幻燈日記帳

認める・認めない

川からスーパー山からデューパー

某日

スケジュール的には作曲しなければならない日だ。昼過ぎに起き、食事を摂り、テレビを見た。やる気になるのを待つ。素晴らしい音楽の予感を探るのだ。昨夜入れなかった風呂に浸かってduolingoで英語の経験を積む。またソファに座り、テレビを見る。素晴らしい音楽の予感を探るのだ。ところが眠くなり、ソファでうとうとしてしまった。夕方が過ぎていた。これではいけない、と部屋の掃除をする。素晴らしい空腹の予感をキャッチし、先回りして夕食を食べた。作業部屋でレコードを聴きながら積んでいた漫画を読んだ。あっという間に時間が過ぎて、こういう時間が必要だったんだ、とふいに気がついた。こうして今日も私は作曲をしなかった。

 

25日

下北沢で弾き語りのライヴ。駅前の広場?みたいな場所で行われていた古着のイヴェントだった。お客さんもすごく多くて嬉しくなった。寒かったからか、歌もギターもベストコンディションとは言いがたかったのだけど、不思議といいライヴだった、と言えるライヴができた気がする。「私はこんな体型だから選択の自由がない、でも皆さんにはそれがきっとある、楽しんでいってください」みたいなことを冗談でいったけれども、半分以上に本心が宿っている。

ゼキさんとシティポップレイディオのADの子も見にきてくれて、マネージャー安藤くんと4人で終わったあと寒空の下、お笑いの話をずっとしていた。安藤くんとゼキさんと場所を変えて車でロイホに向かい、閉店まで話した。ふたりからマユリカのラジオを勧められたので後日聞いて#2でゾッとした。中谷さんのネットの遺跡をほじくり返される回だ。めちゃくちゃ面白いんだけど私は中谷さんを阪本さんと一緒になって笑えなかった。私もwebの大海に高校1年生から日記を書いているもんだから余計にゾッとしたのだ。この日記だって最初の最初に戻れば大学1年生から書いている。今から17年前のある日に興味本位でアクセスしてみる。生きづらそうだった。しかしこの頃の私を私は笑うことができない。生きづらさは形を変えて今でも私のすぐそばにある。

 

某日

電車で仕事に向かう。昔だったらそれだけのことで一日分の日記を書けた気がする。しかし、すり減った中年は自らを些細なことから繰り返しの毎日に自らを押し込めてしまうのだ。慣れない仕事だったから成果があがったかよくわからない。OAはちょっと先。解禁されたらSNSでお知らせします。