてしまった。狭い店内に文字通り所狭しとステッカーが並べられているのだけど、そのステッカーのほとんどがロール状のステッカーになっていて、自分でロールから切り離して会計する、というシステムだ。そのデザインがすべて最高だった。昔、衿沢世衣子さんの原画展でシール交換会をやっていて、そこで衿沢さんのご友人からシール交換で最高にかわいいくじゃくのシールをいただいたことがあった。もらってからずっと大事に持っていて、どうしたらこういうかわいいシールが手に入ったんだろう、と不思議に思っていたのだけど、それらがここにあった。店舗の広さからしたらすごく長く滞在して、慎重かつ大胆になにを買うか選んだ。人生のスローガンに「ステッカーとバッヂは2つ買う」を掲げているので、会計したら40ドルになっていて笑っちゃったし、日本帰って優介にその話したら一通り笑われて呆れた顔で「40ドル!?寄付とかしなさいよ」と言われた。寄付はしよう、と思った。

 

その後、周りで洋服買えるところはないだろうか、といくつか探してみる。そう、今回の旅のもう一つの目的はプラスサイズ(4XL)を生きる私自身を肯定してくれる場所を探すことでもあったのだ。ショウ・ウインドウに飾ってあったシャツがかわいかったから、と入った店は基本XLまでだった。XLといってもでかいんでしょう?と袖を通すも、それはせいぜい日本の2XLぐらいなもん。GAPも基本XLまで、時々あってもごくわずか2XLがある程度。突然、現実を突きつけられて悲しい気持ちになった。

 

部屋に戻り、一休みして夕食を摂りに街に出る。その日の夕食はGoogle Mapで見つけたピザ屋にした。ドリンクにミルクがあったのでオーダーしようとすると、「こんなおっきいサイズで来ちゃうけど大丈夫?」と問われて怖気付き、アイスティーにオーダーを変更した。ウェイターのおばちゃんに「どこからきたの?」と問われ「日本です」と答えると「じゃあ、簡単にオーダーができるようにしてあげる」と言って、日本人の店員を連れてきた。どうやら旦那さんだそうだ。円滑にコミュニケーションをとりながらオーダーができて、助かった。ピザはアメリカらしい大味なピザだけど、日本ではチーズの中に埋められてしまいがちな野菜類が、チーズの上に散りばめられていた。野菜の食感と味にほんのりした生感があって、日本ではあまり食べれない感覚で最高だった。

 

ホテルに戻って明日はレコード屋へ行きたい……近くといえば近くに大きい動物園がありますな……行けたら行きたいねえ、なんて話しながら眠ってしまった。

 

15日

 

計画通りレコード屋に行こう、とHollywood/Western駅まで電車に乗ることにする。異国の地で電車に乗るのは大変だった。妻はフィジカルのSuicaみたいなやつ、私はアプリでSuicaみたいなやつを入れた(のだがその後、全く入金できなくなってしまい結局フィジカルを買った。帰国後も入金を試みたが、結局できないようだった。カリフォルニアの宙に浮いた俺の1.5ドル……)。地下鉄はものものしい雰囲気が漂っていて、そうか、スプラトゥーン2のオクト・エキスパンションで描かれている地下鉄の感じか~と膝を打った。(あとで調べたらニューヨークの地下鉄がモデルだったそうだ。)タイレストランで食事を摂って、バスに乗り換えてRecord Safariに向かう。道中のバスは強すぎる日差しに配慮してか、窓ガラスがかなり暗くて、どんな景色なのかはわかっても、どんな店かまではわからないのがちょっと寂しかった。

 

バスは目的地に到着、2分ぐらい歩くとお目当てのレコード屋だった。お店に入るととても賑わっていた。「所狭しとレコードが並んでいる」というわけではなく、抜けのいい店内。DJがレコードをかけて、レコードを見ながらそれぞれが楽しんでる。ゲームの筺体があったり、ドリンクのたっぷり入った冷蔵ショウケースがドンと置いてあったり、知らない光景でどきどきした。新入荷コーナーをめくるたびに気持ちがはやる。日本じゃ買えないようなあんなレコード、そんなレコードがいっぱいあるかもしれない、と興奮していた。日本のレコ屋でいうさだまさしさんとか小椋佳さんみたいなノリでジャクソン・ブラウンのレコードがあったりしてクラクラした。日本ではこの値段じゃ絶対買えないでしょう!っていうものがゴロゴロしていてとても刺激的だった。特にジャッキー・デシャノンの”For You”と”Me About You”が3ドルで買えたのが嬉しかった。

 

そのままバスに乗り、バーバンクの方まで出る。途中ショッピングモールに寄ったりしてその間も大きサイズの服がないか見たが、どこもXL止まりだった。どうせ向こうで服いっぱい買うだろ、と少なめに荷物持ってきた自分を少し恨む。アメリカですら私を受け入れてくれないのか。街の適当な服屋に入ったら自分でも入るサイズがある、というのはこちらの勝手な幻想だったということがわかってしまった瞬間だった。

 

Atomic RecordまでUberで向かう。Record Safariとは違っていわゆる「レコード屋」といったような雰囲気の店内。通路は狭く、すれ違うのはやや大変。壁には高額盤がぎっしり飾られていて、ロジャー・ニコルズのアルバム、ボビー・ボイルのアルバム、セルジュ・ゲンズブールのアルバムなどがズラーッと並べられていてめまいがするほどだった。Record Safariと比べると、値段は高いけど、いわゆる定番っぽいものがしっかりと押さえられた在庫という印象。アメリカだし……とボウイの『ヤング・アメリカンズ』を買った。安かったわけではない、でも異邦人としてのアメリカ土産だ。他にもマーク・ムーギー・クリングマンをジャケ買いサヴァンナ・バンドの3枚目も5ドルぐらいで買えた。日本で倍以上の値段で買ったドン・カニンガムのセカンドも購入。うれしい。閉店時間ギリギリまで物色して、会計を済ませると、Atomic Recordの人が奥から出てきて、つい数日前まで大阪にある別邸にいたんだ、と話してくれた。買い付けとかで行くんですかね、と訊きたかったが買い付けという言葉がなんて言ったらいいかは咄嗟に出てこなくて想像するだけだった。

 

夕方、5時、レコード屋を出て近くにあったRun Out Groove Recordsへ。こちらは小洒落た小さなレコード屋。デヴィッド・セヴィルの”Witch Doctor”の7インチがあり、購入。さすがに疲れたので、ポルトズ・ベーカリー・アンド・カフェという店でちょっと休む。変わったルールの店で、見た感じ普通の飲食店なのだが、ルール的にはテイクアウトのオーダーをして、その場でイートインするということらしい。一日歩きっぱなしだったので、体が甘いものを求め、ついグアヴァ・レモネードとティラミスを注文してしまったのだが、どちらもおいしいのに食い合わせとしては最悪で、もうちょっと慎重にオーダーするべきだった、と後悔。でも慎重になるスキなんて微塵もなかった気がする。

 

ホテルに戻って、夜の遅い時間にしか予約できなかったムッソー・アンド・フランク・グリルへ。松永さんもヴァン・ダイクの接待で使ったという超有名店。かつてはチャップリンも愛した、ハリウッドスター御用達の名店という訳だ。「値段のことを気にするのはやめよう」と妻と話して、欲望の赴くままにオーダーした。フィレ・ミニョンのステーキがおいしかったのはもちろんなのだが、妻が頼んでいたコンソメスープが衝撃的だった。セロリだろうか、香味野菜のダシがきいていて、上品ともまた違う奥深さ。経験したことがない味だった。食後に紳士なウェイターがデザートはどうだい?と勧めてくれる。しかしその段階で私たちはお腹いっぱいだったので、そう伝えると、「うちのチーズケーキは食べた方がいいよ!シナトラは知ってるかな?彼をしてチーズケーキと言わしめたチーズケーキだよ。ふたりでシェアして食べてみたら?」というのでオーダーしたのだが、このチーズケーキが本当に絶品だった。決してなめらか、というわけでない。でも愛らしく、濃厚なのに嫌味がない完璧なチーズケーキだった。日本に帰ってもきっと私はこのチーズケーキの幻影を追うだろう。あまりの満足度。そして会計は大変に、もうべらぼうに高い。想定していた値段の1.5倍ぐらいだった。高級店だからチップも多めに払わなければならないため、さらに高額になった気もするのだが、振り返ってみるとアメリカで食べた一番美味しいものの大半はこの店で食べたものになった。(これは人生においてのある側面だけの話だけど)金を出せばこれほどの美味しいものが食べれるのなら、この人生頑張っていきたい、とさえ思える美味しさだった。

 

 

16日

 

『アネット』のロケ地のひとつでもあり、ル・ポールのドラァグ・レースのグランド・フィナーレが行われるオルフェウム・シアターをどうしてもこの目で見てみたいので、ダウンタウンの方へ向かった。せっかくなら、と妻の提案でダウンタウンのファーマーズ・マーケットに向かってみる。Pershing Square駅で下車。ダウンタウンはより治安が悪い雰囲気で、悪臭もマシマシ、街角から大麻のにおいが沸き立つ。セキュリティが軒先で大麻吸ってたのには驚いた。駅からすぐだったファーマーズ・マーケットは活気のある市場、というより文化祭のような雰囲気だった。何か買ってみようか?と話すも、なんとなく怖気付いてしまって何も買わずに出てしまった。オルフェウム・シアターをこの目で見る。劇場にはジンクス・モンスーン(『ル・ポールのドラァグ・レース』シーズン5の優勝者であるドラァグ・クイーン)の公演のポスターが貼ってあった。そこからタコスを食べるためにさらに歩く。妻は日本を発つ前、iPhoneにあるタコスのドキュメンタリー番組をしこたま仕込んでアメリカに向かっていたので随分気持ちが高まっているようだった。実際、ソノラタウンのタコスは絶品で、暑すぎるダウンタウンの日差しを受けて、より輝いているように見え、瓶のコーラはあっという間に底をついた。その辺りはファッション街だというので大きいサイズの服を求めて彷徨おうかと思っていたが、日曜日ということもあってか店はほとんど閉まっているようだ。TwitterにSOSを出すと、いくつかのアイデアが送られてくる。その中の店の一つは郊外の店で、そうか観光都市だと大きいサイズもあんまりないのかもな、と自分をむりやり納得させた。有力情報になったのはROSSというディスカウントショップの存在だった。近くにそのお店があるというので足を運んでみたら、数は限られてはいたものの、なんとかいくつかかわいいシャツを買うことができた。が、心は大いにすり減ってしまった。何千枚もあるように見えた在庫の中から3XLのものは30枚ほどだったのだ。「世界に取り残され 初めて何が書ける?」とうたう歌がある。砂の上に座ることができたら、私はその時、オルガンを弾けるだろうか。

 

アメリカには気軽に飲み物を買う環境と、トイレがあんまりない。ROSSにいるときもトイレに行きたくなってお店の人に訊いたのだが、「ここにはないけど右に出て右に曲がった先にシェイクシャックがあるからそこなら貸してくれると思うわ」と教えてくれて、なんとかたどり着いたのだが、シェイクシャックのトイレが番号錠だったそうで、陽気な店員から「Three……Nine……Three……」と6桁の数字を突然言い渡される。トイレを借りようとして数字を覚えることになるなんて考えてもいなかったからパニックになった。そして、英語で言われるとなぜか覚えづらい、ということもわかった。その後、本日、ドラァグ・レースのイヴェントがやっているマイクロソフト・シアターまで足を伸ばす。ヴィジョンに映るクイーンたちをみて、せっかくだから本場のショウも見てみたたかったな、と後ろ髪を引かれる気持ちでホテルに戻る。英気を養い、いよいよハリウッド・ボウルに向かうことにした。ホテルから5分ほど歩いて、シャトルバス乗り場に向かった。

 

これ以降はこの日記から抜粋して物販でTシャツ買ったことを削って、ちょっとした序文を足したものがこちらにまとまっております。

 

スパークス&ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツLA公演レポート | TURN

 

17日

 

この日は古着屋を回ろう、と妻が計画を立てていた。バスを乗り継いで古着屋がたくさんあるメルローズ・アヴェニューのあたりにつく。最初に寄ったのはJET RAGというお店。古着屋にしては面積が広く、置いてある数もとんでもない量だった。ここならきっと自分のサイズもあるだろう、と物色していくと、あったよXXXXL!!!と黒いシャツに手を伸ばした。しかしデザインはいわゆるカウボーイとかの胸についているひらひらがあしらわれたもので、ずいぶんご挨拶じゃないか、と笑ってしまった。気を取り直して店内をあらためて物色していくのだが、ほとんどXL止まり、あっても2XLという状態が続く。店内のBGMがINXSのシングル盤らしく、同じ曲のリミックスがずっと続いていたことも悲しい気分に拍車をかけた。サイズが合うやつがいくつかあっても、傷つきすぎた心はすでにズタボロになっていて、冷静な判断が下せず、結局1時間以上探したが、買えるサイズでかわいいと思えたものはラルフローレンのオレンジ色のボーダーのポロシャツ(サイズは2XB!)だけだった。

 

その後、近くにあった古くからあるホットドッグ店で昼食を摂ったのだが、ここのオニオンリングが信じられないぐらいかわいくなかった。ぼってりとした衣がまとわりつき、最初に食べたものに関してはドーナツと言っていいほどだった。あまりの衝撃にちょっと落ち込んだが、気を取り直して古着屋めぐりを再開。その後、数店舗回ったが私が求めるようなものはなく、世界はこんなに悲しいのか、日本が悲しいだけではなかったんだ、とようやく受け入れることにした。強い日差しの中、憐れな男が日陰にそっと倒れ込もうとしている。妻は手を差し伸べてくれたが君ならどうする? 

 

取り直せない気を抱いてロックTシャツ屋に入るとフレネシさんのファーストの1曲目がかかっていてのけぞり、元気が出た。その次は鈴木茂さんの「LADY PINK PANTHER」だ。それでもサイズはやっぱりなくて店はすぐに出た。Google Mapによるとその店から少し進んだところにレコードコレクターというレコード屋があるらしいので寄ってみよう、と少し歩く。20時まで開いているそうなのでまだ全然余裕がある、と思っていたのだが、ついた時には店は閉まりかけていた。ところが、店の前に停めてあった車から、帰ろうとしていたのであろう、おっちゃんに声をかけられる。「ロックのレコードを探しているのか?うちには色々あるぞ。ピンク・フロイドか?ビーチ・ボーイズか?」というので「ビーチ・ボーイズ」のあたりで大袈裟に首を縦に降ってみたらお店に入れてくれた。かなしクラシカルな店内で、高い天井に向かってぎっしりレコードが詰められている。圧倒される光景だった。しかしこの店、何かがおかしい。そう、ジャンル分けがされていないのだ。通常のレコード屋には新入荷のコーナーがあり、ジャズのコーナーがあり、ロックのコーナーがあり、ソウルのコーナーがあり……といった具合なのだが、無尽蔵かつ無秩序にレコードが置かれている、といった印象だった。そんな中、おっちゃんとコンビを組むおじいさんが「ビーチ・ボーイズならこれだね」と2枚だけレコードを出してきてくれた。「他に探しているものはあるか?」というので咄嗟に「ボブ・ドロウ!」と答えてしまった。ボブ・ドロウで探しているレコードはもうほとんどないにも関わらず、だ。すると発音が悪くてボブ・ディランのレコードを渡されてしまった。もう一度ちゃんと説明してボブ・ドロウを探してくれているおっちゃんの指を目で追うのだが、この時、もうひとつの違和感の理由がわかった。どのレコードにも値札がついていないのだ。そして出てきたのは相棒、ビル・タカスとのデュオで発表されたライヴ・アルバム”Beginning To See The Light”だった。「サイモン・スミスと踊る熊」で幕を開ける最高にヒップなライヴ・アルバム。もう持っているけど、記念に買うんだったらいいか。「いくら?」と訊くと「25ドル」というではないか。確かに傑作だ。ここに収録された”I’m Hip”は野生味が強く、鋭さがにじむ最高のテイク。でも人気のある盤では決してないと思う。足元を見られていることはすぐにわかったのだが、わざわざお店を開けてくれた代わりに何か買って帰りたい、ならばその値段だって安いものだよ、と思って、「オッケー、これ買います」と伝える。「他にも探しているものは?」というのでいくつか具体的なアルバムのタイトルや、アーティストの名前を伝えるも、欲しかったものは在庫がないようだった。店内はどうやら厳粛なABC順になっているようで、探しているアーティストのスペルをおっちゃんがおじいさんに矢継ぎ早に伝えていたのが印象的だった。「ブロッサム・ディアリーはある?」というと、「ブロッサム・ディアリーは俺も大好きだよ!ちょっと待っててくれ」と、おじいさんを倉庫の方に向かわせ、しばらくすると5枚ほどレコードを抱えて戻ってきた。”Neelde Point Magic”と”Simply”から値段を訊いていく。「まあ珍しいレコードじゃないよ、25ドル」。”May I Come In?”は「オリジナル盤だぜ!50ドル。コンディションもいいよ」。”Once Upon A Summertime”と”Give Him The Ooh-la-la”は「もっと高いぜ、80ドル。でももうほとんど見つからないんじゃないの」という。最初の4枚は「もうすでに持っているんだ。”May I Come In”はジャパン・リイシューだけどね」と伝えたが、”Give Him The Ooh-La-La”を悩みに悩んで購入することにした。コンディションははっきりいってよくない。ジャケットはセロテープによる補修があり、これで80ドルかいな、と正直思った。でも買うんだよ。そして、それならば、とボブ・ドロウとビル・タカスのライヴ盤はいいや、を「あの~、こっちはキャンセルしたいんだけど……」と伝えると、「いーや、絶対に買った方がいい!後悔はさせないよ」というので笑いながらクレジット・カードを差し出していた。はっきりいって悪手の買い物だ。じゃあなぜ買ったのか?「買わない後悔より、買う後悔」としてはいるが、それでは説明しきれないなにかが渦巻いていた。まあ、狐にでも化かされたと思うことにする。

 

アメリカ最後の夕食だったが、歩き続けて疲れ果てた我々にはもうUber Eatsでギリシャ料理を頼むことしかできなかった。マウンテン・デューを飲んだら、バイト終わりにロング缶で飲んでいた頃と全く同じ味がした。日本のマウンテン・デューは何年か前にリニューアルしていて、味が変わってしまっていたのだ。100円でロング缶が買えた時代の話さ。最低賃金が750円だった時代の話さ。健康保険も、国民年金も、住民税も考えなくてよかった時代の話さ。グラソー・ビタミン・ウォーターもそうだが、遠く離れたアメリカに、俺の正統なノスタルジーが転がっていたことがなんとも嬉しい。

 

18日

 

朝起きても昨日買ったレコードはバッグのなかにあった。なんだったんだあのレコード屋は。

 

最終日、飛行機は夕方なので最後にもうひと足掻きをすることに。途中まで一緒に行動していたし、単独行動はしないようにしていたけれど、この日ばかりは時間が足りずふた手に別れることに。チェックアウトと荷物のパッキングを買って出て、ひとりでホテルに戻った。妻はそのままスーパーマーケットへ買い出し、私は部屋に戻り、なんとかパッキングとチェックアウトを済ませ、荷物をホテルに預け、Amoeba Musicにレコードを買いに行った。Amoebaは実は昨日の閉店間際に20分だけ覗きにきていた。新品のレコードも多いから少しの時間でも足りるかもしれない、と淡い期待を寄せていたのだが、こりゃいかん、とてもじゃないけれど見切れなかったので、あらためてひとりで向かうことにしたのだ。道中、バスに揺られながらいくつか音楽を聴いた。TMBGも聴いたし、スパークスも聴いたが、今の気分にぴったり合ったのはスケッチ・ショウの”Wilson”だけだった。Amoebaではセール品のコーナー、ジャズのコーナー、オールディーズなどのコーナーを中心的に見て、ロックのコーナーがあまり見れなかったが、とてもいい買い物ができた。

 

ホテルで妻と合流してUberで空港へ向かう。空港であらためて調べてみるとペットボトルの飲料はスーツケースに入れたら持って帰れる、というのでグラソー・ビタミン・ウォーターのXXXとEnergyの2本購入してパンパンになったスーツケースの隙間になんとか忍ばせた。荷物を預けようとチェックインを試みるのだがうまくいかない。窓口に訊いてみると、行きと同様、妻と離れなければならない予定だったが、妻の隣の席が空いたそうで、並びに変えてくれたそうで、少し安心した。無事に保安検査場も通過、搭乗までの時間を空港で過ごす。マウンテン・デューが売店にあったので追加で一本購入した。帰りのフライトの方が時間が経つのが長く感じたし、何より下半身への負担が大きかった。行きのフライトではほとんど見なかったモニターにかじりつき、古畑任三郎などの力を借りながらようやく東京に戻ってくることができた。東京に着いた頃には19日の21時を過ぎていたと思う。私の7月19日はどこに行ってしまったのだろうか? 高速バスで吉祥寺まで出て、重すぎる荷物を持っては店内に入れないため、交互にコンビニで夕食を買い、タクシーに乗り込み、無事に家まで帰ってくることができた。久々の日本での食事はインスタントの袋麺にした。アメリカでの食事はあたたかで汁気のあるものが多くなく、確かにジューシーではあるが「ヘイユー、スープでもおくれよ」と言いたくなることが何度もあった。そして何より生卵が食べたい。だったら選択肢はひとつだった。くたくただけど充実感を持って布団に入ったが、その日ぐらいは汚い布団でキングサイズのベッドの夢ぐらい見たかった。